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第18話

 エドはそう無駄口を叩く奴ではなかった。  それにはホッとした。  理路整然と自分を売り込む話術を持っていたから、蓋を開ければ話好きかと思いきやこれまで通り物静かだった。  俺は助手席に座っていた。レオニスがいないのに後部座席に座る必要はない。肩肘をついてフロントガラスを流れる景色を眺めている。こうして見ていたら、この街に境界があるなんてわからない。 「5ブロック前からここまでが、アレッシのテリトリーです」  エドが言う。 「表通りにも堂々と進出してるのか」 「表向きはクリーンな仕事をしています。レストランだったり食料品店だったり。裏の顔は悪事を平気で働くマフィアですが、この街の景気を左右する資産家であるのには代わりないんです」 「だからこそ、排除しにくい」 「そうです」  住人は20万ほどの街だ。昔でいうところの地方都市規模だろう。ここに到着した時、荒野にポツンと落ちた宝石のような街だと思ったのを思い出す。 「どうしますか? オリエンタル街にも向かってみますか? 個人的にはお勧めしません」 「何でだ」 「流石にこの車では目立ちすぎます」  エドは肩をすくめる。重量級の4WDの試乗も兼ねていたのだ。 「治安が悪いのか」 「いわゆる低所得者層の居住区でしょうか」 「そうか。ならそっちには今度歩きで行く」 「僕もお供します。単独行動はいけませんよ、ミスター・スラッシュ。レオニス様に叱られます」 「……」  紐付きなのは辟易したが、この紐は街の情勢に詳しい。利を選ぶのがここは正しい。  レオニスはドラッグがらみのトラブルだと言っていた。ならば売人がいるはずだし、そいつらが出入りしている店があるはずだ。それが路上だったとしてもある程度決まった場所があるのが定説だ。 「アレッシやデミに詳しいと言えば、セキュリティ以外だと誰だ」 「クリスチャン様でしょう」  クリスチャンか。「キューブ」の支配人。赤毛の吸血鬼。 「クリスチャン様はこの街の繁華街や風俗界隈に多数店をお持ちです。アレッシからすると、いけすかない吸血鬼の商売敵と言えるでしょう…失礼」  言葉が汚かったことをエドが詫びる。 「クリスチャンとレオニスは仲がいいのか」 「ええ。とても」  言葉は少ないが「とても」には力がこもっていた。 「ふうん…」  そう言えば奴には殴られたんだった。気分が少し曇ったのはそれを思い出したからだ、多分。 「リリィさんはクリスチャン様の妹君ですし」 「そういや、そんなこと言ってたな」  確かにどっちも燃えるような赤毛だった。 「ご兄妹と仲が良いのですよ、レオニス様は。ご兄妹同士は仲があまり良くないようですが」  ついている仕事からして真逆だし、性格も違った。わかるような気がした。 「クリスチャンには会えるか」 「それはレオニス様にお願いされた方がよいでしょう。あの方はレオニス様の仰ることであれば、何よりも優先してくださるでしょうから」 「何だ、そこまでクリスチャンはレオニスに心酔してんのか。……惚れてんのか?」  チラリとエドが俺を見る。 「幼馴染とレオニス様から伺ったことがあります。クリスチャン様は恋多き方ですから……単に古い古いご友人なのかと」  否定でも肯定でもなく「わからない」という答えに近かった。とにかく、クリスチャンに話を聞くためにはレオニスに頼むのがいいだろう。  車はステラに戻ってゆく。市街地のドライブは今日はここまでらしい。それでも半日以上かかり、空はもう暗い。 「ミスター・スラッシュ。お聞きしていいですか」 「スラッシュでいい」 「では…、スラッシュ」  エドの丁寧さは、嫌味ではなかった。奴自身も嫌いではなかった。俺を人狼だからと差別もしないし、下に見ることもない。マウントの取り合いがない平和的な関係だった。 「スラッシュが来てから、レオニス様はすこぶるお元気です。何故ですか?」  核心だな。  だが、俺が答えられることではなかった。レオニスは人狼の俺を保護するとは宣言したが、俺の血を飲んでるとは言っていない。知っているのは現場に居合わせたクリスチャンだけだろうが、吸血鬼達が未だ知らないところを見るとあの赤毛、口は硬いらしい。  俺が無言でいると、エドは小さく頷き 「失礼しました。単にレオニス様がお元気なのが嬉しくて。もしスラッシュのおかげだったのなら、僕だけでもお礼を言うべきなのかと思って」  吸血鬼達は、レオニスが力を取り戻しているのを悟っている。時期は俺が来てからだとも。だが、それを「何故か」と奴にはたずねられないんだろう。触らぬ神に何とかなのかもしれないし、単に察してはいるが、知りたくないことに蓋をしているだけかもしれない。 「お前らのボスが元気で何よりじゃねえか」 「…はい。車のシートから身体を起こすのも億劫にしていらしたのをずっと見てきて、胸を痛めていたものですから。それでもこの街に尽くしておられて。言葉通り、身を削りながら生きておられましたから」  そんなに、レオニスの状態は酷かったのか。  そこまでこの街、ひいては人間を守ることに執心している理由は何だ。何が奴をそこまでかりたてているのかは、いまだにわからない。聞いてはいない。  まぁ…今やツヤツヤピカピカしているが。 