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第3話

 繁華街のメインストリートにある四角い箱のような建物。荘厳な周囲の建築様式とは全く違っていて、何度見ても異質さを覚える。  パッと見は窓もない。地面からライトアップされているからこそ、四角さが際立つ。正面にこれまた真四角に開いた出入口があり、道路とスロープ一本で繋がっているだけだ。建物の横には入店待ちの客の列ができていて、皆思い思いに着飾った衣装でいる。  界隈で「キューブ」と呼ばれているこの街一番のクラブだ。クリスチャンが経営している店のひとつでもある。私の乗るリムジンがそこへ横付けされる。運転手が先に降り、小走りにフロントを回って扉を開き、頭を下げた。  深い柔らかなシートから体を起こすのが少し億劫で手を差し出すと、運転手が一瞬迷った後、私の手を取った。そこからドクドクと早い脈を感じ、運転手が緊張しているのがわかる。苦笑しながら「ありがとう」と告げ、できるだけ心配をかけまいと素早く手を離し道に立った。運転手の手が少しだけ不安げに追いかけてきた。  列の客を横目に入口に向かうと、自ら重々しい扉を開くこともなく門番の黒い肌の男が導いてくれた。暗い店内に入っても、背後からスタッフの男が数人ついてくる。  「レオニス様、到着」そうインカムに囁く声が密かに聞こえた。見知った通路を進むと、先々で黒服のスタッフが掌で行先を示す。今日はいつもとは違うVIPルーム案内されるようだ。  防音の扉が眼前で開かれると、途端に光と音の洪水だ。高い天井にはスポットライト。それがひっきりなしに回転してダンスフロアで踊っている客を照らしている。  予測はしていても耳を塞ぎたくなった。  明滅する光を直視しないように目線を少し落とす。  酒瓶が整然と並んだカウンター、ブース席はほとんど埋まっているようだ。いつ来てもこのクラブは繁盛している。まあ、それはそうか…ここはつまるところ我らが一族の気軽な「食事処」でもあるわけだし。  吸血鬼を信奉する者、取り入りたい者、もちろん単に遊びたい者…様々な思惑があるだろうが、根底で繋がっているのは欲望だろう。  黒服に導かれ、VIPルームに繋がる緩やかな螺旋階段を上がる。  それだけでも目が回りそうで思わず手すりをつかんだ。その時、階段の下にキラリと赤く光る異様な何かを見たような気がして目を止める。だが、少し視線を巡らせても正体はわからなかった。  ガラス張りの部屋に入り扉が閉まると、音楽は遠のいた。床が微かに振動しているのは重低音のせいだろう。  シンプルで近代的な調度品で整えられた一室。淡い電球色が磨かれた大きなガラステーブルに映る。それを囲むように備え付けられた白い角ばったソファに腰を下ろすと、イメージと違って柔らかかった。  ついてきていた黒服の集団はひとりを残してどこかに消えていた。気配を殺して扉の前に立っている。  私は彼がひどく緊張していることに気づく。  早い血脈の音や、少し泳ぐ視線、体から発される匂いで。 「緊張しなくてもいいよ、君も見ただろう? 若くは見えるだろうが、短い階段を登るのさえ大変なくらい私は衰えているから」  そう言っても、彼はハッと私を見てからすぐさま視線を自分の靴に落とし「いえ」と短く答えただけで、更に緊張をさせてしまったようだ。  私2人分くらいありそうな男なのに、今は小動物のように身を縮こまらせているのを少し面白くも、哀れにも感じた。 (声をかけなければよかったな)  奥歯を噛んで、小さな寂しさを飲み込む。  いたたまれない空気がこの部屋を満たす前に、扉が再度開いた。 「レオニスぅ! すまんなぁ、いつもの部屋じゃなくてよ」  現れたのは、腕を大仰に広げた、真っ白のスーツ姿のクリスチャンだった。見事な赤毛は今日も炎のようにふわふわと輝いている。少し軽薄な笑みだが、金色に光る目には親しみが滲んでいる。20代に見えるが、彼もまた古参のひとりで…仲間達は不思議がるが、私の親友と呼べる存在だった。 「あーあ、またそんなに枯れちまって…体は大事にしてくれよぉ、レオニス」  私の隣に座り、握手を求められる。  だが彼のまとうにおいに思わず顔を顰めた。 「お前、『食事』の後だな?」  強烈な人血のかおりに、思わず体を離した。 「あ、すまん。ちょっと小腹を満たしたからよ。んもぉ、鼻がいいのも困りもんだな」  クリスチャンはそれ以上近づいては来ず、扉の前に立っていた黒服を見ずに手で合図をした。彼は出ていくと、すぐに銀のトレイを持って戻ってきた。 「ちょっとでもいい食事をな。いいか?バランス良くくわねぇとだぜ?お前はフツーの栄養吸収が出来ねぇんだからよ」  机に置かれたトレイからクローシュが取られると、ふわりと甘やかなトマトの香りがした。  