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第12話
ステラの地下層にある医務室でもらったタオルで手を拭いていたが、水で流したくらいで血はうまく落ちない。スーツやシャツもごわついて重くなっていた。
一度ペントハウスに戻って、シャワーと着替えを済ませることも考えた。
考えただけだ。
エレベーターはセキュリティルームに停まる。
室内は騒然としていた。一部のモニタは監視カメラが捉えていたであろう、先ほど起こった事件を繰り返し流している。他はオンライン番組の速報のようだ。報道チャンネルがステラ西通りの現場を映している。テロップが大きく「レオニス氏襲撃される」と表示していた。
入って行くとスタッフが次々に俺を見る。煩わしい視線を掻い潜りながら、スモークガラスで括られたミーティングルームに向かった。
ドアハンドルを引く。
鍵がかかっていたのだろう。力を制御しなかったから、ガラス扉が蝶番とロック部分から砕けて床に飛び散った。
激しい音がして、皆が一斉にこちらを向くのがわかった。
会議室のスタッフ達は皆、驚愕の目だった。リリィと呼ばれていた赤毛の女は、それプラス軽蔑を含んだ目をしている。
レオニスだけが眉を寄せ…間違いでなければ安堵の表情を浮かべた。そして次に不安げな表情を浮かべる。
「エドは?」
「医務室だ。大口径のライフル弾で首の付け根を撃ち抜かれていたが……俺が離れる時は目を覚ましていた。医療班の奴が、時間はかかるが再生してきていると言っていた」
「そうか…」
ホッとして、レオニスは眉を開く。
粉々になったガラスを足でかき分けながら部屋に入り、血濡れのタオルをそばにあったゴミ箱に捨てる。
「どういうことか聞かせてもらおうか」
手はまだ血でごわついていたが、スラックスのポケットに入れる。ジロリとスタッフ達を見渡してから、会議室の壁モニタに映っていたふたりの男の画像に目を止める。
ひとりは高そうなクリーム色のスーツを着た中年男。整えた鼻髭を生やし、太い葉巻を歯で咥えている。一見して人間だとわかった。太った奴は吸血鬼にいない。
もうひとりは丸いメガネに、ブルネットカーリーの長髪。細い顎には無精髭が生えている。メガネ奥の目は淀んで猜疑心の塊のようだった。焦点が合わずほんの少し輪郭がぶれているのは、それが隠し撮りの写真だからだろう。こっちは人間か吸血鬼かわからなかった。
「誰だ」
顎で示して言った。誰が答えるのかとスタッフ達は顔を見合わせる。赤毛女だけはレオニスを見ていた。奴が小さく頷くと、赤毛女…リリィは俺にタブレットを差し出す。写真とテキストが並んでいた。
「ドン・マリオ・アレッシ」
名を口にすると、リリィが葉巻の男を指差す。
では残った方が…
「デミ……本名か?」
「通称よ。本名はわからない」
資料の中にはデミという男のこれまでの凶行や容疑が長々と書かれていた。暴行や殺人、要人の暗殺…死に関わることばかりだ。武闘派集団「ヴェスパー」のボスという肩書きがあるが、簡単に言えば「殺し屋」だろう。
葉巻の奴は「ドン」とついてるところから、マフィアのボスだと言うことがわかる。
キューブでバウンサーをしていた時から、マフィアがこの街にも巣食っているとは知っていた。商業や風俗施設を統括していたクリスチャンが、敵対勢力について愚痴を漏らしていたのを聞いたことがある。そのとき「アレッシ・ファミリー」と言っていたのをふと思い出す。ボスの顔を拝むのは初めてだが、関わることがないと思っていた奴とこんな形で接触するとは。
マフィアは昔のような大規模犯罪組織ではないものの、社会にとって不穏分子であることには変わりなかった。大災害の後、いなくなるかと思いきや、復興中には既にギャングのような他人を食い物にする悪辣なグループがあった。犬がいれば必ずノミが湧くように、人間社会から切れない存在のようだ。
それは、この吸血鬼・レオニスが君臨するメテオラでも変わりないらしい。
つまるところ、これらの犯罪組織はレオニスにとっては胃の痛い存在、悩みの種ということだろう。
「アレッシは人間が独立を果たして別所に都市を築いた後も、このメテオラに残った奴よ。人間は人間を食い物にすればいいものを…コイツはこの街で吸血鬼相手に覇権争いをしてる」
