16 / 37

第16話

「ガラスは5センチ、ボディも貫通弾を通さない重装甲。燃料タンクも防弾、タイヤも特殊で重量に耐えられるものを使用しパンクにも強い。少々銃弾を受けても走り続けられるでしょう。リムジンと、4WD車を。スタッフの方には機動力のある軽装車を4台」  車両スペースの高い天井にメカニックの熱弁が響く。レオニスはそれを聞きながらも、シートの座り心地を気にしていた。  俺は車高のある4WDの方を見ていた。こっちの方が自分好みだ。太いタイヤに真新しいホイール。黒いボディはがっしりとしていて、戦車並みだ。ドアはえらく重い。おそらくハンドルも重いだろう。エドに運転できるのかと一瞬考えたが、奴も吸血鬼の端くれだ。  あれ以来いくばくか経過したが、マフィアやヴェスパーからの接触はなかった。レオニスがステラに引き篭もったからでもあるが、街のニュースにも不穏なものは上がっていなかった…水面下ではわからないが。  その間に約束通り、俺は頑丈な車をレオニスにねだった。…車外で狙撃されたエドには、なんの説得力もないかもしれんが。奴にはもうレオニスを迎えるためにドアは開けさせない方がいいだろう。車中にいる分には安全だろうし。 「これでいいのか?」  4WDの運転席に座って、ハンドルを撫でていた俺にリムジンから歩いてきたレオニスが聞く。 「ああ、いい」 「そうか」  俺がOKを出すと、奴は壮年のメカニックに頷く。少し長めのとんがり耳がキャップから飛び出していて、こいつもまた吸血鬼だと言うことがわかった。 「信用できるのか」  離れて行ったメカニックを指して言う。どれだけ車を頑丈にしても、細工をされればひとたまりもない。レオニスはすこし振り返ってから視線を俺に戻す。 「大丈夫だ。大災害前から私に仕えている男だ。ずっと歴代の車両を扱ってきたスペシャリストだから彼になら任せておける」 「アイツの部下も含めか?」 「私の私用車に部下は触れられないよ、彼が許さないだろう」  信頼は堅いようだ。しかし俺には仲間意識がないから、簡単に鵜呑みにはできない。 「暫くミーティングなどは人を招いてステラで行っているからな。ここに缶詰も少々飽きてきた」 「その間に俺は街の情勢の勉強をしている。おとなしくしててくれ」  ここしばらく、俺はひとりで街を散策することが増えた。ガードの仕事がろくにないこともあるが、それなりに土地勘をつけておきたかったからだ。 「街の?」 「敵を知らなきゃ対応できん。フィールドワークだ」  レオニスが不安げな顔をする。コイツはそういった小さな感情の機微を、あのシャワー室の一件以来隠さなくなってきていた。 「危険じゃないか? セキュリティに聞けばある程度のことは熟知しているはずだから」 「ある程度はな。深堀りは自分でする」  運転席から降りて、レオニスの横に立つ。まだ不安顔だった。 「セキュリティを使ってもいい。だからひとりでは行動をするな」 「人狼嫌いのアイツらが喜んで俺の言うことを聞くとは思えん。それなら身軽な方がいい」 「しかし…」 「俺が信用できねえのか」  食い下がるレオニスにピシャリと言うと、黙り込んだ。だがまた顔をあげると言う。 「お前はここしばらく私と共にいた。私の動向は監視されている。ならお前は私のガードだと身元が知れ渡っているということだ。きっと顔も…下手に探りを入れれば、お前まで危害を加えられるかもしれない」 「イケてるガードだって宣伝は打ててるってことだな」  冗談だが、レオニスは白眉を吊り上げる。 「スラッシュ! ……やめてくれ。心配してるんだ」  ブルーアイズが濡れて揺らぐ。それを見ると、俺も言葉を飲まざるをえなかった。  まったく、男の涙で黙らせられる時が来るとは。  コイツとはシャワーを一緒に浴びただけだ。何か「間違い」があったわけでもない。  だが、妙にドギマギすることが増えた。  レオニスは「食事」の時、何故か血を飲まないことが増えた。単に力が満ちているからかもしれないが、それなら「今日はいらない」と言えばいい。だが「おねがい」はするのに、俺の身体に乗っかって抱きついているだけのときがある。驚くことに、そのまま眠ってしまうことだってあるのだ。  そんなことを頻繁にされれば。  俺だって頼られたり、甘えられたり、信頼を感じたりすれば、情は動く。極力考えないようにしているだけだ。  猫のように擦り寄られれば、撫でたくなる。  身を任されると、受け止めたくなる。  情愛らしきものを見せられると、……今のようにドギマギするのだ。 「わかったわかった、…なら……」  湧き上がる甘っちょろい感情を払うように、頭を振る。  そしてわざと酷い選択をする。 「性格はともかく景観は良くなるからな、リリィが…」  と言いかけたが、案の定というか。 「リリィはダメだ」  とレオニスは拒否した。 「何で」  眉を寄せると、奴も眉を寄せた。 「お前はリリィに嫌われているだろう」 「知ってるか? 