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12.戸隠さんと俺とNew year,New World①
夢を、見た。
小さな体の彼が、俺の少し先で澄み渡った空を眺めていた。その空は、彼が静かに亡くなった朝と同じ景色をしていた。
『もう、大丈夫だね』
振り返ったその顔は、どんな表情をしていただろうか。
俺は、泣いていた。
彼がもうその空の彼方へ去って行ってしまうのだと知っていたから。
「まだ駄目なんだ」
と、俺は彼に縋った。
けれども彼は優しく頭を撫でてくれただけで、抱きしめてはくれなかった。
『君の側にいるのは、もう、思い出の僕じゃない。僕の側に居るのは、これから生きていく君じゃない。生きるための命の先を与えてくれるもの。本当の恋って、そういうものなんだよ』
かろうじて覚えている穏やかな声が、寂しく告げる。最後の口づけだけ、妙にリアルで現実の最後とまったく同じ感触がした。
『さようなら、湊人君。ああ、君がとても、愛しかったよ』
「いかないで……」
自分の声に唐突に目が覚めて、真っ先に目に入ったのは豊かで滑らかな男の胸だった。甘い匂いと、しっかりとした腕が、割れ物を抱くように俺を抱き包んでくれる。
「怖い夢でも、みた?」
顔を上げると裸眼の戸隠さんがうっすらとした夜明け直前の暗さの中で俺の顔を見つめていた。
「起こしました?」
「ううん。普通に目が覚めて、湊人君がかわいいなあ、ってぼんやり寝顔見てた」
タチらしい仕草に甘やかされて、俺はすりっと戸隠さんの背中へ腕を回してすがりつく。
戸隠さんが俺の腕の中で眠ってしまったので、そのままベッドに運んだ。布の接触を嫌うのでTシャツを脱がせた。やらしい気持ちがないわけじゃないが、今の関係性で睡眠姦をする趣味はない。俺も裸でベッドに入って眠った。
俺は彼の柔らかい胸に顔を埋めてすりすりと顔を擦り付ける。戸隠さんの長くて綺麗な指が髪を撫でてくれた。
「優しくて、愛しくて、悲しい夢です」
「前の彼氏?」
「もうさよならだと、言われました。彼がそんなこと、死ぬそのときだって言わなかったのに」
「好きだったんだ」
「ええ。好きでした。彼が本当に愛した奥さんが疎ましくなるくらい。でもどんなに好きで、どんなに幸せでも、俺には何も残されなかった」
晴れた5月の輝かしい午前。
彼は窓際によせたベッドから、妻が好きだった薔薇の大庭園が満開に咲き乱れる中で、契約通り俺に見守られながら逝った。
医者は呼ぶな。
子供も呼ぶな。
ただ君だけが最後を知る人であってくれればいい。
それだけを残して。
「俺がどういう気持ちで見送るのか、知っていたはずなんだ」
「だからこそ、満足してたんだよ、きっと。美俊さんと同じだ。先に逝く人の残酷な我が儘」
そして俺も戸隠さんも正しく恋を失うことができないまま、流れていく日々に取り残されてしまった。
俺は5年。
戸隠さんは16年。
改めて過ぎてしまった月日を自覚して、俺は自嘲しか出てこなかった。
「そこでエンドロールだったら、きっとすごい感動的なメロドラマだったんでしょうけど」
俺はうんざりと言った。
どうして延命治療をしなかったのか。
死に目に会えなかった。
危篤になったら呼ぶべきだろう。
家族に何か言付かっていないのか。
遺言はどうなってるのか。
俺は残された家族から集中砲火を浴びた。
彼らは家族の情が薄く、誰も妻を失った男寡 の面倒など見たがらなかった。だから俺という男の愛人の存在も、その男との何をしているかわからないような日々も道楽として見ないふりをしていた。
だが死んでしまえば別である。
金持ちの子供など、自分の取り分をいかに増やすかしか考えない。
