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第15話
赤銅色の逞しい身体。
硬いのかと思いきや、弾力があって柔らかくて。
湯が流れてゆく肌は滑らかで。
もっと感じたいと思った。
きっと気持ちいい。この筋肉質な身体は、私を押し潰して隙間なく埋め尽くしてくれる。力強く引き寄せて、奥深くまで穿ってくれる……一晩中でも。
抱かれたいと――誰かとセックスしたいと、本当に久しぶりに思った。
甘えだとしても、身を委ねて快楽に溺れるのも悪くない。それは気分転換にもなるし、何より癒される。忘れていた欲望が身体の中で燃え広がってゆくような、そんな昂りを感じた。
スラッシュもそうだったろう。
触れた時、彼のずしりとした雄は少し張り詰めていたから。私が一言「抱いて」と言えば、彼はそうしたかもしれない。女を好む質ではあったろうが、己が納得し、良いと思えば男でも抱くだろう…恐らく。
私も期待をしていた。
狡いが、スラッシュが私を求めてくることに。
シャワーを共にして身体を洗っている間、あんなにおとなしくしているとは思わなかった。瞳ばかりは肉欲で鮮やかに光っていたが、彼は私に指一本触れなかった。
髪を乾かしてやった後、より明確に気持ちを示すため寝室に連れて行こうかと考えていたが…スラッシュは立ち上がると「飯を作る」と言って、私を振り返ることもなくバスルームを出て行ってしまった。
肉欲を恥じるようなタイプじゃない。
彼だって「その気」はあったはずだ。
なのに、彼は日常に戻っていってしまった。
それがどうしてかはわからない。
私が同性だからかもしれないし、単に好みじゃないからかもしれないし、気分じゃなかっただけかもしれない。雄が芯を持っていたのは、ただの生理現象かもしれない。
私が勃起していれば、よかったのか?
もしそうなら、私のせいか。
随分と長く性欲を忘れていた身体は、感情と比例しなかった。下腹は疼いたし、胸の昂りもあったが肉体に反応はでなかった。
もしくは。
やはりどこかで、セックスで嫌なことを忘れようとした自分を恥じていたのかもしれない。それをスラッシュも悟ったのかも……私が彼を慰めにしようとしたのを。だから立ち去った。プライドの高い男だ、それはありえる。
「ばかだな、私は」
鏡に向かって呟いた。
ルームウェアに着替えてリビングに戻ると、奥のキッチンで物音がしていた。スラッシュは言った通り食事を作っているようだ。トマトスープの香りがする。
黒の綿のシャツとスエットの後ろ姿。ボウルに入った何かをヘラで混ぜている。時々湯気の立つ鍋を覗き、かき混ぜる。その度に美味しそうな香りが強く漂った。
ソファに座って、それを見ていた。
スラッシュは私の気配に気づいている。
振り返って欲しい。いつもの軽口をたたいて欲しい。
でも……
頸が少し熱くなる。
(こんな風に恥ずかしいなんて、いつぶりに思っただろう)
慣れない下手くそな誘惑をした自分に。恋愛のような駆け引きは苦手だ。昔からあまり得意ではなかったし、経験も積んでいないから上達もしない。
そもそも、スラッシュを愛しいと思っているかと言われれば「イエス」とは言い難い。嫌いではないし好ましいとは思うが、それが恋愛かと言われたら違う。
(さっきは、本当に肉欲だけだった。優しくしてもらってつい調子に乗ってしまった)
そう気づけば気づくほど、顔が熱くなる。
思わずクッションに顔を埋めた。
(泣き顔を見られて、すがって、誘惑までして…どうしよう。どんな顔をしてこれから彼と付き合ってゆけばいいんだ)
クッションに向かって問うても、当たり前だが答えはない。
「おい。飯だ」
頭上から声がする。ビクッと肩が跳ねた。
「まだ泣いてんのか?」
平坦な、いつも通りのスラッシュの声だ。恐る恐る顔を上げれば、半眼で見下ろす目もいつも通り。
