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第34話

 「キューブ」内にあるスタッフルームに向かうと、それなりな広さの部屋にバウンサーや黒服が時間潰しをしている。机でカードを切る奴らや、モニタで何某かのゲームをしている奴。ソファで居眠りしている奴もいる。  俺が根城にもしていた場所だ。勝手はわかる。  ただもうよそ者だろうが。  俺が部屋に入ると、皆一斉にこちらを見た。一瞬誰だかわからないと言う顔をしたし、実際見たことがない奴もいた。だが数人は俺が以前いた奴だと気づき目を丸くする。 「スラッシュじゃねえか 見違えたぜ」 「何だ、そんないい服着てたらお前はやっぱそっち側だなぁ」 「元気にしてたか?」  一斉に数人が喋る。いちいち答えるのも面倒で俺は曖昧に頷いた。  スタッフ達は俺の背後にエドがいることに気づき、少しギョッとしたようだ。エド自身は手を後ろで組み、興味深そうに部屋を見回していた。その姿や古風な立ち振る舞いは人間のスタッフ達からするとやはり異質さを醸す。  顔見知りの1人が声を顰め俺に聞く。 「吸血鬼との暮らしは大変だろうよ…」  エドが俺の監視役とでも思ったのだろう。一部は間違いじゃないが。 「特には変わらん。仕事が少しキツイぐらいだ」 「仕事か…今や総帥のボディガードだしな。よくニュースでお前がチラッと映るのを見る。確かにここのバウンサーとは違うだろうな」  顔役の肌の黒い黒服が言う。まともな話ができるひとりだ。ただ名前までは覚えていなかった。確か菓子みたいな名前だったと… 「カヌレ、ポーカー抜けるのか?」 「ああ」  顔役はそう卓から言われ返事をした。そうだ。カヌレだ。俺と同じあだ名だろう。ここにはある程度まともだが、氏素性のはっきりしない奴が多かった。ただ奴は人間だ。においがそう言っている。  どうやら部屋を訪れた俺が、何かを聞きにきたと悟ったのだろう。空いていた小さなテーブル付きのスツールを示す。飲み物が出てくるわけではないが、俺とエドはカヌレと共にそこについた。 「あんたは総帥の運転手、そうだったよな?」 「はい。エドといいます」  カヌレがエドに頷く。 「スラッシュはそっちでよくやってるのか?」 「ええもちろん。レオニス様の信頼も篤く、今や欠かせない存在です」  ただの社交辞令としてされた会話だった。それにカヌレは小さく「フム」と鼻を鳴らしただけで、感動的でもなかった。 「で、要件は何だ。お前がわざわざ元同僚に挨拶するようなタイプには見えん」  カヌレが電子煙草をつけながら言う。煙は出ない。ミントの香りだけがした。 「話が早くてありがたい」 「俺に答えられるかはわからんがな」 「デミはどこにいる」  隣のエドがギョッとして俺を見たのがわかった。カヌレはフッと唇から息を吐く。  巷の噂や情報はスタッフの方が耳ざといこともある。噂好きが多いし、大量の客を捌いているうちにその手の話も見聞きする機会に恵まれている。 「あの殺し屋か」 「オリエンタル街に出入りしていると聞いたが、どこの店かまでは特定してない。それ以外でも奴に会うにはどんな方法がある」 「まさかお前、奴に仕事を頼もうってつもりじゃねえよな?」  冗談だとすぐにわかる。唇は笑っていたが、目は笑っていない。続けてカヌレは言った。 「……デミか。確かヴァンピールだったよな。まず奴は昼間には街には絶対でない。表の世界の住人とはまるで接点を持たないと聞く。だから、コネクションも限られていて、もっぱらマフィアからの仲介がねえと奴には会えんだろう」  予想はしていた。まだ言葉が続きそうだったので、黙っていた。 「以前うちのボスも狙われたことがある。厄介な奴だ。吸血鬼への劣等感が粘着性に出るタイプだ。その時は仲間を3人失った」  クリスチャンは何も言っていなかったが。いや、さっきはアレッシについて訪ねたところで話が脱線したからだ。だからと言って戻って再度聞く気にはならなかった。奴は腹立たしい。