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第10話

 レオニスのペントハウスは「ステラ」の最上階ではなく、地下にあった。吸血鬼らしいと言えばそうか。  かわりに上層階にはオフィスと会議室、つまるところ奴の仕事場があり、街が一望できた。昼夜問わず見晴らしは最高と言えるだろう。  俺の住処はレオニスのペントハウスの一角、リビングなどと調度品が合わされた豪勢なゲストルームを一室与えられた。大きなベッドにクロゼット、ソファとテーブル。バスルームまで併設されている。  契約上、俺はレオニスの「餌」だ。手元に置くのは当然だろう。予想はしていたし、俺が同じ立場ならそうするから驚かない。首輪をかけられたようで窮屈だが致し方ない。  セキュリティの奴らに話をしたことで、レオニスが「人狼を飼い始めた」という事実は、素早く街全体に流布されるだろう。しばらくはそこらを歩くたび視線を浴びることになるが、俺がここで市民権を得るためだ。  しかし、ボディガードが仕事とは。  俺の血を飲み、全盛期の力を取り戻しているレオニスに、そんなものいるのか?  セキュリティで見た吸血鬼達も力の弱いひよっこばかりだった。俺の殺気を込めた炯眼だけで縮み上がり漏らしそうになっていた奴らが、束になってもレオニスひとりに敵うまい。  俺の妖力に対抗できるのは、レオニスだけだ。  強い殺気をものともせず、涼しい顔をしていやがった。  今も目の前で「ステラ」の見取り図をオフィスのモニタに出しながら造りを熱弁しているが、少年のように目をキラキラさせている。と思えば、老長けたジジイみたいなことを言い出したり、吸血中は逆に熟れた果実の如く濃厚な色香を発する。 いくつも顔を持っている男。  俺はその顔を、これからどれだけ見ることになるのか。  いつかは「吸血鬼が何故人間を助けるのか」という俺の素朴な疑問も、晴らしてくれるだろうか。 「…あまり一気に説明してもな。お前にはパスキーを渡しておくよ。好きな時に散策をするといい」  黒檀の机の引き出しから、小さな端末を取り出す。それを金属製の腕輪に装着して、こちらに寄越した。似たものがレオニスの腕にもついているのは知っている。  鍵、か。一度つければ簡単に外れないアクセサリになっている。 「ステラの内部はおおよそ自由だ。セキュリティレベルも高く、各部署や私のオフィスにも来れる。居住であるペントハウスにもそれで入れる。なくさないように」 「そんな俺を信用して、勝手に散歩させていいのか?」 「お互い、千年以上生きて智慧はそれなりに育まれているだろうし、交わした契約の重さは理解しているはずだ。それに、利害は一致しているだろう? お前が今リスクを承知で私に危害を加えるとしたら、その高いプライドが蔑ろにされた故だろう」 「……」 「私は丁寧にお前を迎え入れ接しているつもりだ、スラッシュ。私にはお前が必要だし、もし害することがあれば改めもする。もちろん私にも不可能はあるけれど」  背を正して、表情を変えず理路整然と言うレオニス。  そう言う完璧な態度が少し鼻持ちならんのだが…と思うが、言わなかった。  かわりに 「もう一度言ってくれ」  そう言う。レオニスは少し神妙に繰り返す。 「私にも不可能はあるが、できる限り…」 「そこじゃない。私にはお前が……なんだって?」 「……」  白眉が寄る。俺の意図がわかったのか、レオニスは唇をつぐんだ。だが懸命な選択をする。 「私にはお前が必要だ」  男は繰り返す。  俺は頷き、笑いかけた。レオニスは笑わなかった。  恩着せがましくするのは控えたかったが、どうしてもこの凜とした表情を乱したくなる。からかいすぎて機嫌を損ねるのもよくはないが、まあ甘噛み程度のことだ。 「お前にも努力はして欲しい。この共存に」 「共存ね。確かにな…精々、互いを利用しようじゃねえか」  意外にも「利用」という言葉に不服そうだったが、反論はしなかった。 「腹が減ったな、一日中歩き回っていたしよ」  話題を変える。いつまでもレオニスをいじめるつもりもない。雰囲気を変えたのを読み取ったのか、レオニスも肩を少し落として 「そうだな、食事に行こうか」  と同意した。パノラマの窓から眼下に見えるのは煌めく夜景。その向こうに高いクレーターの縁が見える。藍色の中にほんの少しだけ朱色の空が残っていた。  絶景だが、俺は槍のように尖った岳に立ち、どこまでも広がる森林を見る方が好きだった。 「お前のIDは後ほど発行しよう。こればかりはシステムの問題だから、すこし時間がかかる。後はスマート機器類だな。食事の後にショップに行って用立てよう。料理は何でもいいのか? ステラにはレストランもあるが、口に合わないなら食料品店に寄ってお前が自分で…」  言いながら、エレベーターの方に歩き始めたレオニス。「下」の矢印ボタンを押して話し続けていたが、俺は動かなかった。  その気配に気づいたのか、振り返り首を傾げる。 「どうした、腹が減ったんだろう」  男は少しあどけなく、年相応に見えた。  俺は言う。 「お前もだろ?」  自分のシャツの硬い襟をつまむ。  チンと音がしてエレベーターが到着し鏡面の扉が開いたが、乗り込む者がいないとわかったのか、重々しくまた閉じる。  踵を返し、部屋の中央にある黒い合皮のソファに座る。ジャケットを脱ぎシャツのボタンを外していると、音もなくレオニスが近づいてきて、隣に座った。 「すまない」  小さく言う。  鼻を鳴らして笑った。他意はない。本当に可笑しかっただけだ。 「詫びるなよ。これからずっとそうするつもりか?」  レオニスは何も言わなかった。罪悪感は本物だ、匂いでわかる。だが、俺もずっと被害者面するのは面白くない。 「なら、お願いしろよ」 「え?」 「それを『食事』の合図にしようぜ。その方がいい」  レオニスの顔がそばにある。艶やかな唇が飢えに色づいている。瞳の虹彩はより鮮やかに輝き、嫌でも男の強い妖力を感じた。 「血が欲しいときは、おねがい…って言えよ」 「……」  シャツを開いて、首筋を露出する。レオニスにはさぞご馳走に見えるのだろう、細い首にある喉仏が上下したのが見えた。  合皮のソファがギュッと鳴る。冷たい指が胸板を滑り、俺の鼓動を探るように蠢く。体を押し付けられると、男から淡く金木犀の香りがした。  俺の好きな香りだ。 「スラッシュ」  レオニスが囁く。濡れた艶やかな声だ。  これもまた、この男が持つ顔のひとつ。 「……おねがい、スラッシュ」  俺は目を閉じた。  広く静かな部屋に、小さな濡れた音だけが等間隔に響く。  痛くはない。  苦しくもない。  身を委ねれば……不思議と、心地がいい。  口が裂けても、言わないが。
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