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第8話
「自己紹介がまだだったな、私は…」
「レオニスだろ。知ってる」
「食事」を終えて、身体を起こし居住まいを正しながら言った男の言葉を遮った。ほんの少し怠いが、問題はない。
咬まれていた首筋を撫でるが、手に血がつくこともなかった。
チラリとレオニスを見ると、ツヤツヤしていた。
そりゃそうだろうな。不老不死の血を取り込んだんだ。髪はキラキラと輝き、きめ細かい肌には赤みもさし、唇も淡く桃色だ。初見の時よりずっと若々しい。
人間の血からすると、俺の血は言うなれば毒に近いはずだ。アルコール度数の高い酒のように。それを美味そうに飲んでイキイキしてるのは、やはり強靭な真祖だからだろう…多分。前例がないから俺もわからなかった。
「じゃ、取引だ」
腕を組み、レオニスに向き直る。
「取引?」
「お前、これからも俺の血が欲しいんだろ」
ズバリ言う。俺を自分の部屋に連れ込んだのを見ても、レオニスにその意図はあったはずだ。男はギョッとしたが、こくりと頷く。
「スラッシュさえ良ければ。もちろんそうできたら私は嬉……」
「俺が求めるのは安定した衣食住だ。この街で俺が生きて行けるように骨折ってもらおう。身分も保証してくれ。それが交換条件だ。俺はお前に2度も血を与えたんだ、断れねぇだろ」
「そんなことでいいのか?」
レオニスはきょとんとしている。
苦労を知らない奴だ。
「人狼の俺にとっては難しいことだ。人間の救済者として崇められ生きてるお前達とは違って、こっちは今でも日陰者だ。自分を人間と偽って生きている。個人を証明するIDもねえとなると、まともな生活はできん。ひとところにい続けることもできねえんだ」
「そうか、なら今までずっと旅していたのか。この街に来てどれくらいなんだ?」
「来たばかりだ。まともな仕事にはつけんから、キューブで流れのバウンサーとして雇われた」
「そうだったのか」
レオニスは好奇心に目を輝かせている。身の上を話し続けているとここ千年までの生い立ちまで根掘り葉掘りと聞かれそうで、話題を切り替える。
「だから、お前には俺の後ろ盾になってもらおう。この街の創始者であり総帥のお前には容易いだろ?」
「もちろんだ。お前が望むだけ、何不自由ない生活を保証しよう」
俺は首を振った。
「普通でいいさ。豪華なもんに興味はねえ。寝るとこと食い物に困らず、それなりな仕事があればいい」
「仕事? 仕事がしたいのか?」
レオニスが不思議そうに首を傾げる。
俺も首を傾げた。
「あ? そりゃそうだろ。暇じゃねえか」
「この街には遊ぶ場所だって沢山あるんだ、遊んでいたっていいんじゃないのか?」
「ならお前は、ずっと遊んでいて楽しいのか?」
訊ねると、レオニスはハッとして考え込んだ後「確かに…」と呟く。同じ「ほぼ不老不死」。気持ちはわかるはずだ。
「時間に限りがあるから、欲がある。だから娯楽ってのは映える。だろ?」
「そうだな。私達にとっては永劫続く道を、どう上手く構築するかを考えて頭を捻っている方が退屈しない」
理知的で吸血鬼らしい例え。俺は単純に日々を生きていく手段が欲しいだけだ。
神妙な顔で男は頷く。
「わかった、仕事も用意しよう」
「概ねそれでいい」
本 当は個人IDが貰えるだけでも十分だ。永久機関で血は俺の体内で作られる。俺からすれば見返りは充分過ぎる。この男に餌扱いされるのは癪に触るが、その先に安寧があるなら我慢もできる。
それにまあ、さっきみたいな吸血なら。
誰もが平伏するこの街の王者が、無垢な赤ん坊みたいに可愛らしく音を立てながら大事そうに俺の血を啜ってるのを見ているのは悪くなかった。
優越感さえ、味わった。
それに…
それに? 何だ?
不意に覚えた違和感に眉を寄せる。俺を見ていたレオニスが「どうかしたか?」と問う。
「いや、何でもない」
頭をよぎった淡い霧のような、不確かな感情を隅に追いやる。
「私はその、2日に一度くらい、今ほど血が貰えたら。いや、1週間に一度でも」
もじもじと組んだ指で手の甲を揉みながらレオニスは言う。
「別に今くらいなら毎日飲みゃいいさ。俺には好条件だ、お前には死活問題だろうし、俺も足元見るようなことはしねえよ」
「いいのか!」
目を輝かせて顔を上げた男は心底、純粋に嬉しそうだった。
そうされるとゲンナリしてしまうのは、やはり自分が餌なんだなと再認識するからだろう。
「いいけどよ、絶対チャームは使うな」
「無理矢理はしない。約束だ。お前が嫌なら、極力目を合わせないように努力もする」
そこまでしなくてもいいと言いかけて、やめた。俺が譲歩することでもない。
「俺の血がお前の口に合わなくなるまでは、約束守ってもらうぜ」
「そんな、スラッシュの血は本当に美味しい! 嫌になることなどない」
力強く言ってのけたが、過去、吸血鬼のくせに人血が飲めなくなった奴の台詞だ。信憑性はない。白々しく眺めはしたが、本人は気づいていないのか、俺の血の美味さをワインの味を評するソムリエ並みに語っている。
「…とにかく喉ごしもいいが、身体に入った途端に広がる甘みはまるで熟れた桃の……」
「やめろ」
俺の呆れた声に、ようやくレオニスは口をつぐむ。それでも目を閉じて味を回想しているようだった。
だが、ハッとして男は背を伸ばした。
「では正式に契約書を。紙や電子データであった方がお前もいいだろう」
そう言って立ちあがろうとする。
「いらねえよ、紙なんて」
「しかし、不確かでは双方共に…」
困ったように眉を寄せているレオニスの頸に手を伸ばす。
掴んで引き寄せる。
しっとりとした唇に、俺の唇を重ねる。
男が息を呑むのがわかった。
少し顔を傾け、舌を歯列の間に押し込んで、中にある舌先を自分の舌で呼ぶ。
「!……ンっ…」
先をほんの少し噛んで傷をつけると、レオニスが呻いた。細い指が俺のニットの襟を掴む。
口内に滲んだ血を啜り取る。
瞬間、吐息が絡みあった。
薄く開いた目で、ブルーの瞳を見る。
複雑にカットされた宝石のように輝いていた。
舌が離れる時、僅かにレオニスの唇が追いかけてきたが、直ぐに我に返ったようで顎を引く。
「何を」
困惑の目が間近で俺を見る。動揺まではしていない。
レオニスの頸から手を滑らせ、滑らかな顎を指で辿ってから、俺も身を引いた。
「契約だ。吸血鬼には嘘偽りない絶対的な束縛として『死の接吻』があるだろう? それにならったまでだ」
レオニスはぱちぱちと瞬きした後、眉を深く寄せて顎を引き腕を組む。
「あんな古いやり方、今時はしない」
少し責めるように言われた。
「悪いが、俺は古風でな」
ニヤリと笑って見せる。
口内に残った僅かな血の味を楽しむ。
レオニスの血も、美味い。
忘れてもらっちゃ困る。
「狼」も肉食であることを――
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