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第9話

「こんなに必要か?」 「もちろん。これでも最小限だよ」 「一体、スーツだけで何着目だ…」 「シーンごとに使い分けるし、クリーニングに出す時だってあるんだ。替えがあって然るべきさ」  私はティーカップを皿に戻しながら言う。  スラッシュは鏡の前で2人の仕立て屋に挟まれて、項垂れている。その度に年経た方の仕立て屋に肩を押し戻され、姿勢を正されていた。 「そもそもお前は既製品の規格に合わない身体だ、仕立てた方がいい」  スラッシュは肩をすくめて、眉を上げる。 「ハイハイ、どうぞ着せ替えを楽しんでくれ」  そうからかい混じりに言われたが、実際私は楽しんでいた。他でもない、スラッシュの衣装選びや身の回り品の準備に。  「契約」を経て、彼は私の預かりとなった。後見人として彼がこの街で生きてゆく算段をせねばと考えていたところに、キューブから彼の私物が送られてきて、驚いた。  古いトレッキングブーツに擦り切れたモッズコート、くたびれた帆布でできたバックパックひとつだけだったのだ。  しかも、スラッシュはこの薄汚れたバックパックが全財産だと言う。中には着古したシャツとデニムが一枚ずつ、下着と靴下が数枚と防塵用のスカーフとゴーグル、手袋…十徳ナイフに何故かこれだけ真新しいむき出しの歯ブラシが一本。出会った時に着ていたシャツやスラックスはキューブで貸し出された制服だったらしい。 「ダメになればそれだけ買い換えりゃいい」  スラッシュはこともなげに言い、彼が言葉通り着の身着のままで生活していたことが伺えた。  借りている部屋さえなく、街では安宿を転々とした後、金が尽きれば裏路地で眠り、キューブのバウンサーになった後は、スタッフに開放されていた店のバックヤードを住処にしていたらしい。  私は野良犬を拾ったような気分になった。  いや、いまや本物の犬の方が保護されている身分だ、それにスラッシュは人狼…つまり狼なわけだから野生で野良というのも……ややこしい。  とにかく、彼の身の回りを整えなければ。  そうして今に至る。  車で移動しながら一日中表通りのブティックを歩き回り、彼に衣服を買い与えた。  彼は別に興味もなくついてきていただけだ。服を試着しても自分で選ぶこともせず、私の言うがままで始終退屈そうにしていた。意見するときは「窮屈」や「首筋がちくちくする」など着心地を評するだけだった。  高身長で立派な体躯のスラッシュは、何を着せてもよく似合った。ヘアスタイルや髭も私のホテルに勤めている理髪師に申しつければ、キチンと整えてくれる。  きっと見目の良い「ボディガード」となるだろう。  そう、スラッシュは私専属のガードとなる。  彼の新たな仕事だ。  今までも公的なシーンではボディガードを用意していた。ここ100年ほどは著しく身体が弱っていたから不測の事態には必要だったし、周囲に対しての牽制を含め、ジェスチャーとしての存在でもあった。  ボディガードは私が所有し運営する、街の中心にあるあらゆるアミューズメントを有したホテル「ステラ」のセキュリティの者達だ。常時はホテルの警備にあたっている。ホテルのスタッフ達はほぼ人間で構成されているが、セキュリティだけは違う。彼・彼女達は皆、血の濃さは様々だが吸血鬼だ。  つまり、私は一族に守られながら日々を過ごしている。専属の運転手も吸血鬼だ。 「よろしゅうございます」  仕立て屋が私に言い、頭を下げる。  既にスラッシュはピン留めだらけの採寸服を脱いでいた。ほんの少し光沢のある合成シルクのシャツに、既製品の黒いツーピースをつけている。真新しいモンクデザインの靴なのは、スラックスの丈が少し足りないせいでカジュアル気味になったからだろう。 「よく似合ってる」  褒めたのに、スラッシュは短く鼻で笑う。 「セキュリティにいくのに、さっきの服じゃだめなのかよ」 「お前がスタッフ達に軽んじられてもいいなら、さっきの普段着でも構わない」  立ち上がりながら意趣返しに冷たく返すと、スラッシュは一瞬私を睨んだが、言い返しはしなかった。スラックスのポケットに片手を引っ掛けてついてくる。  ブティックから出ると、路駐をしていた車から運転手が出てきてドアを開ける…が、彼は様変わりしたスラッシュを見ていた。スラッシュは自分の私服が入ったショッパーをトランクに言葉通り押し込んでいる。他にも買い物を大量にしたからぎゅうぎゅうのはずだ。  その間も、道ゆく人々の視線はスラッシュにあった。  私が乗った後部座席の前に彼は身体を滑り込ませると、自らドアを閉めた。すぐに車は走り出す。新しいシャツの首筋が気になるのか、しきりに指でしごいている。 「肌にあわないか?」  訊ねると、スラッシュは半眼を向けてくる。 「違う。お前と街を歩くと、背中がむず痒くなる」 「何故だ」 「メテオラの顔役と一緒にいるアイツは誰だって、不躾な視線をあちこちから感じるからな」  私は笑った。  もちろん、そういう意味もあるかも知れないが…  スラッシュは、身だしなみを整えた自身がとても魅力的だとは気づいていないらしい。 「慣れた方がいい」  私はそう言うだけに留めた。  何故だか、誇らしい気持ちになりつつ。  ホテルに帰り着くと、荷物の運び込みはスタッフに任せてセキュリティルームに向かう。  私のオフィスも居住もここであるから、セキュリティもホテル内部にあった。  