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6.秘密の戸隠さん④

 大惨事のスウェットを軽く風呂場で流して洗濯機に叩き込み、ドロドロに汁ばんだ体をシャワーで流して部屋に戻る。その間スマートフォンの画面はついたままだ。 「通信費、大丈夫ですか?」  戸隠さんと同じようなTシャツとトランクス姿でスマホ画面に戻る。戸隠さんは赤ワインの入ったグラスを手にしていた。白い顔がほんのりと上気している。あまり強くないと言っていたな。 「家に固定のwifiに繋いでるから、大丈夫。野々上君は?」 「基本使い放題ですが、200GB超える事ないでしょう」 「でもそれだと毎晩ってわけにはいかないね~」 「毎晩? そんな風に想ってくれてるんですね。嬉しい」 「欲張りなんだよ、僕」  戸隠さんは口を湿らす程度にグラスを傾ける。濡れた唇を軽く舐める舌と唇の動きが蠱惑的だった。 「割と性欲強いしね」 「そうなんだ。いいですね」 「そう? 逆にしつこいって嫌がられることもあってさ」  同じような嘆きはこれまで付き合ってきたオジサンたちからも散々聞いてきていた。そういう人が家庭内でATMとしての扱いしかされないというのは、なかなか辛いものがある。  戸隠さんもそんな彼らと同じような顔で、ぼんやりと言った。 「今は、落ち着いたけど、昔は手あたり次第だったよね」  酒に軽く酔っているせいか、ぽやーんとしていながらすごいことを言う。  対する俺が気になるのはかという点だ。  俺はテーブルの上に残っていたビールを一気に飲み干す。この程度で酔う方ではないが、何かこう、勢いをつけるための燃料が必要だった。 「あの、ぶっちゃけ、俺は美弥さんを抱きたいんですけど、どっちなんですか?」 「うん。申し訳ないんだけど、僕バリタチ」  やっぱりか。俺はにっこりと笑う戸隠さんが映るスマホの前で頭を抱えた。  高校時代の進学校でこっそり免許取ってバイトとか、姫扱いした奴を片っ端から〆て回っていたとかのエピソードを田代さんから聞いた段階で、うっすらと確定は予想していた。そのシチュエーションでネコ、それも誰もを魅了する魔性のネコだったらそういう行動には出ない。周りは金持ちの社会経験が低いお坊ちゃまなんだから、金が欲しければカツアゲじゃなくて誘惑でもして貢いでもらえばいいだけの話なのだ。  そうなると過去の素行とキスの上手さを鑑みる限り、かなりオラオラのタチだったと思われる。  俺はちらっと頭をあげて卑屈に戸隠さんを見た。 「今も、入れ食い、ですか?」 「んー……今は家族がいるし、会社でも一応役付きだから、昔ほど遊べないよね。一から人間関係作っていくのもめんどくさくなっちゃったし。今の遊び相手は野々上君ぐらいかな。それに何より年齢的な点で気持ちよくなるのに時間がかかっちゃうから、若いときよりフットワークはどうしても鈍るよね」 「それは、そう」 「わかるの? 若いのに」 「俺のストライクゾーン、40代後半から70代ですもん」  セックスで気持ちよくなりたければまず体の緊張がほぐれないといけない。  ところが年をとるとただでさえ筋肉も減ってるし、サラリーマンなんてのは基本不健康なので運動不足で血行悪くなっている。結果末端が冷えやすく、なかなか体のこわばりがとれないのだ。これまで付き合ってきた相手の年齢層はそんなのばかりだった。  だからこそすぐにセックスとはいかない。そのかわり日常的なスキンシップとしてつないだ手をマッサージしたり、前戯の代わりに体中を撫でて気持ちを高めたりという、若い関係では不必要なまどろっこしい過程が許される。そうやってトロトロに蕩けた体の中は信じられない程に熱くて気持ちがいい。  カメラの中の戸隠さんが微妙に座った目で俺を見ていた。 「希少。でもそれ、ゾーンが広すぎない?」 「経済の戦場で疲れた人をトロトロにするの、好きなんです。外からも……ナカからも」  意味深に呟いて二本目のビールを開ける。