プラント肉と野菜を一緒に煮込んだトマトスープ。みずみずしい生野菜のサラダに、未だ湯気の立つポテトペースト。ほのかに塩と胡椒の香りがする。  今の私にとっては、人らしいこの食事の方が馴染みがあった。ほっとするとさえ思う。 「さあ食え、まだあたたかいから。お前はほっとくとそこらへんで売ってる食材をそのまんま齧ってるだろうし」 「ありがとう」  スプーンを手にして食べる。  きゅっと舌がすくむような酸味あるスープ。しかしその後にはまろやかな甘みが追いかけてきた。柔らかくなった玉ねぎも、人参もするすると喉の奥に入ってゆく。プラント肉も、最近はより開発されて、旨味が昔の本物の肉に近づいてきた。ポテトも丁寧にマッシュされた後、練られているようで滑らかな舌触りだった。けれどほくほくとした味わいはそのまま。  体の中心が、温かくなる。  おいしい。  純粋に思う。  食事中、クリスチャンは何も言わずにただ私を見守っている。その顔が少し困惑しているのも、いつもと一緒だ。  約束していた上物のワインも、追っかけ到着して、クリスチャンと軽く乾杯をする。 「とても美味しかったよ。いつもの食事より」  空になった皿を眺め、ほんの少し感じる幸福感で腹を撫でる。事実、いつもクリスチャンが提供してくる見た目ばかり美しい創作料理より美味で、素朴で…優しくて、何故か懐かしさを感じた。 「そっか。ならよかったぜ。…最近雇った流れ者のバウンサーがたまーに作る料理が美味いってんで試しに俺も食わせてもらったのさ。見た目に華やかさはねぇが、なんつうか先の世でよく食った味わいでよ。お前は好むんじゃねえかと思って、特別に作らせておいたのさ」  何故かクリスチャンが自慢げに話す。手柄というならその料理をしたバウンサーだろうに。 「そうなのか、そのバウンサーに礼を言いたいぐらいだよ。何なら私が料理人として雇ってもいいくらいだ」  そう言うと、クリスチャンは食い気味に吹き出す。 「あー、ダメダメ! あの男おっそろしく無愛想だし、オーナーの俺に対しても不機嫌を隠しゃしねぇ。腕っぷしも凄みもあるが、料理人って柄じゃねぇよ」  そう言われると、逆に少し興味が湧く。だがそれ以上言及することでもないし、他人との煩わしい関係を私自身望んではいなかった。「そうなのか」とだけ言って、ワインを含む。 「よかったぜぇ、少しだが血色が良くなったか?」 「一度の食事くらいで、昔みたいにはいかないが…料理が温かったからかな」 「まぁ、お前は少し力を削がれてるくらいがいいのかもな、別に偏食してても死ぬわけじゃねぇんだしよ」  それには答えず、ワイングラスを回した。赤い液体がうねる。 「なんで、血が飲めなくなったんだろうなぁ…」  クリスチャンと話していると、いつもそんな風に問われた。いや、彼は問うているんじゃないだろう。もはや事実となってしまったことを何とか受け入れようとしているのだ。  私も一緒だ。  吸血鬼の身で、何故人間の血を受け付けなくなったのか。真祖と呼ばれる1番古い血を受け継いでいるはずなのに。己自身理解していないのだ。 ただ、飲みたいと思わなくなった。  義務的に飲んでも、吐き出してしまうか、息が詰まって昏倒してしまう。死ぬことはなくても、何日も寝たきりになり、むかつきが治らない。  人間でいうところのアレルギー反応、アナフィラキシーショックではないかと気づいた時、愕然としたが……もはや2世紀前の話だ。その間、一度も人血を口にしていないが、私は生きている。もちろん、全盛期の力は発揮できないが、今の世では特に問題も感じなかった。 認めざるをえなかったというか、諦めたというか。  これが今の私なのだ。 「おっと」  クリスチャンが不意に言う。密かに何かが振動する音がした。彼はスーツの内ポケットからモバイルを取り出す。私に向かって目配せをしてから「もしもし」と応答する。  他人の電話に聞き耳を立てているのもよくないし、ほんの少し精気を得たので、立ち上がり窓に近づく。階下のフロアが一望できる。鮮やかなライトの中で踊る大勢の姿や、ブースで談笑したり戯れたりする客達があった。一昔前には想像できなかった光景。あの大災害で、人類は石器時代に逆戻りしてもおかしくなかったのだから。 「すまーん、レオニス。少し席をはずす。今日は別室にニンゲンのお偉いさんが来ててよ。そっちに顔出してくるわ」  背後で電話を切り、クリスチャンがさも残念とばかりの声を出した。振り返って首を振る。 「気にしないでくれ。料理、ありがとう。…来てよかったよ」  そう言うと、クリスチャンは歯を見せて笑う。 「なんならゆっくりしてってくれ。言えばワインはもっと持ってこさせるぜ」  彼はひらひらと手を振り、足早に部屋を出てゆく。