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8.戸隠さんとクリスマスイブ②
数分後、トイレの狭い個室で、俺たちは獣になっていた。
「んっ…………っ…………ふっ、はぁ…………ぁ」
ギンギンにおっ勃てた股間をスラックス越しに戸隠さんに押し付けてキスをする。
戸隠さんの荷物はコートを含めて全部足元にわだかまり、狭い個室でほぼ身動きが取れない。長い手を壁につけて体を支えた戸隠さんを俺が縋りつくように抱きしめて、彼の肉厚の胸を、ゆがみのない背筋を、弛みのない尻を撫でまわった。
俺たちはどちらもタチでこれからの付き合いでどのようにヤッていくかのコンセンサスはとれていない以上、お突き合いはままならない。なのに俺の本能が彼の肌を熱くしたがってジャケットのボタンをはずし、シャツのはじけた4番目のボタンが誘う魅惑の穴へ手を差し入れさせる。彼の慎ましく熟れた果実を指先で挟み手の平で豊かな胸筋ごとこねくり回し、固くなった股間で腹筋を無遠慮に突き上げた。
戸隠さんは真っ赤な顔をして震える。それがもうかわいすぎてキスの濃度があがる。
腰砕けになった戸隠さんはすとんと蓋のしまった便器の上に座って、やんわりと二人の間に腕を差し入れ、甘えた猫のように俺の唇を舐めた。
「っん………………だ、め……」
「なにが……だめ?」
「………………でちゃい、そう…………」
「あ……あ~……それは、ダメっすね」
戸隠さんはゴムを用意しているかもしれないが、俺にそれはない。さすがにナマであれこれはできないだろう。俺も『たしなみ』というものを身につけようと思った。
「ヌいたげようか?」
眼鏡上部越しの上目遣いで戸隠さんが尋ねる。あざとい。断る理由は見当たらなかった。
「美弥さんは?」
「僕はいいよ。それより湊人君のほうが若いし、辛いでしょ? まだ仕事があるんだし」
「ゴム、持ってます?」
「あるよ」
ジャケットの内ポケットから黒いパッケージのゴムが出てくる。
俺がジッパーを押し下げると、いきり立ったムスコが勢いよく外に出てきた。
それに手慣れた様子でゴムのキャップをかぶせながら戸隠さんは苦笑する。
「相変わらず若いね。どこでイきたい?」
「胸、貸してください」
「待ってね」
ジャケットを脱ぎ、シャツの3番目のボタンも外す。シャツガーターがあるからシャツ穴が上がってこない。4番目だけでは位置的に低すぎるのは前回の経験で実証済みだった。
「いいよ」
寄せられた胸の肉で谷間ができる。
そこへ俺はいきり立ったムスコを忍ばせる。ローション付きのゴムなのか、それとも上気した肌に汗が浮いているせいか、胸の肉の上で愚息が滑らかに遊んだ。
「暖かい……熱いくらい」
それを目元をほんのり赤くして戸隠さんが見ている。
濃密なキスのせいで形のいい口元が艶やかに照り輝いている。
俺は戸隠さんに手を伸ばしてするりとネクタイを解くと、シャツの1番目と2番目のボタンをはずした。
「先っぽ、舐めて。お願い」
俺の頭はかなり淫熱に浮かされていて、業務中にも関わらず掠れた声で強請る。
戸隠さんは嫌な顔一つせずにシャツの間から突きつけられた敏感な先っぽに舌を伸ばし、唇の割れ目へと迎え入れた。
「んあっ……あ、あ、あ……ぃく……っ」
胸の柔らかさと咥内の温かさ、なにより俺を無条件に受け入れる戸隠さんの卑猥な聖母仕草で、かなり恥ずかしいくらいあっという間に激情が爆ぜる。どくどくと震える俺の肉棒から戸隠さんの口の中にあるゴムの中へ白濁が吐き出されて暫くとまらなかった。
はぁはぁと肩で息をする俺に見せつけるように、戸隠さんが白濁のたっぷり溜まったゴムと落ち着き始めたムスコを口から出してくる。
「ご、ごめん……今日こそは、キスだけで我慢しようと思ってたんだけど」