つまり「ステラ」は私の城だ。  中央のタワービルをぐるりと取り囲む円形の建物には、あらゆる店舗が入っている。そのため回遊魚のように行き交う客層は様々だ。  スラッシュを連れて広々としたロビーを突っ切る。いつもならば私用の出入り口から入るが、彼に私の城の外観を見ておいて欲しかった。目の端で吹き抜けを見上げている彼は、珍しく感嘆していた。 「遠目には見ていたが、城壁がある牙城のような建物だ」 「ここはメテオラの中心、つまるところ看板だからね」 「造りがやたら堅牢なのはなんでだ。お前に今更怯えるもんなんてないだろう」 「ここを居住とするお前もすぐに理解するだろうが、この建物は先の大災害の教訓から全住民のシェルターも兼ねている。だからだよ」  スタッフ専用のエレベーターに乗り込みながら、スラッシュは私を凝視した。意図のわからない視線だった。  密室になり、箱が動く駆動音がする。 「何だ」 「……、いや。別に」  何かを言いかけて、やめた。そんな風だった。追求はしなかった。  再度扉が開くと、商業施設とは打って変わって、無機質な部屋が一望できる。PCやモニタがズラリと並び、間をセキュリティのスタッフ達が行き交う。  その彼らが私の気配に気づき、一斉にこちらを見る。 「レオニス様」  胸の前に手を当てて、礼をする。一糸乱れぬ動きだった。  チーフが前に進み出た。  赤毛をポニーテールに結えた彼女は、ほんの少し微笑みを浮かべた。 「こちらまでご足労を申し訳ありません」 「いいんだリリィ。私の口から皆に伝えたかったからね」  微笑み返すと、彼女は少し視線を落とした。小柄で一見少女のようだが、彼女もまた悠久の者だ。 「もしかすると、君の兄から既に話を聞いているかな?」 「いいえ、クリスチャンとは近頃話すらしていません」 「たまには連絡するといい。あれは軽薄そうに見えて君のことをいつだって気にかけているから」  言うと、リリィは「はい」と応じつつも、ほんの少し頬を膨らめる。…性格や感性は違えど、仲良くすればいいのに、兄弟同士。  私はリリィから皆に向き直り、少しだけ声を張る。 「皆、ご苦労。事前連絡していた通り、耳に入れておきたいことがあってね」  背後に立っているスラッシュがどんな顔をしているかはわからなかった。気配もよくわからない。  ただ、いる。それだけだった。  リリィ含め、セキュリティのスタッフ達はその場で立ち尽くし、私の次の言葉を待っている。真祖を信奉し絶対である彼らは、時に私が驚くほど従順だ。 「故あって、私は身近にガードを置くことにした。この者を見知り置いて欲しい」  簡潔に言う。彼らは何も言わなかったが、ほんの少し眉を顰め、部屋は動揺に包まれる。視線が私の背後にいるスラッシュに動いた。  リリィが 「この妖力は――人狼…? うそ。生きてたの…?」   と小さく呟くのが聞こえた。  それを合図に、皆が顔を見合わせる。そして驚きと異質なものを見る目になる。  それでもスラッシュの気配は変わらなかった。どんな顔をしているのか、更に気になる。 「私は彼の後見人となった。滅びに瀕した種を保全するのも我々の責務だからだ。彼は恐らく人狼の末裔、最期のひとりだ。だから私自らの元に置くことにした」  自分で言いながら、その建前は白々しいと思う。  私が必要としているだけなのに。  「食糧」として。  どんな気持ちでスラッシュは聞いているんだろうか。 「しかし、レオニス様のガードとはどういう…?」  皆の疑問を代表して、リリィが言う。その目には困惑と強い嫉妬が感じられた。それは他のスタッフも同様だった。 「彼は仕事を求めた。それ故、私は仕事を与えた。それだけだ。人狼であるから強靭であるし腕も立つ。ふさわしい職務であると思う」 「私達以上にでしょうか」  リリィが不服そうに言った。  強い反感を隠しもせずスラッシュを見上げる。  私は僅かに苦笑して彼女を見ていた。だが、その勝ち気な瞳が一瞬にしてこわばり凍りつくのを目にした。  それは死の恐怖。  室内が恐怖と怯えで埋め尽くされる。  全スタッフの気配が硬直し、息が詰まるほどだった。  思わず振り返り、スラッシュを見る。  だが、彼は涼しい顔をしているだけだった。いつも通りの半眼で宙を見ている。 「スラッシュ、自己紹介でもしておくか?」  振り返ったついでに言う。  赤い隻眼が私を見る。すこし瞬いた後、低い声で「スラッシュだ」とだけ言った。  スタッフ達は何も言わなかった。空気は凍りついたままだった。 「…では、そういうことだ。以後、宜しく」  代わりに私が言い、私自身ボロが出ないうちに立ち去ることを選ぶ。踵を返しエレベーターの扉が閉まるまで、彼らは我々を見つめていた。リリィだけが礼を怠らなかった。  エレベーターが再度密室になり、駆動音と共に重力を感じる。 「…何をしたんだ、かわいそうに。彼らをあんなに怖がらせて」  少し責めるように言う。スラッシュはスラックスのポケットに手を入れながら首を回す。 「わからねえなら、お前が気にするな」 「何のための紹介だ、これからは彼らとよく顔を合わすんだから嫌われるようなことはするな」  不遜な態度で、顎をあげ笑う。返事はなかった。  困った男だ。 「いいか、仲良くするんだぞ?」  そうとだけ言うと、 「ありがたく思うんだな、真祖の血を」  と返された。  私は首をかしげるばかりだった。
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