黒服を従えて螺旋階段を下ってゆくのをガラス越しに見送る。白いスーツがフロアを踊るように客の合間を縫ってゆく。対面にある別のVIPルームに消えるまで、ぼんやりと見ていた。  ただ、彼のことを考えていたわけではない。  クリスチャンの赤毛が、さっき食べたトマトスープを起草させるなと。 「おいしかったな…あのスープ」  ひとり呟く。  そうすると口の中に、あの味が蘇るような気がした。舌を動かし、口内を探ったが…歯列の感触を感じただけで少し落胆した。  目を伏せていると、不意にばたりと乱暴に扉が開いた。そちらに視線を動かせば、スコッチのにおいを強くさせた坊主頭の人間の男が女の腰を抱いて立っていた。女の服装は見えている肌より身につけている布面積がいちじるしく少ない。最小限といった感じだ。 「…君達を止める黒服はいなかったのかな」  私はワイングラスを机に戻しながら言った。 「アンタ、レオニスだな」  男が言った。最小限の女はひどく酔っているのか楽しそうに笑っている。  話が噛み合わないことに、逆に面白さを感じた。だがそれ以上に面倒だとも感じる。 「そうだ。君は?」  私は応えた。 「アンタがたまにここに来るとは聞いてたが…運がいい」  ことごとく、会話が成立しない。困ったな。  だが私が話すこともなく、男は続けた。 「俺は、この街の裏通りでここと同じような店を持ってるんだが、クラブといえばこのキューブだ…上客は全部こっちに来るんだよ」  私が無言でいると、さらに顎を引いて男は言う。話すたびに酒気が鼻をついた。相変わらず女は笑っているが、目はじっと私を見ている。 「で、だ。ここはアンタの街だ。アンタが作った理想郷なわけだろ? ここでは人間もヴァンパイアも平等に平和に生きられる……だよな?」  その意見には答えず見つめる。男は舌で唇を湿らせてから、続けた。 「なら、俺の店がもう少し儲けたっていいわけだ…。アンタが俺の店にも顔をちょっとでも出してくれりゃあさ、客の反応も上々になるわけで。俺の客は人間が多いし、アンタにとっても『美味しい』話じゃねえか?」  そんな風に言いながら、片腕に抱いていた女を私の方に押しやる。  もはや、呆れるということも私にはない。  人間は幼い。しょうがない、短命なのだから浅慮だ。  確かに、血気盛んな吸血鬼ならばそんな易い口車にも乗ったかもしれない。ちょっとした「軽食」ができる場所があればと考えるだろう。  まあしかし、私にとっては何のメリットもないというか。  考えたのは「裏通りの歓楽街の経営状況を調べておくか」というものだった。それほどまでに窮している店があっただろうか…男が女を更に私の方に押しやりながら、更に何か言っている中、この状況をどうしようかと自分の顎を摘む。 「揉め事か」  不意に音楽が大きくなった後、低い声がする。  新たな来訪者に目を向けると、扉付近に黒服がひとり立っていた。長身で、服の上からでもわかる程引き締まった身体をしている男だった。シャープな顎に髭をたくわえた顔の左には眼帯、オールバックの黒髪だが額から右頭上にかけて白い髪が線を引いたようにひとすじある。瞳はひとつしかないが、それだけで他人を凄むには十分な眼光だった。  見覚えのない顔だった。 「うるせえ!すっこんでろ!」  私との話を遮られた男が怒鳴る。人間は元気だなと、私は思った。怒るのにも労力がいる私とは違う。  私は黒服の男に軽く肩をすくめた。 「随分酔っているらしい。彼らは休んだほうがいいだろう」  そう言うと、黒服は顎を少しだけ動かして、歩み寄ってきた。私の視界が男の背中だけになる。 「出ろ」  低い声が言う。穏やかだが否応のない…いや、自分の方が「格上だ」と理解している声音だった。黒服がどんな表情をしているのかはわからなかったが、酔客が顔を怒気に赤くしているのは見えた。女は私を見た時のような目つきで、黒服を見上げていた。  唐突に。  酔客がガラステーブルに乗っていたワインのボトルを掴み、黒服の額に打ち下ろす。鈍い音がして、砕けたボトルと、飛沫が床に散った。  衝撃に、黒服の体がのけぞり私の方に傾ぐ。思わず受け止めようと腕を出す。垣間見えた黒服の口元は痛みにか歪んでいたが、瞳は炯々と紅く無感動に見えた。  スローモーションのように、その高い鼻梁を辿って液体が飛ぶ。  私の肩や襟にも赤い雫が散る。頬にも温かい液体がかかる。  それはワインだけではなかった。  血。  血の匂い。  芳醇で、濃厚な香り。  一瞬目が回るような酩酊感を覚え、思考が霞む。  飲みたい。  私の脳内が、その言葉で埋め尽くされた。
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