生きているときは見逃していた俺の存在を蛇蝎のように嫌い、3年という付き合いで手にした彼との持ち物は何一つ形見として分けてもらえることも無かった。ともに過ごしたバラの園の屋敷は、売りに出されて三件の建て売りに変わってしまった。
「3年間、良い思いをしたんだから、その思い出で十分だろう、だって」
俺と付き合っているとき、彼からは亡くなった妻に対する惚気は聞いても、他の家族については愚痴も含めて一切聞いたことはない。
だが亡くなった後の現実を知るにつけ、そういう結果を生んだのは仕方ない人生の因果だとわかっていても、彼の抱えていたであろう寂しさが切なかった。
「もうとにかく散々でした。トラブルになりそうなことは亡くなる前にこっそり弁護士さんにそつなく手回ししてくれてたから、結局俺は契約以上のダメージって取り残された恋心以上にはなかったんだけど、まあ面倒でしたよね」
俺は戸隠さんの左腕をするするとなぞり、左手の薬指に触れる。
美俊さんが残した呪いの証。
愛人であった俺に何か残せばそれが今後の人生を苦しめるくらいはわかっていたのだろう。
美俊さんに比べれば、年配者としての思慮の深さはあったのかもしれない。
「彼は結局、最後の言葉以外を残してくれなかった」
だから逆に俺は執着することになってしまった。
彼を失った辛さと、薄情な血族達への怒りに反発して。
本当に自分が愛したという記憶を無かったものにされたくないから意固地になっていた。
忘れているはずなどないと思い込んでいた。
忘れまいと、思い続けていた。
「でも、もう、彼の笑顔がどんなものだったのか。何一つも思い出せなくなってた」
声が震えてしまった。
悔しかった。自分の誓いを失った不甲斐なさが。
愛おしかった。彼を忘れさせた目の前の戸隠さんが。
「湊人君」
戸隠さんはそんな俺を抱きしめたまま、俺の背後でごそごそと腕を動かす。ぐっと体を伸ばすといつも時計をおいているサイドテーブルにことり、という堅い音がした。
俺の両肩に触れた戸隠さんの手に金属の冷たさはない。
「美弥さっ……」
サイドテーブルに置いたものは何か。真意を尋ねようとしたが、唇はのしかかってきた彼の唇で封じられた。
ゆっくりと、唇を、口腔内を彼の巧みな唇が、舌が愛撫する。決して強引さも、性急さもないのに、熱意の高さを感じてクラクラする。
ああ、このまま抱かれてもいい。
体中から力が抜ける。脱力した俺の体をタチとしての戸隠さんの指が、唇が、滑らかな肌が触れ、ふれあったところから低めの体温が俺の体温と交わって浸潤していく。
汗ばむ体が滑る。キスだけでイッてしまいそう。戸隠さんの中に眠っていたバリタチの性を感じて、俺は白旗を揚げていた。
布団の中で体中にキスマークをつけながら戸隠さんが体の脱力具合とは正反対にいきり立つムスコに近づいていく。
「うっ……ッ」
筒先が粘膜に包まれ、巧みな舌使いで弄ばれた。
「あ……あぁ……あ……ん……はぁ、ん……ぁぁ……」
戸隠さんの美味しそうなものを食べるときに似た甘い吐息と舐めるときのずるぅという音がイヤラシい。
その心地よさに意識を奪われて、実は彼の長い腕が布団の外にあったゴムに手を伸ばしていたことに気がついていなかった。
パチン、とゴムが根元まで覆われた音が小さく聞こえる。はっと我に返ると、布団を頭からかぶった戸隠さんが俺を見下ろしていた。
かすかに白んでくる外の光がカーテンの隙間から部屋をうっすら照らす。その淡い光で見る戸隠さんは聖母のようで、息を飲むほど綺麗だった。
俺は右手を伸ばして戸隠さんの頬に触れる。その手に戸隠さんが左手を重ねた。その指にはやはり指輪がなかった。
「僕は、いつか指輪の呪いを解いてくれる人を探していたのかもしれない」