「付き合い始めって無理じゃない? いいよ、湊人君のかわいいところが見られるし」
にこっと戸隠さんは笑う。
その笑顔が可愛すぎて腰が抜けそうになった。
「課の奴が、結婚したんじゃないかって。その指輪」
俺はゴムの後始末をしながら、洗面台で嗽をする戸隠さんへ鏡越しに言った。
戸隠さんは濡れた口元をシャツで拭ってから、左薬指を見る。
「あ、これ?」
「なんでまたつけてくるようになったんですか? ここへ来初めの頃ってそれつけてきてませんでしたよね、たしか」
だから俺はお局のおばちゃんが言う『48才独身』を信じたのだ。
戸隠さんは大きく開いたシャツの前ボタンを下から順番に留めながら言った。
「最初はつけてきてたんだけど、途中から外したんだ」
「どうして?」
「君の反応が見てみたくって」
「俺の?」
「初めて見た時、真正かどうかは別として、この人は同性でもイケるんだろうなっていうのはわかってた」
ただ美俊さんへの操立てもあったし、昔からそういう視線にさらされてきていたから慣れっこになっていたせいもあって、当時の戸隠さんには別にこれという特別な感情はなかった。
指輪という牽制を前に、それでも粉をかけて来るかもしれないし、こないかもしれない。どちらでもよかったのだ。
「でも湊人君、思わせぶりな態度とりながら全然それっぽい誘いをしてこないじゃない?」
戸隠さんはネクタイを結びつつ、少しすねたような口ぶりで言った。
俺には最初からずっと明らかな下心的興味があった。ただ5年前の別れがあって付き合うほどのモチベはなかったのだ。
友人以上のお知り合いになれたらいいなくらいの妄想はあったけれども、それは相手がそう思ってくれればいいな、くらいのもので、自分からガンガン行くつもりはなかった。そのつもりだったから指輪については意識もしていなかったのである。
俺が声をかけてはくるけど一向に粉をかけてこない。
どんなものが好きかとか、共通の趣味や美味しい店などの情報交換はするのだが、連絡先を交換しようという積極性もない。かといって興味がないのだろうか、とみているとそういうわけでもない。
情熱的な視線や意識はガンガンに向けてくるくせに、いわゆる普通の職場の人間関係というラインを全く超えてこない。
そのことに、戸隠さんからしてみれば違和感があった。
「正直、ちょっと拍子抜けしたよね」
だから逆に興味を持った。
いつのまにか、営業所に来るたびに作業しているふりをして俺の姿を探した。その視界に入ろうとし、声をかけてもらえるようタイミングを探っていたのは戸隠さんの方だった。
「知らなかった」
「普通、監査作業するのに別室使わないわけないじゃない?」
「うん。それは、そう」
愕然とする俺に、戸隠さんは気まずそうに視線をそらして肉付きのいい体を少々竦ませる。
そのせいで同僚達は彼の檄詰めがいつやってくるか、睨まれた蛙のごとく戦々恐々としなくてはならなかった。それもこれも俺のせいだと今知って、申し訳ない気持ちになる。
そしてあの昼休み、俺がエレベーターで上階へ行くのを本社へ戻ろうとしていた戸隠さんは見つけた。
戸隠さんが20代後半の頃に鬱症状に陥った同僚社員が屋上で飛び降り騒動を引き起こした。以来、屋上の扉は閉め切られていて出られない。
それなのに昼休みに社員が上階へ行く理由は6階のトイレ しかないだろう。戸隠さんは長く在籍していた経験上すぐに理解した。
「階段で追った」
4階分である。
俺は彼の好奇心がもたらす執念に驚嘆しかなかった。
トイレの前で息を整えて、扉を開く前、俺の声が聞こえた。それは切なげに戸隠さんの名前を呼んでいた。
「じゃあ、あのときからもう俺が美弥さんのことを好きだったの知ってたんですか?」
「うん。だからなおさら手を出してこないのが不思議でね、誘惑してみた」