ちびり、と口をつけながら、意味深な上目遣いに戸隠さんを見る。  戸隠さんもワインを口にしながら、俺を見る。長い前髪の間から見つめる目が値踏みしていた。 「気持ち、イイですよ。きっと。腕はいいって、評判だったんですけど、試してみません?」 「どうしようかな。すごく魅力的なお誘いなんだけど……」  タチとタチの腹の探り合い。  珍しいことじゃない。俺にはあまり経験がないけれども、ここでどっちがトップかでマウントを取り合った結果、大げんかに発展する場合もある。  それで別れるくらいなら、我慢ができない方が早々に尻穴を差し出すか、卑怯な手を使っても一回力づくでトップを確定してしまえばいい、とはLemonのマスター(かっちゃん)からの乱暴なアドバイスだ。  彼はリバでもいける口なので、少々の痛みと恥ずかしさを燃えるゴミの日にでも捨ててしまえば、単純に気持ちよくなれることを知っていた。  ただ俺は別にこういう駆け引きが実は嫌いではない。  男の沽券だなんだと肩に力の入った年上の男にはよくある態度だし、それをじわじわ口説いて、蕩かして、抱くまでの課程は雄の狩猟本能を刺激して割と楽しい。 「……モテるんでしょ?」 「実はそうでもないんですよ。もう5年くらい、彼氏いません」 「5年も?」 「そ。仕事が忙しくなったこともあるし、セックス以外でも気晴らしできる知り合いも増えたんで」  何より、直近の彼氏との最後の別れがトラウマ過ぎて、そんな気持ちにはなれなかったのが一番大きかった。 「ここ最近は専ら右手と脳内美弥さんが慰めてくれるし」 「君の中の僕は、どんなことしてくれるの?」 「そりゃあもう……」  俺は戸隠さんの妄想をうっとりと語る。  会社のトイレの時のように俺を誘い、ふくよかな胸を擦り付けて、舐めて、しゃぶって飲んでくれる。これは実際にしてもらった時の感触付きだから、今のところ一番滾る。  あとはベッドで裸になって、お互いの身体を擦り付けるとか、69でシコりあうなんてシチュエーションもある。  本当はそれだけじゃなくて俺の中の戸隠さんは壁に手をついて、尻を突き出し、とろっとろになった穴を長くて白い自分の指で押しひらいてオネダリしてくれたりもする。でもさっきバリタチだと聞いてしまったからには言えない。  扉には鍵をかけていると、戸隠さんは言った。時間的に個室へ家族がやってくるようなことはないだろうと思うし、声もできる限り潜めている。  けれどもやってることは客観的に見て変態の独白だった。  それを自分の亭主がにこにこ聞いてるなんて戸隠さんの奥さんが知ればどうなるだろう。内心スリルとひやひやが混在して変な興奮があった。 「今日はいいもの見せてもらったから、次からは美弥さんのストリップも追加かな。美弥さんは? 性欲強いのに、御無沙汰じゃあ、溜まるでしょ?」 「どうかなあ。野々上君よりは大人しいよ。年齢的な点でさ」 「シないんですか? 自分で」 「そういうのもあんまり……ないかな。平日は仕事で疲れてるし、休日はツーリング行って、美味しいもの食べて、キャンプとかでぼんやりしてって気分転換してるから、別に」 「俺と似たようなものですかね」 「そうだね。でも……」  画面の中で戸隠さんが少しもぞっと動く。 「今は……ちょっと、ムラムラしてる……かな」  酒の為か、発情しているからか、戸隠さんの顔はますます赤くなって、それが少し恥ずかしそうにして視線を逸らす。  俺の心臓がバクバク高鳴った。さっき宥めたはずのムスコがまたぞろぎゅんぎゅん滾ってくる。バリタチとかいうくせにその女郎蜘蛛を思わせる未亡人仕草と色気はなんなのか。  手にした缶を少々ゆがめながら、俺は机にうつ伏した。 「くそう……カメラ越しが、憎い」 「ほんと、若いねえ」  戸隠さんはははは、と笑ってワインを傾ける。その笑顔がまた憎らしいくらい可愛いかった。

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