ちらっと見たサイドボードには、美俊さんの指輪がある。俺に尋ねることもなく、戸隠さんは自らそれを外したのだ。
「僕は早く忘れてしまいたかった。でも美俊さんの亡霊が、それを許してくれなかった」
戸隠さんは指輪を何度もはずそうと、捨てようと思った。そのたびに彼に一方的で歪んだ愛情を押しつけて、手ひどく抱いた自分の罪を思い出しては、後悔して、責めた。
そうやって忘れられないことに苦しみながら、その苦しみと残された現実的な枷に捕らわれて生きていた。誰ももう好きになる資格なんて自分にはないと諦めていた。
「でも、湊人君だけが、そんな僕をそのままで良いって言ってくれた」
この人なら、こんな自分と一緒に歩んでくれるかもしれない。戸隠さんはそう思ったのだという。
「君になら、抱かれたいって、思えたんだ」
ぬるっと俺のいきり立った肉棒が、温かい粘膜へ包まれた。
「ん……ん゛~~~っ!」
戸隠さんの苦しそうな声。彼のゆるりと勃ちあがった肉棒が俺の腹の上で透明の液を筒先から流していた。
俺は腹筋を使って上体を起こす。戸隠さんは上半身を硬くしたまま、自分から俺を銜え込んでいた。
ぺたん、と座り込む形でムスコをすっかり花蕾の鞘へ飲み込んでしまう。昨晩散々弄って解したお陰で傷ついてはいないが、慣れない密度の熱に戸隠さんはしばらく動けなかった。
「大丈夫? 痛くない?」
俺は彼の体を軽く撫でてやる。全身で反応しているせいか、触れるだけで肌がざわっと波打つように震えて、泣きそうな顔を真っ赤にして俯いた。
「酷く……シて」
自分が美俊さんにしたように。
痛くても、苦しくても、ただ愛情を自分勝手にぶつけるように抱いてほしい。
そうされることでようやく自分が美俊さんに対して抱いた罪から解放されて、次に進めるのだ、と戸隠さんは信じていた。
「違う」
俺は戸隠さんをぎゅっと抱きしめる。小さく喘いで、戸隠さんはしなやかな腰を逸らす。中がぴくりと震えた。
「しません。するわけがない。美俊さんが亡くなったのは、あなたのせいじゃない」
「わかってる。でも、僕が次に進むためには、必要なんだ」
「そうじゃない。美弥さんに必要なことは、ただ愛されることだ」
俺は戸隠さんの頬を両手で包み込んで口づける。
愛しいと、愛しているのだと伝えるための口づけだ。
そこから逃げようとする戸隠さんの後頭部に手を沿わせて逃さぬように固定した。
性急に、強欲に、深く、強く戸隠さんの矜持も後悔も罪悪もすべて奪い尽くす勢いで口づける。離れた時、俺と彼の舌先を透明の糸が繋いだ。
「覚悟を決めて」
「湊人君」
「本気で、俺に愛される。それを受け入れる覚悟をして。今からあなたを本気で抱くから」
視線は逸らさない。
俺を飲み込んだ中がまたきゅっと締め付ける。
今にも泣き出しそうな顔で、潤んだ瞳で、戸隠さんは両腕を伸ばして俺の首にすがりついてきた。
「好き……大好き……僕を、何も考えられないくらい抱いて。愛して。湊人君がほしいよ」
「俺も、ずっと抱きたかった」
俺と戸隠さんは抱き合ったまま互いの気持ちをぶつけ合ってキスをする。そのまま軽く腰を揺らすだけで、戸隠さんの筒先からは透明の汁が止めどなく流れ出てくる。軽く中で動いてやりながら扱いてやると、キスしたままでも嬌声が止まらなくなった。
これまで正しく恋を終わらせることができなかった俺たちに、新年の朝日が差し込んでくる。
触れられない神に永遠の片思いをする殉教者として生きるのは寂しすぎる。
ここで終わらせよう。
自分として生きる。
生まれ直す。
そのためのセックスをする。
新しい世界をこれから生きる。そう、決めて。
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