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第11話
「そういえば、この街は何でクレーターの中にあるんだ」
黒檀の机について、メテオラのインフラ整備案資料に目を通していた私は顔を上げた。
ブラインドの隙間から差し込む15時の陽の光で日光浴をしていたスラッシュの質問。視線は遠くに見えるクレーターの淵にある。
窓の側に備え付けたリクライニングチェアは今や彼の特等席だ。サイドテーブルにはコーヒーカップとタブレットPCが乗っている。長い足を組んで深々と椅子に身体を沈めている姿は、このオフィスの主である私よりも環境を満喫しているようであった。
「古い映画を観ていたんじゃなかったのか」
質問には答えず訊ねると
「飽きた」
一言が返ってくる。細めた視線はまだ窓の外だ。
私はラップトップを閉じ、立ち上がってディスペンサーに向かいコーヒーを一杯淹れた。
ソーサーの上に湯気の立つカプチーノを乗せて、スラッシュのいる窓際に近づく。彼は振り向きもしなかった。
「確率だよ」
「確率?」
「この星の生物を全滅しかけた隕石のクレーターに、もう一度同じ規模のものが直撃する確率は相当低いだろう、だからさ」
「まあそうだ。…だが、絶対ないとは言い切れんぞ」
「そのときは諦めもつく。人がいう神がいたとして、そいつは相当我々を駆逐したいということだから」
スラッシュが少し笑う。同意の意味ととった。
「お前は別の街から来たんだろ、ここをどう思った?」
質問すると、スラッシュは窓から視線を逸らし腹の上で指を組む。
「別に。俺にとっちゃどこの街も一緒だ。人間が多いか、吸血鬼が多いかの違いだけだ」
「面白みのない見解だな。まあ昔から人狼は文明に興味なかったか」
ほんの少し揶揄を込める。チラリと隻眼が私を見上げた。怒っているわけではなく、私を探るような視線だった。彼とはそう言った腹の読み合いが頻繁に起こる。良き隣人と認めてよいか距離を測っている野生の獣…まさにその例えがしっくりくる。
「知識は、生きていくために必要なことだけでいい。それだけだ」
秘密を打ち明けるように、スラッシュは低く囁くように言った。
「シンプルなんだな、人狼は」
「お前達が持ちすぎなだけだ」
「それは、我々一族のことか? それとも吸血鬼と人間という意味か?」
「俺以外全部さ」
苦笑する。
スラッシュとの会話は楽しかった。価値観の違う異種の存在であり、長命故の思考と知識があり、好奇心をくすぐられる。彼を怒らせないようにしながら言葉を交わすのは、さながら餌付けのようだとも思っていた。思っていたほど彼は短気ではなかったし、ひどく用心深かったが。
実際、私は人狼のことをほとんど知らない。スラッシュに聞けたら知的好奇心を満たせるだろうと思ったが、彼が己のことをペラペラ話すとは思えなかった。
特に…
左目はどうして失ってしまったのか。
何故、不老不死の肉体を有しながら、人狼が滅ぶに至ったのか…など。
「お前の弱みは何だ?」と訊ねるのに等しいだろうから。
「16時から出かけるんじゃねえのか」
スラッシュが立ち上がりながら言う。ハッとして時計を見た。
「そうだ、のんびりしてしまった」
手にしたカプチーノも飲んでいなかった。スラッシュの手が私のソーサーからカップを持ち上げ飲み干す。
「さ、行くぜ。暇すぎて俺の尻に根が生える前に」
彼は私のソーサーに空になったカップを戻すと、大股に部屋を横断してエレベーターに向かう。
やれやれ。
この部屋の主人は、やはり彼ではないか?
