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第33話

「俺は、バウンサーらに聞きたいことがある」  クリスチャンのからかいで完全に機嫌を損ねたスラッシュが言った。そして、さっさと部屋を出て行く。一瞬、エドが困ったように私を見たので、頷くと彼の後をついて行った。  怒りの滲んだスラッシュの足音が遠のいてから、肩を下げて言う。 「クリスチャン…、スラッシュを揶揄うのはやめてくれ」 「何だ、だぁってそうだろォ? あんな大男が恥ずかしそーに肩揺らしてたらよ…」  私が視線を強くすると、さすがに彼は黙り込んだ。だがすぐに破顔すると私の二の腕を指で突く。 「しっかし、おいおいレオニスゥ…お前が人狼に肩入れするなんてよ。なんだ? アイツの血はそんなに美味いのか?」  私は無言でいた。  だが、クリスチャンは勝手に続けた。勘だけはやたらといいのだ。 「まさかお前…血だけの関係じゃねえのか? え? ……うそだろ、もしかしてアイツとヤったのか!? オイ! レオニスゥ!!? お前っ、何百年ぶりだよォ!!!」  クリスチャンはひどく嬉しそうに私の肩を掴み揺らす。何も答えてはいないのに、彼は私の小さな機微から読み取ってしまう。昔からそうだった。単に私が顔や態度に出やすいだけかもしれないが。 「クリスチャン、声が大きい」 「こんな嬉しいことねぇからな! そうかァ…そこまで力が戻ってんだなァ…よかったなァ。さっきアイツをもっと労っておくべきだったぜ」 「や、やめてくれっ。スラッシュに殴られたいのか?!」 「そーいうわけじゃねえが、やっぱアイツの血のおかげだろ? 何だ、うまくいってんのか? ペントハウスに一緒に暮らしてたよな。あんな仏頂面の男だが、優しくヤってくれんのか? しかし、お前はノーマルだったよな? ……まさかお前がアイツにスんのか?」  下世話な話を嬉々として聞いてくる。  忘れていた。クリスチャンはいわゆる恋話が好きだった。昔もよく詰められたなと思い出す。あれから何百と歳経た今もそれは変わらないようだ。  またソファに座らされつつ、更に言う。 「本当にやめてくれ。私にもまだわからないんだ」 「わからないって何だよ。スラッシュはお前に惚れてんだろ? まーアイツはあんま顔には出さないヒネた奴っぽいが」 「逆だ。私が彼を好いてる」 「どーいうことだよ。アイツもあの感じ、お前に惚れてんだろォ? ここに来た時もお前にびったりくっついて俺に威嚇しっぱなしだったじゃねえか」  スラッシュがクリスチャンに威嚇するのはまた別の理由がありそうだったが。 「スラッシュの気持ちは聞いていないんだ。もちろん、おそらく…嫌われてはいないと思うが」  実際、あれ以来も日常は変わらない。血は毎日示してくれる。時にはそのまま抱かれる時もある。そんな日は大体、私が無意識に甘えているのか、スラッシュとのスキンシップを求めている。彼が言う私のフェロモンが作用しているのかもしれない。それを嗅ぎ取って、相手をしてくれるのだろう。  上質なセックスだ。クリスチャンには言わないが、スラッシュはとても巧みに私を満たしてくれる。最中には彼の情を感じる。慈しみのような、労りのような。  ただ、愛を囁かれたことはない。  情熱的な口付けや愛撫はされても、言葉はなかった。  どれだけあの赤い瞳が熱く私を見つめていても。  私に彼の愛情の確信は持てなかった。 「何だよ、チャームを使えばいいじゃねえか。イチコロだろ? 永遠でもお前に仕えるだろうぜ」  クリスチャンが簡単に言う。 「いや、約束したんだ。スラッシュにチャームは使わない」 「え? 今まで使ったことねえのか?」  クリスチャンは金眼をパチクリさせる。 「ああ…初めて彼に会った時、食欲に我を忘れた時以外は」 「ええ? それで、アイツは、あんな懐いてんのか? 人狼は気難しいだろ、よくわかんねえプライドがあったりしてよォ?」 「懐いているか? 私にはわからないが」 「そりゃお前…」  首を傾げる私に、クリスチャンは呆れたような顔をする。 「…そーだ、お前そうだったわ…昔っからホント変わってねえっつーか。相変わらず純で鈍感なんだなァ」 「私はお前みたいに好色じゃない」  ムッとして眉間を寄せる。 「恋愛ごとは経験が豊富な方がいいぜ? 事実お前、スラッシュの気持ちがわかんねえってヤキモキしてんじゃねえか」 「……」  そんなことはない。私はスラッシュの気持ちが動くまで待つと決めてるし慌ててなどいない…と言いかけて、それが嘘だと気づく。  本当は知りたい。彼が私をどう思っているのかを。  あの口から、愛の囁きを聞きたい。  どれほど身体が満たされても、いや、満たされれば満たされるほど、物足りないと感じてしまう。どんどん欲張りになっている。  すべて私のものだと感じたい。  