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第13話

 リリィはスラッシュを愚かだと言った。  頭の中まで筋肉でできていると。  そうかもしれない。人狼は思考より本能を重んじるようだ。吸血鬼のように言葉を選んだり、あれこれと策を弄しない。ここしばらく彼と行動を共にしていて、それをより強く感じた。  真っ直ぐでてらいもなく、自信家で。そして媚びない。それは時に粗野で高慢で無礼だが、シンプルでわかりやすく…美しくもあった。  その単純さを私は、小気味よいとさえ思った。  スラッシュが現れる前からあったマフィアとの諍い。弱った身体で考えているのはとても億劫だった。それでも街の安寧を守るのが私の仕事であるし、同時に彼らの攻撃から自分を守る必要もあった。吸血鬼の権威や体裁を守ることは、メテオラに複数ある勢力のパワーバランスを保つ大事な要だ。しかし、セキュリティ達が襲撃の度に身を挺して私を庇うのは、胸が酷く痛んだ。  死にはしないとはいえ、吸血鬼にも痛覚はある。  リリィが彼らマフィアを強く憎むのは、何も私を強く信奉しているからだけではない。  彼女自身も、そして仲間も。何度も「痛い目」をみているからだ。肉体を銃弾に晒して一方的に辱められれば、怒りも憎しみも湧くだろう。 「何故、武装しない」  偶然か、心を読む力があるのか、スラッシュが問うてきた。セキュリティルームから出てペントハウスに戻るエレベーターの中だった。もはや今日でかけることはできない。夜のミーティングは全てキャンセルだ  彼の右腕は赤黒く染まったままだった。早く洗わせてやりたかった…いや、運転手エドの血で汚れたそれを、私が見ていたくなかったのかもしれない。 「吸血鬼が死なないから…ではない。我々が武器を持たないのは人間を怯えさせないためだ」  ある程度予想はついていたのか、スラッシュの返事はなかった。 「悪漢に抵抗するために同じく武器を持てば、相手は更に強い武器を持とうとする。そしてエスカレートしていくだろう。けれどそれで怯えるのは平和を愛する者達だ」 「…そして、そいつらも自衛のために武器を持ち始める」  スラッシュが呟いた。  彼はやはり、愚かではない。  私はこの街を…この街だけでも、抑止の名の下に武器まみれにしたくなかった。それは脆く危うい均衡で、人間が過去何度も間違いを犯してきたことだ。  理想が高すぎると言われても、自らの街を創れるとなったとき、私は和合によって形成される「理想郷」を目指してみたくなったのだ。  うまくいっているとは言い難いが。 「だからって、お前らが抵抗せず蜂の巣にされまくってるのも外聞が悪いだろ。お前らを憐んでくれる奴もいるだろうが、抵抗しない様をみて軽蔑する奴らも出るんじゃねえか」 「そうだな、耳が痛いよ」  答えを持たない私がそう言うと、何故かスラッシュは怒りを含んだ様子で続けた。 「物分かりのいいフリはやめろ。ムカつく」 「何故お前が怒るんだ」  彼を見上げると、怒りを隠さず言った。 「おざなりにされたり、コケにされんのは嫌いなんだよ、それがお前でも奴らでもな」 「害虫のようなマフィアと私を同列にしないでくれ」  言うと、スラッシュは肩を少し上げて 「それでいい」  と言った。  私は笑った。面白い男だ。  本心を隠すと、スラッシュはわざわざ掘り返す。  人狼の性なのか? 「お前が俺を側につけたのは、『弁当』を持ってる安心感を得るためだけじゃなかったんだな」 「『弁当』?…ああ、携帯食料のことか。まあそれもある。今の私にとってお前は何より大切な存在だから。戦うならばまずは腹拵えと言うだろう?」  率直に言うと、スラッシュはムスッとして子供のように「ムカつく」と一言。揶揄を揶揄で返したとわかっていても、私の口から餌と言われるのは嫌らしい。 「そうだ。私にとってお前は生きた『抑止』だ」  認める。  人狼は強靭で戦闘能力に長けた種族だ。だから先の世では「凶暴」と畏れられた。それは歪んだ認識だが、人狼の能力は確かに戦いに特化したものだ。  事実、スラッシュは先ほど見事な働きをした。それに関してはセキュリティのスタッフやリリィも反論はなく、沈黙するだけだった。  彼は私の強靭な武器であり、鎧。  同族愛や信頼ではなく、「契約」に縛られた少々不安な存在であるし、ひどく扱いが難しいが。 「過労死したとき、労災はおりるんだろうな」  スラッシュは笑いながら、踵でエレベーターの壁を軽く叩く。 「面白くない冗談だ」 「俺には笑える鉄板のジョークだ」  彼はまだ笑っている。赤い隻眼が輝いていた。  獲物を見つけた獣。  まさにそれだった。  チン、と音を立てて扉が開く。ペントハウス前のエントランスだった。壁から背中を離して、スラッシュが出ようとする。しかし、私が動かないでいると彼は箱の中で振り返った。 「……寄り道をしていいか」  私が言うと、スラッシュは嫌だとは言わなかった。  ボタンを押すと扉は閉じ、また動き出す。階を見て彼は行き先を理解したようだ。再度、私の横に戻る。 