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第30話
しっとりとした白い腕が、胸板を撫でる。
ほんの少し汗で湿った髪が首を擦っていてくすぐったい。俺は息を整えながら、それを自分の頬で押さえるように擦り付けた。
一日中雪と格闘する肉体労働を終えて、食事も取らないままレオニスとニ度交わった。我ながら疲れ知らずだと思う。流石に腹が空いたと思いつつ、抱き寄せたままの奴の滑らかな腰を撫でる。凹凸を埋めるようにひたりとレオニスは俺の半身にとりついていた。奴の息も次第に緩やかになっている。
長いしなやかな足が、俺の片足をゆっくりと擦っていた。
「また…発情していたのか?」
レオニスが俺の肩に頭を乗せたまま言う。
「いや。…何でだ?」
「だって帰ってすぐ、私を、その…」
「発情してなきゃダメか?」
「そうじゃないが…」
外れた箍は戻せない。レオニスの肉体を知ってしまった以上、俺はもう抑えることができない。美味いものを美味いと知ってしまった。
帰宅して、まずは昨夜のことについて話をと思っていたのに。風呂上がりに寝落ちしている無防備なレオニスの姿を見たら、抱きたくなった。拒めば止めようと思っていたが、コイツも拒まなかった。一度など、俺に跨って腰を振ってくれたくらいだ。
その淫らで妖艶な光景を思い出すと、まだ腹が疼くくらいだった。それを何とか頭の隅に追いやる。
「発情期はもう、しばらくは来ねえよ」
ある程度は話さなければ。レオニスがこの関係に至った訳を知りたがってるのは嫌でもわかる。
「じゃあ今のは?」
「俺がしたかっただけだ。…お前のフェロモンとは関係ない」
「フェロモン? …私の?」
レオニスが頭を上げる。身体を少しもたげ、俺を覗き込んだ。事後の艶やかな瞳のまま…何度見ても美しいブルーの虹彩だ。
「やはり、吸血鬼にはフェロモンを嗅ぎ分ける鼻はないんだな」
「人狼にはあるのか?」
「そうだ。……お前が色っぽい匂い醸してんのがな。吸血してる時も、そのあと…お前が部屋に帰って何しているのかも、わかる」
「……」
レオニスの頬が赤くなる。
俺は笑った。
「強いフェロモンを嗅ぎ続けると、人狼は発情する」
「惹かれる相手の」とは言わなかった。レオニスを縛り付けたくなかった。…いや、俺が畏れただけだ。自分の心を知られることを。
「じゃあ、私のせいで?」
ふとレオニスが悲しそうな顔をして、じわりと罪悪感で胸が痛んだ。深く言及は避け、言う。
「俺を惑わすくらいの強いフェロモンだ。本来の力を取り戻してんだろ? 喜べよ。性欲まで戻ってきたなら完全に本調子ってことじゃねえか」
レオニスの瞳は揺らいだままだ。色づいた唇が開く。
「私は、お前を性欲の捌け口にしたいわけじゃ…」
「俺も楽しんだ。…自分のボスを抱くって旨味も味わったしな。今も」
「スラッシュも幸せだった?」
「セックスは嫌いじゃねえ」
「……じゃあ、私は?」
「……」
「私は好きか?」
「……」
レオニスの指が言葉を促すように、俺の唇を撫でる。頬を染めて、その瞳は確かに俺への恋慕をにじませていた。
たった一言。
いや、頷くだけでもいい。
それができない。
踏み出して、底の見えない奈落に落ちる勇気がない。
先にある「死」を俺は畏れている。
ただ、レオニスを見つめるだけしか出来ない。
レオニスは俺を見つめ返していた。聡明な瞳が俺の心を探る。長い時間のようにも思えたし、瞬間のようにも感じた。
ふと長い睫毛が緊張を解く。そして――
甘やかに微笑んだ。ぺしりと俺の腹を叩き、クスクスと笑う。
「腹が減ってるんだろ、鳴っているぞ?」
「……え?」
唐突に言われて、きょとんとする。
「冷凍庫に作り置きのカレーがある、あれを温めよう。私も食べたい」
「あ? ああ…」
レオニスが身じろぎした俺の胸に手をつく。そして顔を傾けてキスをした。美しい微笑みを浮かべたまま。
「私はお前が愛しいよ、スラッシュ」
「!」
「これからも、お前の気が向いたら……こうして抱いて欲しい」
レオニスは俺の頬を撫でてから起き上がり、裸のままシャワールームに消えていく。質のいいベッドに1人残されて、天井を見上げた。
(何だ、今のは)
心臓が一寸止まった。その後ドキドキと早鐘を打つ。首筋が熱くて脳が少し痺れていた。
今のレオニスの反応はどういうことだ?
俺を、愛しいと言った。俺は狡くも言葉に詰まり、答えなかったのに。
愛しい…? 「好き」ということか? 抱いてもいいということは何だ? セフレか? それとも…古い映画の中に出てくる、恋人のような関係……?
より、わからなくなった。
愛とは何だ。
俺はどんな愛を望んでいた?
レオニスはどんな愛を求めているんだ? 俺に。
愛はどうやって紡ぐ?
愛し合うとは……
一体、何だ?
どうすればいい?
「お前次第だ」
遠い記憶の中の親父が言う。
何が俺次第だ。
なにもわからねぇじゃねえか、馬鹿野郎。
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