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第14話
嘘のにおいは嫌いだ。
どれだけ愚かでみっともなくて、マヌケでも。
そのままがいい。
その方が――美しくて、愛しい。
「シャワーに行きてえんだが」
エレベーターからペントハウスに入るまで、がっちりしがみついて離れないレオニスに言う。泣き顔が見られるのが嫌なのか、俺の胸に埋めたままだ。
エレベーターの中で見たレオニスの涙。
認める。心が動いたのは確かだ。
普段は冷静で虚勢を張っているが、それが唐突に崩れたのを見て、コイツは今までもずっと独りだったんだろうと不意に悟った。苦しみを誰に見せることもできず、ひとりで泣いてきた。
胸が、認めたくないような甘い音を立てた。
レオニスが何故、俺の前で仮面をかぶることに堪え切れなくなったのかはわからないが、特別な顔を見たと思った。
……今はまあ、その顔を俺の胸からあげてくれないわけだが。
「シャワーを終えたら、飯を作ってやる。トマトのスープ。好きだろ?」
交換条件を出してみる。離れない身体を小脇に抱えながら自室の前までやってくる。それでも離れない。
「何だ、俺と一緒にシャワー浴びるのか? 血を洗ってくれんのか?」
そう揶揄えば流石に嫌がって離れるだろうと思った。
だがレオニスは身体を少し離すと、顔をあげないまま俺の腕を引き、自分のバスルームへと足を運ぶ。
(え。嘘だろ)
思わずぽかんと口が開く。だが言葉は出なかった。
バスルームに入っても奴は背中を見せていたが、徐に目の前でスーツを脱ぎ始めた。ラグの上に散らかしてゆく。靴も足で蹴飛ばす勢いで。
レオニスがシャツのボタンを外している間、白い頸を見つめる以外何もできず突っ立っていた。
あまりにも予想外だった。
そうこうしているうちにレオニスは一糸纏わぬ姿になって、振り返る。
美しい身体だった。
肢体はほっそりとしていたが、若い鹿のようにしなやかな筋肉をまとっている。皮膚が薄いところは淡く桃色で。胸板は俺のように厚さはないが肉付きはいい。ほんのりと色を乗せただけの乳首は、触れられたことのない花弁のようだ。
わずかばかりの下生えに、少し小ぶりの雄。それも淡く明るいピンクで。摩擦など知らない…そんな初さがある。
俺が思っているよりも若い歳で、レオニスの外見加齢は止まっているのかもしれなかった。スーツを脱ぐとそれが際立つ。せいぜい、23歳…いやもっと若いのかもしれない。
ぞくりとする美貌だ。
髪の隙間から未だに赤らんだ目元が見える。潤んだアイスブルーの瞳は、鬱血した白目の中で少し痛々しい。鼻を啜り、時折り唇を少し歪める。瞬くたびに雫が長い睫毛から落ちた。
白い指が俺のスーツの襟を掴んで、腕から滑らせ落とす。ベルトを外し、ジッパーを下ろして…すると膝までスラックスが落ちた。
(おいおい…)
未知のことに、内心淡く動揺する。
だが、この先どうなるのかの興味が勝る。
ワクワク…確かに、そう感じていた。何かしらの「期待」だったかもしれない。
白い指がシャツのボタンを外し、それも奪われる。
下着も、靴も、靴下も取られて。
裸にされて、また腕を引かれた。磨りガラスの広いシャワー室に連れ入れられ、最後に片目を覆っていた眼帯を乱雑に奪われた。ポイと脱ぎ散らかされた服の上に放る。
レオニスは何も言わない。
俺も何も言わなかった。
言葉を発すると、我に返るんじゃないかと……お互いに。
熱いシャワーの下に入れられて、乾ききっていた右腕の血を流された。
レオニスの両手が丹念に俺の腕を滑る。小さなブラシで丁寧に爪の間、指先まで。湯に溶かされて血のにおいが消える頃、ごわついていた肌もほぐれる。
肌を流れ落ちる湯をたどるように、首から肩、胸板をなでる。胸の中央で手を止めて、俺の鼓動を探る。浅黒い肌に白い指が軽く食い込む。それがまた鎖骨へと上り、耳の後ろから髪の間に入る。
髪も洗われる。いい香りのシャンプーを泡立て、指で丁寧に頭皮までマッサージして。
その頃にはレオニスもぐっしょりと濡れていた。俺を洗うことに夢中なのか、時折り銀髪をかきあげる。
美しい目元が露わになる。普段隠れている額も。未だに泣いているのかはわからなかった。今はシャワーの温かさで、目尻も肌も色づいている。
身体にもソープを擦り付けられ、スポンジで磨かれた。首から胸も腹も背中も優しく……驚くことに「期待」に少し芯を持っていた雄まで。細い指が触れなかったところはない。
全身を流し終わるまで、レオニスを見つめていた。
視線が交われば、主導権を奪えるかもしれない。
俺が、その身体に触れられるかもしれない。
そうしたら――
俺の身体の何もかもを、教えてやるのに。辛く悲しいと思う気持ちも、快感に変えてやれる。
そうひたすらに思いつつ。
だが、その時は訪れなかった。
レオニスはシャワーを止めると、俺を連れ出してタオル地のガウンを着せた。そして鏡の前に座らせると…ドライヤーを当て始める。
(何だ)
何もなく終わった。
がっかりだ。
ワクワクしていたのが馬鹿みたいだ。
強風に煽られる髪の間から、レオニスを見る。
もう泣いてなどいなかったし、普段の顔にいつの間にか戻っていた。
(ペットを洗ったみてえなノリかよ)
心底、犬になった気分だった。
いや。
――いいや。そうじゃない。
本当は、待っている必要などなかった。
肉欲を満たすためだけなら。
俺が手を少し伸ばせば、魅惑的な身体があった。簡単に抱き寄せられたし、犯せた。
なのにしなかった。
俺が、しなかっただけだ。
何故かはわかっている。
俺は臆した。その一歩を自分から踏み出すことを。
レオニスに肉欲を持ったことを、軽蔑されるかもしれないと。奴の弱った心につけ込んで、のしかかることの卑怯さを恐れた。
それの本質は何だ?
何と言う感情が邪魔をした?
「嫌われたくない」と…そう思ったんじゃないか?
その先には……?
俺は意識的に誤魔化し、その考えに蓋をする。
1番の嘘つきは、俺だ。
俺には、決して抱いてはいけない感情がある。
「愛」というもの。
それを抱けば、俺の身体にかかった魔法は解ける。
愛は、人狼を殺す――…
そうして、一族は滅んだのだ。
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