ソーサーをサイドテーブルに残しスラッシュを追った。
ステラのエントランスには行かず、私用出入り口を使う。エレベーターを乗り継いで降りている時、スラッシュがインカムで車の手配を指示したのがそちらだった。
「エントランスのロータリーでもいいのでは?」
「人が多いところは気が散る。仕事がしにくい」
「ボディガードらしいことを言う」
「不老不死が不老不死を守るって、意味不明なことを除けば慣れた仕事だ」
「私にとってガードは命を守る為のものじゃなく、不可侵な立場を守るためのジェスチャーなんだよ」
「誰に対してだよ。人間にか? 雲上人ぶってどうする」
スラッシュがそう鼻で笑ったが、私は答えなかった。
エレベーターを降り簡素な廊下を行く。私が見ているのは彼の黒いスーツの背中だけだ。
扉にある小さな覗き窓から、スラッシュは素早く視線を配った。動きは優秀なガードのそれだった。彼がいろいろな場所でしてきた仕事が何だったか伺える。
安全を確かめてからノブを引き、運転手が開いていた車のドアに手際よく導かれる。
後部座席に座ると、スラッシュもスーツの前を摘みながら乗り込んできた。運転手がぐるりと来るを回り込み、ドアを開く。
だが。
眼前のスラッシュの目が鋭くなるのがわかった。彼の視線はリアウィンドウに向いている。
「伏せろ!」
彼の身体が私を抱き込み、狭い座席の下に押し込む。
ドッ ドッ と重い射出音。
轟音と共にガラスが砕ける音がして、車内にバラバラと散らばる。車体がバウンドするのがわかった。サイドウィンドに何かが大量に飛び散る。
血だ。
私に覆い被さったスラッシュの肩口から見えた。
「エド!」
私は運転手の名を叫んだ。
パンパンと軽い音が続く。車体に銃弾が食い込む音がした。
スラッシュが私の頸を掴み、鼻先がつきそうな位置で言う。
「大丈夫か」
私は頷く。赤い瞳が私を見つめたまま、言う。
「襲撃だ。西側私用ドア前。フロントガラスがないガンメタルの車。ライフルの筒先がひとつ見えた。自動小銃は音から恐らく2丁。こっちの運転手が負傷」
私への言葉ではない。インカムの先、セキュリティへの入電だ。それを済ますと再度私の頸を強く掴む。
「そのキレーな顔撃ち抜かれたくなかったら、絶対頭は上げるなよ」
そう言うと、スラッシュは銃撃も構わず身体を起こし、巨躯にもかかわらずコンソールに素早く身を滑らせ、運転席に移動した。
エンジンがかかる。開いたままの運転席を閉めようとして、彼は一瞬逡巡した後、身体を屈めて道路に倒れ込んでいたであろう運転手、エドを片腕で引き上げて助手席に担ぎ入れた。
車内に血の匂いが満ちる。
エドが呻く声がした。ゴロゴロと血で喉が鳴るせいで聞き取れない。
「レオニスは無事だ、安心しろ」
運転席のスラッシュが言う。
目いっぱいアクセルが踏まれて、車が軋みタイヤが空滑りする音を立てた。長い車体が傾ぎながらスタートする。ハンドルが強く切られて、ドアの内側で強か頭を打った。加速音と共に銃撃が遠くなり、途切れる。
「ステラに戻る。ガンメタルの車は今のところ追ってこないが…第二駐車場が1番近い。扉をしめる用意をしておけ」
エンジンの音に混じり、運転席から落ち着いたスラッシュの声がする。まるで今夜の献立でも言うような調子で。
だが、彼の右腕は助手席のエドの首に伸びていた。漏れ出る血を止めようとしているようだった。
「こいつも吸血鬼なんだよな、血が止まらんが」
片手で運転をしながらスラッシュが言う。
「エドの血は薄い。治癒は遅い」
後部座席のシート下から見えたエドの顔は白い。唇の横についた血の泡がプツプツと動いている。息はあるようだった。
車がガクッと揺れる。ステラの第二駐車場に入ったのだろう。カーブを金切り声のようなタイヤ音と共に上がってゆく。
車が急に止まると、複数の足音がした。
「レオニス様!」
ドアが開かれ、リリィの顔が見えた。
「確保、確保! 急いで!」
リリィの指示で私は車から引き出され、そのままセキュリティスタッフ達に囲まれてステラの中に引き入れられる。
私はそれでも首を捻って車を見ようとした。
黒スーツの男達の隙間から、砕け散ったフロントガラスが見えた。
運転席にはまだスラッシュが座っていた。真っ赤に染まった右手はエドの首を押さえたまま。
それでも、彼は私を見ていた。
息ひとつ乱さずに。
時として、目は口ほどにものを言う。
(山ほど、聞きたいことがある)
スラッシュの隻眼は、私にそう言っていた。
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