「スラッシュ、どうぞこれからもレオニス様をよろしくお願いいたします」  エドが言う。  返事はしなかった。  何を言っても迂闊に思えた。  近づいてきたステラの塔のような外観を窓越しに見上げる。あのてっぺんにいる、孤独な男の姿を思った。  腹を減らして待っているだろうか。  それとも…  淋しいと泣いてやしないか。  俺の温もりを求めて。 (いかんな…)  額を撫でる。  狼の性が、俺自身を惑わす。  狼とは……本来愛情深い。庇護欲も強い。愛する者や家族、仲間のために命を賭する。  本能的に、仲間と護るものを探している。  孤独が長過ぎたのだろう、相手が種の違う者であっても、少しずつ信頼が生まれ仲間意識が築かれてゆくと、この環境が居心地いいと思う。  例えマフィアとトラブっているとしても、己の縄張りや仲間を守るために爪や牙を研ぐのもワクワクする。  今の俺にとって――それは、レオニスだ。  あの尖塔で、俺を待っている。  エドとは駐車場で別れた。セキュリティに今日の視察報告を俺の代わりにしてくれるらしい。よく働く便利な奴だ。  パスキーを持っている者のみしか使えない、オフィス直通のエレベーターに乗り換えて最上階まで上がる。静かに扉が開くと、室内は薄暗かった。 「レオニス?」  すぐに見える黒檀の机に奴はいない。PCも閉じられている。レストルームか?と思いつつも、どこかを彷徨いてんじゃないかと不安が過ぎる。 「あいつめ…」  モバイルを取り出して、レオニスに電話をかける。だが黒檀の机の上でディスプレイが光った。消音になっていたのか、振動音だけがしている。  耳にモバイルを当てたまま机に近づいて、ようやく気づいた。  窓際のリクライニングチェアに丸まっている人影を見つける。レオニスは手足を縮こめて、オットマンも使わず座って…いや、眠っていた。 (なんだ)  俺は電話を切った。肝を冷やした。こんなところでうたた寝しているなんて珍しい。近づき、肩に手をかけようとした。ちゃんとオフィスで待っていたのは褒めてやるが、何故こんなところで眠ってるんだと言おうとして…ふと止まる。  何でこの椅子で?  いつも俺が居座っている場所。  まさか、だから? 「……」  肩を掴もうとしていた手で、髪を撫でる。柔らかい…シルクを触っているようで気持ちいい。形のいい頭頂部を撫でていると、レオニスが身じろぎした。  ハッとして手を離す。 「……あ…」  瞬いて、自分の所在を確かめてから俺を見上げた。目は暗闇に慣れていたのか、すぐに俺とわかったようだった。 「不用心すぎねえか、こんなところで眠りこけて」 「ん、すまない…お前を待ってたらいつの間にか…。大丈夫だ。あのエレベーターを直通で上がって来られるのは私とお前だけだから」  そうなのか。いつも一緒だったから気づかなかった。  レオニスは軽く目を擦る。足を床に下ろして軽く肩を回した。 「ドライブの話を聞かせてもらうのは、ペントハウスに戻ってからにしよう。スラッシュは腹が空いてるだろう? 私はそれ程だからまずはお前の食事を……」  言ったレオニスの腰に、屈んで片腕を回す。そのまま引き上げた。 「わ…!」  レオニスが急な動きに少し声を上げた。自然と俺の胸になだれる。白い長い指が胸に押し当てられる。驚いた顔がそばにあった。 「寂しかったのか」  訊ねると、質問が意外だったのか首を一瞬傾げたが、視線が少し泳いで離れた。 「別に、そうじゃない」 「じゃあ何で俺の椅子で居眠りなんか」 「元は私の椅子だ。いや、今でも私の…」  眉間を寄せて反論する。  苦し紛れだ。  部屋が薄暗いせいで、顔色はわからない。だが、不意にほんのりとレオニスの身体から匂いが立つ。――人狼の俺だけが嗅ぎ取れる匂いだ。 (!……フェロモン…)  吸血鬼のフェロモンを嗅いだのは初めてだった。俺の肉欲の相手は人間ばかりだったし、奴らの匂いは弱くて楽しめるほどじゃない。  だが、吸血鬼の…コイツのフェロモンの香りは違った。僅かなのに、強くて、甘くて…深い。今までレオニスからこの匂いを嗅いだことはなかった。あの、ふたり裸でいたシャワールームの中でも。おそらく、力を長く失っていたせいで性欲も減退していたのだろう。  だが、今は違う。  間違いなく、フェロモンの香りだ…本能的に呼応し、昂揚する。  もっと嗅ぎたくて、レオニスの首筋に鼻を寄せる。スウッと吸い込むと、さすがにレオニスが身じろぎ離れた。 「っ! おい…よせ、1日経って風呂はまだなんだ。臭いなんていうなよ? …さあ、お前も戻ったことだし、ペントハウスに戻ろう」  言いながら俺を置いてエレベーターに向かう。  そのつれない反応は当たり前だろう。レオニスは自分がフェロモン…つまり性的欲求を発したことに気づいていない。俺の鼻だけがわかったことだ。  俺はレオニスを抱いていた片手をポケットに入れ、その姿を目で追う。思わず舌舐めずりしそうになるのを何とか理性で止めた。 (美味そうな匂いしやがって…)  だがその直情は消えなかった。俺の中でも性欲がざわつく。  吸血鬼が食欲から逃れられないように。  人狼は――肉欲から逃れられない。  それをレオニスは知らない。

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