嫌われるってことは好きの裏返しで、無関心よりいいって言うぜ?」 「私はお前のそばに彼女を置きたくない」 「何だヤキモチか?」  この手の冗談が嫌いなレオニスをわざと茶化す。 「ちが…!」  レオニスが珍しく目を丸くして声を荒げたが、すぐに平常になる。 「…違う。私は彼女を思って言ってるんだ。それにリリィはセキュリティのチーフだから仕事が山ほどある。そう簡単に席を空けさせられない」 「ならどうしろって…」  そう俺が言いかけた時、車の影から 「それ、僕じゃだめですか」  と声がした。2人してそっちを見る。 「エド!」  レオニスの顔が綻び、復帰した運転手の元に駆け寄る。 「もういいのか? まだ本調子じゃないならゆっくりしていても…だがどうしてここに?」 「新車が納品されるから、ここに来いと…ミスター・スラッシュが」 エドが俺を見る。レオニスもつられて俺を見た。 「…快気祝いにテンションが上がるかと思ってな」  肩をすくめ言う。それにエドは「ありがとうございます」と丁寧に返し、レオニスは――美しく微笑んでいた。  何となく目を逸らす。  エドと話すのは初めてだった。いつも運転席にいる吸血鬼にしてはパッとしない奴、という印象だった。こうして見るとレオニスと同じくらいの身長だが、身体はがっちりしている。髪は丁寧に短く刈り込まれて品行方正そうな茶色い瞳のアーモンドアイ。きちんとネクタイをしているため、怪我をしていた首元は見えなかった。  だが、血色も良く言葉もはっきりしている。回復しているのは確かだろう。 「もう大丈夫です。すっかり傷も塞がりましたし、それに大事な運転手の仕事を失いたくありません」 「そんな、お前を解雇するなんかない。お前の運転は静かで揺れないし見事だから…でも、怖い思いも痛い思いもしただろう」  エドは首を大きく横に振る。 「いいえ。レオニス様が無事でよかった、それだけです。僕が運転手になった時、セキュリティの方達から充分注意と覚悟を聞かされていましたから。だからもっとお役に立ちたいし、僕ならミスター・スラッシュのお手伝いができると思います」 「そうか…ならまた復帰…、え? お手伝いって言っ…お前がスラッシュと行動を共に!? 馬鹿を言うんじゃない、危険だというのに!」  レオニスが肩をそびやかし、眉をひそめた。  口は挟まなかったが、おおむね俺もレオニスが言ったことと同じ意見で。病み上がりの坊やが言うこととは思えなかった。  だが、エドはきっぱりと言う。 「僕はこの街のどこに何があるかを熟知しています。きっとミスター・スラッシュを快適にご案内できるはずです」  俺にニコッと笑いかけるあどけなさに、思わず笑ってしまった。レオニスはやめるように説得を続けている。 「エド、観光をするんじゃないんだぞ…それでなくてもお前は怪我が治ったばかりだし」 「僕は暴力は不得手です。だから僕がいれば、ミスター・スラッシュも無茶はできません」  エドの豪気な言葉に、逡巡していたレオニスがふと眉を上げる。  いや…「なるほど?」みたいな顔をするんじゃない。  今度は俺が説得する。 「やめてくれ、それじゃあ俺が動きづらいだろうが」 「では、ミスター・スラッシュ。ドン・アレッシの縄張りはどこからどこまでかご存知ですか?」 「……」  俺は口を閉じるしかなかった。 「デミが良く行く店はオリエンタル街にあると以前リリィさんから聞きましたが、オリエンタル街はどうやって行くかわかりますか?」  にこにことエドが言う。俺は腕を組む。 「僕はレオニス様の運転手としてどこが安全か、そうでないかその境界を良く知っています。きっとお役に立つはずです」 「……」  反論の余地がなかったし、実際聞いていて得策かもしれないとさえ思った。街に詳しくない俺がうろついても、時間ばかりを食うだろう。しかもエドは、レオニスにとっても俺にとっても折衷案で自分をしっかり売り込んでくる。  だが、根本的な質問をした。 「何で、そこまでする? ただの運転手のお前が」  するとエドは豆鉄砲を喰らったみたいな顔をして。 「僕だってレオニス様を守りたい。お困りならお役に立ちたい。それにミスター・スラッシュ、あなたは僕を助けてくれた恩人です。ふたりのお役に立つなら、僕もお力添えいたします」  そう、部下として清く酷く真っ当なことを言い、逆に切り返せなくなった。今度は俺が黙り込む。レオニスと並んで。 「セキュリティの者達と関係が上手くいっていないならば、あなたを信用して、恩を返そうとしている僕を起用する方がよいかと思われます」  胸に拳を当て、真っ直ぐ見つめてくる。 「……」 「……」  腕を組んだ俺とレオニスは自然と視線を合わせた。  どちらもが「どうする?」と問う目だった。  どうするも何も。  コイツはもうついてくる気満々だ。  それに…  確かにコイツの運転する車は、乗り心地が良かった。

ともだちにシェアしよう!