「ほら皿運べ。いつまでもダラダラしてねえで手伝え」
そう言い、サラダボウルをふたつ押し付けられた。言われた通り、ダイニングに運ぶ。ランチョンマットはすでに敷かれている。彼の方にたくさん入っているボウルを。
レタスとアスパラとズッキーニのコブサラダ。さわやかなオレンジソースの香り。私の好きなサラダだ。彼が作る料理で嫌いなものはないが。
カトラリーを取りに行くと、スラッシュはスープディッシュにトマトスープを注いでいた。
「ワインは?」
「白がいい」
聞くとすぐに答えが返ってくる。小さく返事をして、詫びの意味も込めてヴィンテージのものを選んで出す。
テーブルにグラスを並べて注いでいると、スラッシュがマットの上に配膳を済ませた。バケットは温められていたのだろう、湯気を立てていた。
「血は後だ。先に腹拵えをさせてくれ」
いつもならば、私の『食事』を優先していた。スラッシュがひどく腹を空かせている時は、それが逆転する。席につくと、すぐに食事を始めた。
するすると料理は消えてゆく。長い1日だった。彼には悪いことをした、私と違って食事から大半の栄養を摂るのにそれをほったらかしにしてしまっていたのだ。
また少し恥ずかしさが込み上げる。打ち払うようにトマトスープをすくって食べた。
「…おいしい…」
思わず言葉が出る。スラッシュが白のワインを選んだのは、スープに入っていたプラント肉が魚味だったからだろう。柔らかくてすぐにほぐれる。透き通った玉ねぎもパプリカも小さく刻まれ食べやすい。胃があたたまり、ほっとする。
しばらく無言で食べた。サラダも美味だった。柑橘の香りが鼻に抜ける。アスパラも硬い皮はすべて取り除かれ、柔らかだった。バケットはスープに浸したり、バターを塗って食べる。すぐに我々の皿は空になった。
「ご馳走様」
いつものようにスラッシュに言うと、彼は片眉をクイとだけあげ、すぐに皿を片付け始める。皿を洗うのは私の仕事になっていたから、キッチンで2人分の皿を洗う。乾燥機にそれを収めて戸を閉める。
リビングに戻ると、スラッシュはソファに座ってワインの残りを飲んでいた。背もたれに片腕をかけて身を崩しながら。
それは、私のために胸を開いてくれている合図だ。血を飲めるように、待ってくれている。いつもは私が近づけば「来い」と指で呼ぶ。そして「おねがい」と私が言う。
だが今日は違った。
スラッシュは近づいた私を、しばらく無言で見上げている。私がそばに座ると、視線もついてきた。
スラッシュが口を開く。
「落ち着いたか」
無感情な声だった。「外は雨か」と聞くような調子で。
幾分か緊張していた私は、頷いて「ああ」と答える。
そうすると、スラッシュはいつも通り私を指で呼んだ。
脱線しそうになった列車が、なんとか免れていつも通りのレールを走り始める。そんな気分だった。安心もしたが…どこかで落胆の気持ちもあった。
私はそっと彼の懐に入る。シャツ越しにもスラッシュは温かい。身を寄せると、彼は首を晒す。グラスをサイドボードに置いて身体から力を抜いた。
「……」
その首筋に額を擦り付けた。掌は胸に。鼓動を感じながら。胸が呼吸にゆっくり上下する。じわじわと彼の体温が私に染み込んでくる。
「何してる、早くガブっとしろよ」
スラッシュが言う。けれど私は目を閉じたまま、もたせかけた彼の肩口に頭を擦り付けた。
血を飲む欲は湧かなかった。
それよりも、このまま彼の体温を感じていたかった。落ち着いた呼吸と鼓動を聞きながら。遠い遠い昔、父や母に抱かれて眠った記憶が蘇る。
とても……安心する。
「ありがとう、スラッシュ」
そう囁くと。
スラッシュは何も言わなかったが…
ほんの少しだけ、彼の鼓動が早くなったのを感じた
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