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7.戸隠さんの指輪について③

 だが俺は知っている。  戸隠さんがかなりオラオラのタチだっただろうということも。 「バリタチだったのは彼の一穴だけですか?」 「それはそれ。欲求不満は溜まるじゃない。若いしさ。それを忘れさせてくれる相手はやっぱりいるよね」  ペロッと舌を出す。やはり前に思ったとおり、戸隠さんは非難を受けそうなゲスい自分の一面について自覚していた。  顔で笑顔を作りながら、寂しげに言った。 「一生、報われない恋だと、わかっていたんだ」  恋に堕ちてしまったものの、美俊さんはその深淵から救ってくれるようなことはなかった。  勘違い。  思春期の気の迷い。  ほかにもたくさんの人を知ればわかってくるもの。  そう言ってのらりくらりと義理の息子の恋心とアプローチをかわし続けた。暁星で平日に寮住まいさせたのは親子としての適度な距離をとり、視野を広げさせることが目的だった。 「でも僕が帰宅しているときに美俊さんに迫ってるところが御祖母様にバレてねえ」  戸隠さんは眉尻を下げて情けなく自嘲した。  もともと彼の祖母は気に入らない進路を辿った長男にも、どこの女の股から勝手に生まれたかしれないその息子にも否定的だった。美俊さんが一族として引き取るというときも一番反対したのは彼女だ。彼女には唯一残った美しい息子にあてがいたい御歴々の娘達がいた。  当然、戸隠さんにもあたりは強く、お前がいるから美俊さんが幸せになれないと真っ向怒鳴りつけられることもあった。 「美俊さんはそういう戸隠家のあり方が気に入らなくて、父が生きてるかもしれないと理由をつけて独身を貫いてたんだ。けど僕の父が死んだとわかった以上、跡取りにたたなきゃいけなくなってね。僕の気持ちを断ち切らないといけないとも考えてたから、さっさと見合いして結婚してしまったんだ」 「それが……いつ?」 「高校二年生くらいの時かな」  戸隠さんはテーブルの上で指輪を立てて、人差し指でゆらゆらと弄ぶ。天井の照明がつくる光の鈍い反射光の影をぼんやりと見つめていた。  現金手渡しのバイトは学校にも、美俊さんにも内緒で続けていた。彼の家庭を壊そうというつもりはなかったから、お金を貯めてさっさと戸隠家を出て行こうとしていた。 「遺産が、あったでしょ?」 「御祖母様が管理していたから自由になるものでもなかったしね。それに、もともとそんなものを当てにした人生設計じゃなかったんだよ」  幸い大学は美俊さんが財政的に全面バックアップしてくれると言うから敢えて家を出て一人で暮らした。  オラオラのバリタチ本格デビューはその頃だ。 「その頃は入れ食いだったよね。粉かけたらみんなすぐついてきてさ。一回軽ーく抗生物質のお世話になってから、ゴムは絶対に持ち歩くようになったよね」  堂々胸をはる。  そもそもの貞操観念がこの人はかなりゆるいのかもしれない。俺は直感した。そりゃあ仕事場のトイレで白昼堂々俺にパイズリさせてくれたぐらいだから、そうだろう。  ただ俺も貞操観念については戸隠さんと似たり寄ったりだから人のことはいえない。  恋にしろなんにしろ、人生がやけっぱちになると人間は倫理か社会性が壊れる。 「田代さんには?」 「バレてなかった。だって彼は僕を理想化してて、黒いところなんて見ようともしないから見えなかったんだ」 「想われてたこと、知ってたんですか?」 「それを淡い恋だと知らなかったのは、彼自身だよ」  田代さんは田代さんとして戸隠さんには大切な友人だった。だから失いたくなかった。  体の関係を持った相手は、ことごとく戸隠さんの本性に気づいて去っていったから、友人なのだ、と田代さんが思い込もうとしているのを知っていながらそれを利用して、友達以上の関係にならないようにしていた。 「でもラブホテルから美俊さんと出てくるところでばったり出会ってね。それはもうどうこねくり回しても思いつく理由なんか一つしかないよね。子供じゃないんだしさ」  戸隠さんは笑っていたが、俺はそのときの田代さんを思って気の毒になる。  大失恋。それも最悪のカミングアウトで。  崇拝のような恋なら、なおさらショックは大きいだろう。何しろ天使だと思っていた存在は、どこにでもいるただの盛った雄の一人でしかなかったのだから。  なるほど『極めてプライベートなこと』というお題目で過去を濁したがるわけである。  戸隠さんの過去には必ず自分の失恋に至る理由が繋がってくる。それを戸隠さんのせいにして、田代さんは隠したのだ。 「それ、いつ頃の話ですか?」 「大学4年の夏くらいかな。美俊さんと3回目のセックスの後だった」  戸隠さんは暗い目で水が底に残った程度のグラスをぼんやりと眺めた。

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