「よくできましたね。自分から誘うことってなかったんでしょ?」
「なんかそのときはムラムラっていうかモヤモヤしてたんだよね。それが気持ち悪かったというか」
俺へ散々かぐや姫仕草をしているくせに、自分が曖昧な状態に置かれることは嫌いらしい。さすが数字を扱う経理職。
「で?」
「タチなんだな~ってわかった」
そりゃあそうだ。
ネコがタチの胸でパイズリはない。いや、ないとはいいきれないがまずあの誘惑で挿れる一択を即決で選ぶのはネコじゃない。
戸隠さんはくるりと振り向いて俺の方を見た。
「あの時は……いろいろとあってね」
どうやら娘さんが高校卒業したら家を出ると言い出したきっかけは、戸隠さんが娘さんの本当の父親でないことを彼女の母親がバラしたからだった。
バラした理由というのも戸隠さんが美俊さんの遺言にだけ従って家族ごっこを続けている不満からとのこと。
「好きになっちゃったってことですか?」
「純粋な愛情じゃないと思うけどね。いろんな打算とかもあって、その上で僕が必要で、それを愛情にすり替えてるところはあると思う。でも戸籍上、僕と彼女は親子なんだから、血が繋がっていようといなかろうと、好きとかどうとかの感情があろうとなかろうと、結婚とかそういう法的繋がりは持てないのは仕方ないじゃない?」
何より彼はゲイだ。彼を戸隠家に繋いでいるのは家族の絆や美俊さんの奥さんに対する情ではない。求められたところで娘の父親以上の役はできない。
美俊さんの遺言が、綻びを見せ始めていたときだったのだ。だからふらふらと俺に誘惑を仕掛けるなんてことに及んだ。
「そんな時に、Lemonで湊人君に会った……本当、偶然で」
運命かよ。
俺はあまりにもエモい展開に両手で顔を覆った。ご都合の神様はベタな展開が好きすぎている。
指の間からちらりと戸隠さんを見る。
「俺の気持ち知ってて、あんな態度とってたんですか? 俺、ずっと美弥さんに振り回されてたんですよ」
「だって、それは……僕は君よりずっと年上だし、タチ同士だし、家族がいるし、美俊さんの約束があったし……でも、楽しくて……一緒にはいたくて」
フルブレーキとベタ踏みアクセルの状態の二律背反。
俺も振り回されたけれども、それ以上に戸隠さんは振り回されていたに違いなかった。
「でももう湊人君にはこの指輪の来歴を話したし、その上で君が待ってくれるって言うから。無理に離れようとするものって、余計に執着してしまったりするじゃない?」
飽きるまでもう少し付き合ってみようと思ったのだ、と戸隠さんは言って淡く笑う。
美俊さんの呪縛に捕らわれる自分に対するどうしようもなさを自嘲しているようでもあり、俺に対して申し訳なさを謝るようでもあった。
その笑みが儚く尊い。
たまらなくなった俺は思わず彼の綺麗な唇を奪っていた。
「あっ……みな…………ん」
唇の表面だけが触れる恭しいキスだ。
戸隠鳩が豆鉄砲を食らっていた。
「本当は最初からこの程度で我慢するつもりだったんですが」
「ふふ。仕方ないんじゃない? 僕だって、君より歳の分だけ低温なだけで、同じ年齢だったらたぶん同じだけ欲しがってたと思うし」
さて、と足下の荷物を手に取って、戸隠さんは眼鏡の弦に軽く触れて位置を整える。いつもの経理の鬼としての顔つきに戻っていた。
「本社に戻らないと。今年最後の監査だから、今からが本番」
「遅くなるんですか?」
「世の中がクリスマスでいつも浮かれてるときは、大体午前様ですよ、本社経理ってのはね。お疲れ様」
戸隠さんが先に出る。静かな空間に彼の靴が階段を降りていく音が響いた。
俺は見送ってから、少し遅れてトイレを出る。
階段の手すりから彼の姿を探したけれども、もうどこにも見えなかった。
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