リリィは人間が好きではないらしい。嫌悪感を隠しもしなかった。レオニスが苦笑するのがわかった。リリィの人間嫌いは周知の事実らしい。
レオニスが口を開く。リリィにこれ以上話をさせるとまずいとでも思ったのだろうか。
「彼らはこの街の風紀を乱し、善良に生きる人間や吸血鬼に危害や不安を与える困った存在だ。取り締まる法を作ったり、闇の資金繰りを強く締め付ければ、今回のように…武力で嫌がらせをしてくる」
「嫌がらせというには、少しハードだと思うが」
「我々は人間と吸血鬼の健全な関係性のために、武器を所持しない。だが、彼らマフィアは違う。武装し、言葉通り私の顔を潰したいのだよ」
レオニスが自分の顎を撫でる。その秀麗な顔が目の前で撃ち抜かれることを想像して、その可能性がさっきあったかもしれないと眉を顰めた。
「アレッシは自分の身内から実行犯は出さない。誰が指示したかわかり切ってはいても、シラを切るために襲撃は外注するのよ」
不満顔のリリィがタブレットを指先で弾いた。
「で、このデミって野郎がレオニスを襲うために雇われたってことか」
「様をつけなさい、人狼」
リリィが腕を組み睨む。俺の覇気に慣れたのか、睨んでも怯まない。かわりに女の小柄だが肉付きの良い足から腰、組んだ腕の上に乗る乳房を舐めるように見た。視線の意味に気づいたのか、更にリリィの機嫌を損ねた。
「こいつは吸血鬼か? 人間か?」
「どっちでもないわ」
不貞腐れた声でリリィは言う。
「どういうことだ」
「奴はヴァンピールよ」
俺はレオニスの反応を伺った。
奴は真顔だったが、ほんの少し顔色が曇って見えた。
ヴァンピール。
それは吸血鬼と人間の混血だ。
御伽話の中では、吸血鬼が人間に噛み付くと、噛みつかれた人間もまた吸血鬼になるという描写がままあったが、本来そんなことはない。吸血鬼は種であって感染症ではない。人狼が人間に噛みついても、人狼には「できない」。
種は本来、種を跨いで子供を成すことはない。つまり、吸血鬼と人間、人狼と人間、吸血鬼と人狼の間で子は産まれない。
だがそれは絶対ではなく、「吸血鬼と人間」「人狼と人間」この関係性においてのみ、ごく稀に突然変異型として受胎することがあった。そう言った混血のものはどちらかの特性を強く引き継ぐと言うよりは…どちらものマイナス要因の遺伝子を引き継いだ。
つまり。
ヴァンピールには、吸血鬼のように吸血という限られた食事制限と、人間よりは運動神経に優れ屈強だが、人間のように老いるし短命…という特性がある。
吸血鬼でもなく人間でもない。
俺が知る限り、そういうものだった。
「確かなのか」
珍しい存在だ。
しかもそいつが吸血鬼と敵対関係にあるとは。
「ええ。残念ながら」
リリィの眉間はいよいよ海溝のように深い。ヴァンピールは人間よりも更に嫌いらしい。いや、デミに限るのか。
なるほど。
吸血鬼の真祖である、強大な力を有したレオニスに何故セキュリティが必要なのかと思っていたが、メテオラの水面下で繰り広げられている覇権争いがあるためか。
街の守護者の顔が潰されるわけにはゆかない。ここに住む民の安寧のため。……そんなところだろう。
「『ヴェスパー』内に、ヴァンピールは他にもいるのか?」
「それはないわ、流石にね。ボスのデミだけよ」
ミーティングルームの中に重い空気が流れる。吸血鬼にとっては、どうやら話題にしたくないむず痒い事柄のようだ。
息が詰まって、頭を振った。
「まあ、ことの次第はわかった。この街の情勢ってやつも大体はな……俺にとっちゃどうでもいいが」
そう言うと、リリィが露骨に「は?」とばかりに、少女のような顔を歪めた。
「俺の仕事は、レオニスのガードだ」
タブレットをテーブルに投げて滑らせた。皆がそれを目で追う。そこにはアレッシとデミの写真がある。
「そいつらがレオニスの敵だと言うなら」
皆がまた俺を見た。
「それは、俺の敵だ」
そう言うと
レオニスだけが失笑して。
「単純な男だ」
そう嬉しそうに笑った。
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