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6.秘密の戸隠さん①

 恋は、麻薬だ。  前にあったのは3日前。  毎週金曜日に会えると知っている。  それ以上の時間を求められる相手じゃないともわかっている。  なのに会いたくて、会いたくて、まるで水がもらえない花が枯れてしまいそうなくらい、戸隠さんの成分に飢えて乾いている。日曜の夜に別れたそのときはウブな童貞のように恥ずかしくて顔を見れなかったくせに、部屋に入ったらあのままホテルで抱き潰す妄想が滾りすぎて死ぬほどヌかないと頭が煮えて眠れなかった。 『今日、水曜日ですが、今からジムに行く予定です。戸隠さんも一緒にどうですか?』  終業後のエレベーターの中。  愛人の立場では自分から働きかけるのはタブーなはずなのに、私的なスマートフォンで衝動的に誘いをかける。  誰にみられてもジムの親しい同性の友人の会話に見えるような内容。  ここで「好き」とか「愛してる」とか「会いたいよ」みたいな、誰がみてもできあがっている二人を匂わす台詞を入れるのは、恋に浮かれて現実を見失ってしまっている愚直の極みだ。  何をどう繕っても俺のやってることは浮気の片棒である。  妻子持ちを相手にするなら、秘書に徹する義務がある。それを気をつける程度の冷静さはまだ俺にも残っていた。  すぐに既読がついて数秒後に届いた戸隠さんの返答は大涙を流すキャラクターのスタンプだ。悔しそうに床をたたく。可愛い。 『ごめん。今日は急遽本社会議ができた。長くなりそうだから、多分無理』 『残念。じゃあ終わったら連絡くれません? 話、したいことが』  とメッセージを送りながら、別に話したい具体的な話は何もない。  姿が見えないなら、声だけでも聞きたい。それだけ。 『僕も、愚痴聞いてほしい。今日の会議は役員が何人か来るらしいんだよね。あいつら話が長いんだよ。たぶんすごい疲れてると思うから。慰めてよ、野々上君』 『いいですよ。電話、待ってます』  あとで、と手を振るウサギのスタンプを送ってスリープにしたスマートフォンをコートのポケットへ仕舞う。  会えないのは残念。それも当たり前。  第一、年をとればとるほどしょっちゅう発情できるほどの気力も体力もなくなってくる。だからこそ二人きりになったチャンスで溜まりに溜まった気持ちをぶつけ合えばいいのであって、男女間はともかく、男同士では普段から愛情確認というガス抜きをする必要はないといえばない。これまで付き合ってきた年齢層ならなおさらだ。  会社を出て空を仰ぐ。零れた熱いため息が、冷え冷えとした日暮れた夜空に白い湯気となって溶けていく。  戸隠さんがジムに来ないなら、別に行っても行かなくてもどちらでもかまわないのだが、フラストレーションを貯めたまま、というのも精神衛生上よろしくない。行くだけ行って一通りのメニューをこなしたら、Lemonでかっちゃんに構ってもらうのも有り。  そう決めて、俺はジムへと向かった。

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