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5.戸隠さんとツーリング①
待ち合わせは駅の改札で。でも遅れるときは連絡をして先にジムへ向かう。金曜日の逢瀬はそうやって始まる。
ジムでは基本話はしない。他にもトレーニングしたい人はたくさんいる。集中力が切れて事故が起こるのも怖いので、トレーニング中はストイックに鍛える。ただたまにアドバイスを装って話しかける。その時は周りに注意を払う。この人は、俺のものだと視線で牽制する。
9時前まで鍛えたら、シャワーを浴びる。シャワールームは足の踝と頭くらいが見えるような壁とシャワーカーテンで区切られているブースが5つ。のぞきだとか卑猥なイタズラは絶妙にできないような仕組みになっている。仕方がないので脳内でだけ濡れた戸隠さんの豊満な胸と緩やかな曲線を描く腰のラインを楽しんで我慢する。この時も他への威嚇は忘れない。
帰りにLemonで食事する。ここでようやく恋人らしい会話ができる。かっちゃんは俺たちのためにカウンターの端の席をいつも用意してくれる。俺が戸隠さんといるとのろけ話を聞かなくてすむから機嫌がいい。たまに顔見知りが割り込んでくる。そっちにも俺は牽制して、戸隠さんを守ろうとするがよく知った間柄なので聞きもしない。そのかわり、戸隠さんがやんわりとスマートにいつも受け流してくれる。会社では鬼と恐れられる彼だが本質的にはやはり紳士だ。ただ本当に邪魔だなと戸隠さんが思った時は声も顔も笑ってのるになんだが雰囲気が怖い『静かな鬼モード』になる。そこまでされるとさすがにちょっかいをかけてくる奴はいない。意外とバラエティに富んだ人当たりの在り方にはやはり年の功を感じる。
店を出るのは終電の二本ほど前。前に終電ギリギリに店を出て、急いだために酷く酔って、駅から出たとたんにリバースした。行動には余裕を持たないといけません。
それに余裕がないと、キスもできない。
その時々ではあるけれども、興奮の波なんてのは付き合い始めというのはいくつになっても不意に訪れる。そんな時、どちらともなく暗がりへと軽くつないだ腕や手を引く。
人気のない街の片隅に生まれた夜の影に隠れ、布越しに触れる身体の熱さだけを確かめ合う。時に小鳥がついばむように、時にマグマが燃えたぎるように、その時の気分に任せてキスをする。
ちゅっ、と軽く音をたてて離れる。
俺よりも2cmほど身長が高い戸隠さんが飲んでもないのに茹った赤ら顔で俺の肩口に額をつけて吐息を漏らした。
「野々上君のキスは、ほんとに気持ちイイなぁ」
その体を抱きとめて、俺は項に頬で、口で触れ、深く深呼吸をする。
そうやると戸隠さんは「おじさんの加齢臭しかしないよ」とよく恥ずかしがる。可愛い。
今日はジムのシャワールームで使った同じボディーソープとシャンプー、あと甘い戸隠さん自身の匂いがした。
「僕もしたい。いい?」
「もちろん」
今度は戸隠さんから唇を寄せる。初めは優しくゆっくりと。そこからしっとりと強く押し付けて、唇で下唇を軽く挟んで愛撫する。
優しくていやらしい感触に否応にも気分が高まって、たまらず俺も同じキスで返す。
舌を絡ませてもいないのに湿度の高い音が響き、お互いの耳を嬲る。
もっと、もっととお互いの首に手を回し、体を寄せ合い、昂る熱を擦り付け合う。
気持ちいい。
戸隠さんは俺のキスを「上手だ」と言ってくれたが、興奮した戸隠さんのキスはもっと巧みだ。
半開きになった俺の唇の隙間に少し短い、それでいて肉厚の戸隠さんの舌がぬるりと入ってくる。性急さはない。まるで聖母のような包容力で俺の舌を、上あごを、歯列を愛撫する。
俺は腰が砕けて縋り付く。バリタチを自認しているけれども、この時だけはこのまま抱かれてもいいと過去何度か思ってしまった。
戸隠さんはどっちなんだろう。
触り合いとか、ヌキあいぐらいはしたいとは思う。その度にこの疑問がよぎる。付き合い始めの勢いの中では、そこできっと終わりにできずにその先だって我慢できなくなるとわかっているからだ。
俺達がもしネコ同士なら荒っぽく言えばユリと同じなのでベッドまではそれほど遠くない。
けど、タチ同士だと揉める。俺は無いが界隈の知り合いが遭遇しているのは良く見聞きする。その経験上間違いない。リバか、降伏かをどちらかが受け入れなくては最後までイケないから。イニシチアブにアイデンティティがかかってる。
――――恋してるんでしょ。穴孔 の一つや二つ、ばーんとかしてあげなさいよ。
頭の中で享楽全享受派、言うなればリバ受容派のかっちゃんが尻をスパーンと叩いている情景が浮かぶ。ただやはり愛のために尻孔を貸す覚悟がまだ俺にはない。
なにより、俺は戸隠さんを抱きたい。はっきりとそう思っている。
年上の、完全無敵そうなこの人を、思いっきり泣かせてみたいと思ってしまう。
平静と余裕の仮面の下で、俺をデートに誘うために必死になっていたような彼の本質の部分を、泣かせて暴いて、解放してやりたいと思ってしまうのだ。
今これ以上はまだお互い腹の探り合い。
籠る熱を体の内に抱いたまま、俺達は駅へと向かう。
同じ路線上の同じ方向へ向かう電車に乗る。中はそれほど混んでいないけれども、時間的に誰も他人を気にするほどの余力は無い。
戸隠さんのロングコートの影に隠してそっと手を繋ぐ。真っ暗な電車の窓越しに視線を交わし、他愛もない会話をして時折顔を盗み見て笑う。
先に降りるのは俺。戸隠さんはそこからさらに3駅ほど先でおりる。
閉まるドアが名残惜しい俺たちの距離を隔てる。
俺は電車の車体が夜闇の中へ消えてしまっても、赤いテールランプと車掌室の白い照明が緩やかなカーブの向こうに消えるまでいつも見送る。
「また、金曜日に」
コートのポケットから取り出したスマートフォンのアプリでメッセージを送る。既読がついて、可愛い犬が眠りにつくスタンプが送られてくる。そのやり取りを確認して俺は改札へ向かう。
駅構内を吹き抜ける風の冷たさが急に気になって首をすくめる。
こういうとき、車だったらな、と思った。
これまで付き合ってきた相手は車で移動する人たちだったから、気分が盛り上がればどこでも会えたし、なんだったらそこがもうホテルになった。時間のことも考えずにすんだ。
戸隠さんは違う。
生活に変化を与えるのは愛人としては失格だ。今まで電車通勤だった人が電車の終電が明らかに終わっている時間などに帰ってくるようになったら家族から疑惑の目を向けられる。
同性だから、友達との付き合いだ、と誤魔化せるところは大きい。友情のオブラートに包みやすいからこそ愛人関係が続けていける利点がある。ネコおじさんが俺みたいな若いバリタチをマッチングで探す理由でもある。会社の部下とでも言い訳ができる。
でも甘えていてはいけない。彼らには帰る場所がある。
俺との関係は一時の気晴らしというただの通過点でしかないのだから、家族にはわからないように戻る道筋を残しておくべきだ。本気になっちゃいけない。
そう思うのに、週末が早く終わってしまえばいいのに、としか俺は思えなくなっていた。
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