やはり、私は身勝手なのだろう。彼を待つと言いながら焦れている。 「…まあ、そんなしょげるなよォ。お前がまた恋に目覚めたんだ、それだけで生きる彩りになるだろうしな。それにアガるだろ?」  アガるとは…何があがるのかはわからなかった。むしろ少し沈みがちになるというか。湿っぽくて女々しいのは自分自身も嫌であるし、きっとスラッシュもよくは思わないだろう。 「彼に好かれるために、色々考じてはいるが……何をしても裏目に出そうで、結局何もできない。面倒な奴だと思われるのが怖いのかもしれないな」  私が言うと、クリスチャンは頬杖をつきながらウンウンと頷く。どうしてそんなに嬉しそうなのかわからないが…はぁとため息をつくと、眉を寄せながら「ホントに恋、してんだなァ…」とときめきを隠さず言う。 「よしっ、俺がとっときの酒をやるよ。ヴィンテージウイスキーだ。奴は酒呑む口だろォ?…これでかるーく酔わせて、色々話してみたらどうだ? な? 少なくともいい雰囲気にはなるだろ」  膝を打って立ち上がったクリスチャンは、棚にあった箱を持ってくる。中には布に包まれたガラス瓶が入っており、琥珀色の液体が満ちていた。 「いや、それなら私が買い上げて…」 「いーんだよ! …また話聞かせて欲しいしな!」  それが目当てか。そんなに恋話が好きなのか。本当に変わった趣味だ。私は遠慮なくその箱を受け取った。ウイスキーはワイン以上に希少な酒だった。 (スラッシュ、喜ぶだろうか)  ふと。彼が嬉しそうにロックグラスを傾けるのを想像した。胸が少し温かくなる。 (喜んでくれるといいな…)  大事に箱を抱え、クリスチャンに別れを告げようとした。何だか当初の予定になかったことを話したような気がするが、この土産の代償なら――…  そう思っていた時。  どこか遠くで、人の悲鳴が聞こえた。  私もクリスチャンもはっとして、扉を見る。彼は私を手だけで押し留め、扉に近づき耳をそば立てた。誰かが言い合い、というか喧嘩をしているような物音だ。鈍い、何がが壁に当たる音や、倒れる音がしている。 「何だ…?」  クリスチャンがつぶやいた瞬間、扉が徐に開き、エドが慌てた様子で駆け込んできた。 「エド! どうしー…」 「レオニス様! スラッシュが…スラッシュを止めてくださいっ!!」  スラッシュが? 一体何が…?  私は部屋を飛び出していた。抱いていた箱をオロオロしているエドに押し付けて。  廊下に出て驚く。一室の扉の蝶番がはずれてぶらぶらしている。今にも倒れそうだ。床には2人、屈強そうな男が呻いて倒れている。そして、部屋からもう一人、追加で投げ飛ばされてまろび出てくる。  私は扉が壊れた部屋の前に立った。  中にいたのはスラッシュ。  肩で息をしながら、噛み締められた犬歯の隙間から低い唸り声を漏らしている。鬢の毛を逆立たせ、赤い隻眼は怒りに揺らめいている。 「スラッシュ!」  私は駆け寄り、彼の身体を押し留める。そうでもしないと、既に倒れている男達の喉に噛み付くのではと思える程だった。胸板に触れた時、その体が怒りに強張っているのがわかった。  こんなスラッシュを見るのは初めてだった。 「スラッシュ、落ち着けっ、……スラッシュ…な?」  私は我を忘れかけた彼を宥める。胸を撫で、鬢を撫でる。倒れた男達に向いていた目を、私に向けさせた。  獣のような瞳だ。彼が生粋の人狼であると理解するに足る。 「スラッシュ…大丈夫。…大丈夫だから…」 「……ウ…」  怒りが揺らぎ、次第につり上がっていた眉が下がる。焦点が私に合い、噛み締めていた歯が解かれ、ハッハッと小さく短い吐息をこぼした。 「レオ…」  そう小さく呼ばれて、ドキリとする。そう呼ぶのはベッドでだけだったから。隻眼の瞼が少し下り、疲労感を滲ませた目になり、彼が正気を取り戻したのがわかった。 「ん。……もう大丈夫か?」 「……」  少し瞬き、長く細い息を吐く。強張っていた力が解けてゆく。彼の頬がほんの少し私の髪に寄せられる。スン…と鼻を鳴らしたのが聞こえた。  よかった、戻った。  ホッとして、スラッシュの汗ばんだ頬を撫でる。彼もその手に擦り寄るようなそぶりをする。 「一体、どうしたんだ」  スラッシュは何も言わなかった。  ただ…  私を見つめる瞳が、苦しそうに揺れているのがわかった。  どうして、そんな目をしている? 「おいおい…」  追いついてきたクリスチャンの声に振り返る。目を丸くして、スラッシュを見ていた。ホッとしたようなエドもその後ろに控えている。 「うちのバウンサーを一掴みに投げ飛ばして…一体、お前はどーなってんだよ…」  再度、スラッシュを見た。  その時には既に。  彼はいつもの不遜な目に戻っていた。

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