49 / 54
11.戸隠さんとカウントダウン⑦
テレビはNHKで紅白歌合戦が始まったところだった。
布地の少ない下着と少し裾が長めの長袖のTシャツ姿の戸隠さんは、その正面でソファーを背もたれにして床に座る。ぽやんとした様子でオイルサーディンを肴にワインを飲んでいた。
その後ろで俺はソファに座って彼の髪を乾かす。トップバッターが歌い出したが、ドライヤーの音で音楽は聞こえない。
髪がさらっさらになったところでドライヤーを止めた。
「レコ大派じゃないんですね」
「最近の歌、よく知らないし」
「俺も。カラオケとかは?」
「昔は行ってたけど、一人で」
「一人ですか?」
「音痴なんだもん。湊人君は巧そうだよね」
「でもないですよ。普通です。今度行ってみます?」
「いいの? ほんとに下手だよ。古い歌しか歌わないし」
「いいんじゃないですか? 去年の紅白だって、結構古い歌やってたでしょ」
「っていっても、僕らの世代では現役感覚だったんだけどねぇ」
ドライヤーを片付けて戻ってみると、戸隠さんは床からソファに移動して、膝を抱えて座っていた。体毛の薄い白いナマ足がシャツから見えているのが艶めかしい。
俺は隣に座ると、ぐいっと抱き寄せる。肘おきを背もたれにして戸隠さんを後ろから抱きしめた。
背もたれにかけていた仮眠用の毛布を足下に広げて戸隠さんごと包み込む。
戸隠さんが肩越しに尋ねた。
「飲む?」
「飲ませてほしいな」
戸隠さんがほんの少し口に含んで、肩越しのキスで口移しに俺にワインを飲ませてくれる。シャワーで温まった体にアルコールが染み渡って頭がぼうっとした。
「おいしい?」
「おいしい。おいしいですよぉ、戸隠さん~」
俺は戸隠さんを強く抱きしめて、その肩口に顔を埋める。鼻から大きく深呼吸した。
同じシャンプーとボディソープ、そして戸隠さんの甘い匂いが香る。抱きしめた体温が心地よかった。
「はぁ~……落ち着く」
「え~……加齢臭臭くないの?」
「全然。俺ね、若い子の脂ぎった匂いより、ボディーパウダーみたいな粉っぽい匂いが好きなんですよ」
「枯れ専だねえ」
ははは、と戸隠さんが笑い、俺にゆっくりと体重をかけてくる。その重みがまた心地よい。
あの人も心地の良い人だった。
ふと前の彼を思い出す。けれども5年という月日は残酷で、あんなに忘れるまいと誓ったその姿も、匂いも、声も、もう朧気にしか思い出せない。
むしろ今は何を思いだそうとしても、戸隠さんになってしまう。
それが切なくて、愛おしくて、ぐりぐりと戸隠さんに顔を擦り付けて俺は甘えてしまった。
「僕のこと、ほんとに好きなんだねぇ」
「最初からそう言ってるじゃないですか」
「じゃあどうしてお風呂で抱かなかったの?」
「んー……風呂場にゴム用意してなかったし」
俺は戸隠さんの手からワインの入ったグラスを取り上げてテーブルに置くと、するっと狭いソファに組み敷いた。
「あとは痛い思いさせたくなかったので」
「大丈夫だよ」
「知ってる。よくほぐれてましたしね。実は見ちゃったんですよね、俺」
俺は立ちあがって、ベッドルームへと歩いて行く。ベッドの下に置かれたかごを手に戻ってくると、ソファに座って、中から袋に入った黒いおもちゃを取り出した。
「これ」
それを見た戸隠さんの鳩豆顔は、さっきまで風呂上がりと酒でほんのり赤かった透き通るように白い頬が、血の気をざっと引かせて青く見えた。
「い、つ?」
「Lemonの忘年会があった日。おうちまで送って、ベッドに寝かせたら、枕の下から出てきました」
顔にぎゃっという悲鳴を描いて、声も無く戸隠さんは絶叫していた。
「なんでそれがあるの?」
「んー……最初から誰かに使おうとか思って買ったわけじゃないんですよね。自分用で」
「自分用?」
「戸隠さんに抱かれてみたいな、って思ったんで、そのために中を解そうかと」
「湊人君、バリタチ、でしょ?」
「美弥さんだってそうじゃないですか。だけどネコになってくれるんでしょ?」
「それは……そうだけど……勃たないから」
「勃たないなら勃たないなりの攻め方ってのもありますよ。でもそういうのなしにして、ただ自分のポジションを捨ててもイイって思うくらい、俺たちはお互いに相手に惚れちゃってるってことでいいんじゃないですか」
「湊人君……」
「……でもまあ、据え膳をくれるっていうんだから、食わないのは、ねえ? もうちょっと解したら食べごろになりそうだし」
俺はにこっと笑って戸隠さんの前で新品のおもちゃの袋をバリッと開ける。それをべろんと舐めながら、戸隠さんの足の間にじりじりと迫った。
「ま、まって……」
かわいらしい鼻にかかった高めの舌足らずな声で顔を真っ赤にして請う。彼はテーブルに置いたワインを手に取って、残った中身を一気に飲み干した。
「……準備、させて」
「一人でできます? 手伝いましょうか?」
にやっと笑って言うと、戸隠さんはばっと立ちあがってやけっぱちに叫んだ。
「それ! 別にイヤラシい理由で持ってた訳じゃないからね! EDの治療用で、び、病院から処方されたやつだし……」
「あ、そういうことですか。なるほど。いってらっしゃい。トイレにビデ、ついてるんで」
俺が見送ると、たたたと48歳の処女がトイレへと小走りに去って行くのだった。
ともだちにシェアしよう!