「エドは寝てるかもしれねえぞ」  スラッシュが言う。 「かまわないさ、それはそれで」  彼は何も言わなかった。  扉が開くと、白い床と壁が広がる。目の前にはもうひとつ自動ドアがあり、進むと静かに開く。夜が更けてきた今、メディカルルームのロビーには僅かな看護師だけが詰めていた。 「レオニス様」  化粧気はないが整った顔立ちの看護師が立ち上がった。 「エドはどうだ」  訊ねると、彼女は室内のモニタに目をやる。そして微笑むと「安定しています」と答えた。 「よかった。会えるかな」 「少しなら」  看護師はカウンターを出て、私達を導くように先に立った。その後ろ姿をスラッシュは舐めるように見ている。 「スラッシュ、そういうところは直すべきだぞ」  声をひそめて言う。 「何が。いい女をいい女だと思って見るのをか?」  ふてぶてしく帰ってきた囁き。視線は看護師の腰、いやもう少し下をとらえたままだ。 「紳士的ではないと言ってるんだ」 「驚いたな、吸血鬼にそれを注意されるとは」 「……」  確かに、吸血鬼は好色な者も少なくない。例外もいると言いたかったが、挙足を取られるだろうとわかっていた。  言い返せず、横目で睨み上げるだけにした。 「こちらです。呼吸機能と嚥下機能が損なわれているので、チューブ管を直接肺と胃に入れていますから今は話せないですが」 「わかった。すぐに済ませるよ」  看護師は頷いてロビーに帰ってゆく。その時、スラッシュが「魅力的に」微笑み……彼女もまた、一瞬にして彼の全身を見たのがわかった。そして看護師としてふさわしいとは思えない女を匂わす笑みを浮かべた。  私は無視することにした。  個室のベッドに、エドは寝かされていた。ヘッドライトが彼の白い顔を淡く照らしている。再生促進剤の点滴袋は彼の腕につながり、輸血パックは彼の口から体内へと通されゆっくりと注入されているようだった。  胸から上は固定され、半球体のドームの中にあった。覆われていない傷口の組織が蠢いていて、より合わさっていっているのが見えた。再生中に異物が混入しないよう処置されているのだ。 「エド」  私は名を呼んだ。だが彼は瞼を閉じたままだ。ベッドの上にあった手に触れる。あたたかかった。だからこそ胸が詰まる。  ふと、エドの瞼が震え瞳が見えた。  私の姿を捉え、かすかに笑ったように見えた。 「心配いらない、ゆっくり休め」  言うと、微かに顎が動く。髭など知らない若々しい顎だ。ほんの少し私の指を握り返し、奥ゆかしく離れた。  そして視線が私からはぐれる。いつの間にか背後に立っていたスラッシュを見ているようだった。彼は片手を腰に当て、無感動な目をエドに向けていた。 「……」  エドの口が何かを話そうと動く。だが呼吸を助けるチューブと血の供給があるせいで妨げられた。  だが、それは確かに「ありがとう」と動いたのを、私は見ていた。  スラッシュが理解したのかはわからない。 「新しい頑丈な車を、代わりにねだっておいてやる」  彼が言う。表情は何も変わっていなかったが、その低い声には僅かに情を感じた。  エドはまた目を閉じた。後は緩やかな呼吸で胸が上下するばかりだった。  私は――…  スラッシュを押しのけて、早足で廊下に出た。そのまま大股にエレベーターに向かう。後ろから「おいっ」と言う声が追いかけてきたが、開いた扉に身体を滑り込ませて「上」の矢印ボタンを押す。  走ってくるスラッシュが、閉じかけた扉の向こうに見えた。  早く閉じてくれ。  私は願った。  だが。  ニュッと腕がエレベーターの中に入り、巨躯が乗り込んでくる。 「馬鹿か! いくらステラの中だっていってもひとりで――…」  言いかけたスラッシュが目を見開き、言葉を飲む。  扉が閉まり、エレベーターが私達を閉じ込める。  見られた。  見られたくなかった。 「だ、大丈夫だ。大丈夫だから」  私はスーツの袖で頬を拭う。溢れる涙を止めようとがむしゃらに擦ったが、そうすればそうするほど自分がより弱く、矮小に思えて溢れてくる。 「すぐ、おさまる。…ちょっと、…ホッとしたら、こう…それだけ、だから……」  両腕で顔を覆う。  スラッシュは笑うだろう。  こんな弱い私を見たら。  彼は強い。  同胞がいなくなってからも、たったひとりで生きてきたのだ。孤独にも、疎外感にも耐えながら。  彼に軽蔑されたくなかった。 「たのむ、すこしの間だけ…ひとりに……」  言いかけた時、私はぐるりと何かに覆われた。  あたたかくて、張りのある胸板が頬に触れていた。柔らかなシャツに涙が吸われる。後頭部に重たい掌が乗っていて、長い指で髪を掴まれた。もう一方の腕は私の腰を強く引いている。踵が少し浮くくらい。 「それでいい」  スラッシュのくぐもった声がする。  ゆっくりとした力強い鼓動が聞こえた。シャープなコロンにほんの少し体臭が混じり、より彼の存在を強く感じる。  いいのだろうか。  この体に腕を回しても。  しがみついても。  甘えても。  彼は……  許してくれるだろうか。

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