今だって、俺の目がないところでレオニスに何をしているか……、…いや。今はやめておこう。  カヌレが電子煙草をスーツの内ポケットに戻しながら言う。 「デミは劣勢遺伝子の吸血衝動を抑えるために、ドラッグを使ってると聞く。…もし偶然会えるとするなら、奴の根城のオリエンタル街にある売人の店か路上だろう」 「ヤク中のヴァンピールか、面倒だな」 「奴に恨まれれば、死ぬまで付き纏われる。命が惜しければ気をつけるんだな」  肩をすくめた。カヌレは俺が人狼とは知らない。命が惜しいという気持ちは不老不死の俺にとって意味のない言葉だ。レオニスに言われればまた別だが。 「また話を聞きにくるかもしれん」  俺は言い、懐から小さく畳んだ札をカヌレの指に潜らせた。奴はそれを指の間で弄ぶ。 「お前からチップをもらう日が来るとはな」 「娘に菓子でも買って帰れ」  俺が言うと、カヌレは目を丸くした。何か言いかけた言葉を飲み「そうする」とだけ言って金を懐にしまった。 「さぞいい菓子が買えるな」  カヌレは言いながら席を立つ。笑うと目尻に皺がよる。せいぜい35歳くらいかと思っていたが、俺が思っているより歳をとっているのかもしれなかった。  カヌレは腕時計を見ると、小さく手を上げて部屋を出ていった。そろそろ店が開く時刻だ。 「スラッシュ、デミに接触する気ですか? さすがに危険では」 「接触するかは別として、どんな野郎かは知っておきたい」  クリスチャンの言うことが正しければ、俺はレオニスのウィークポイントだ。わざわざアレッシやデミの前に姿を晒すのは愚かにも思えるが、だからと言って隠れているのも性に合わない。  俺を煽ればどうなるか、それを後悔させてやる。  できるならば、奴ら全てをこの牙と爪で引き裂いてやりたい。1番手っ取り早いし、それなりに街も綺麗になるだろうし、何よりレオニスの悩みをひとつ消せる。  苦笑する。  自身がそんな風に、誰かのためにと思う時が来るとは。  甘ったれた心地に照れも湧いたが、それでもレオニスが安らぐならそれでいい。いつでもよその事ばかり考えて、自分を二の次にするアイツのためになら、俺が手を汚すくらい何でもない。誇らしくさえある。 (だが、奴はそれを嫌がるんだろうな)  自分のために、俺が汚れるのさえ悲しむのだろう。  なら奴を守り、慈しむのは誰だ。  神か? ……くだらない。 (俺が…)  そう思いながら、俺はこれが「愛」なのか? とぼんやり考えていた。何やら一方的で身勝手な考えにも思えた。 「エド、戻るぞ」  俺は言い、席を立ちかけた。エドは俺の意図を思い倦ね少し不安げではあったが「はい」と言う。 「なーアンタ。レオニスさまのガードなんだって?」  見知らぬバウンサーが話しかけてくる。机でカードをしていた奴らのひとりだ。数人が薄笑いを浮かべている。 「いいよなぁ…あんなキレーな奴の尻を毎日見ながら仕事できるなんてよ。奴らは吸血鬼なんだし撃たれたって死にゃしねーんだ、ガードなんてお飾りみてえなもんだろ。それでいい服着て可愛がられるなんて、オレもあやかりてえぜ」   部屋の中にいた数人が笑った。  窓際で煙草を吸ってた奴は眉をひそめた。  背後のソファの奴らは…身をすくめた。  俺は。  笑った奴の居場所だけを察知した。  誰かが「おい、止せ」と呟く。  だが、言った男は続けた。 「吸血鬼はだいたい好色だろ、うちのボスだってそうだ。ならレオニスさまもそうだろ? …アンタ、そっちでもいい思いしてんじゃねえか? 上で腰でも振ってくれるか? 羨ましいかぎりだぜ」  エドが背後で「なんてことを!」と珍しく怒気を含んで言った。  俺は……  哀しくなった。  こんなクズが住むこの街を、レオニスは守りたいのか。  時に寝る間も惜しんで、仕事をしている。メテオラの民の幸せのためにと、大昔の小難しい法律を読み漁りながら、より良い法をと日々模索している。  あちこちの施設に行っては、それがちゃんと稼働しているか、問題はないかと気にしている。街が街として機能しているか、民衆に不自由がないかとそればかり。  何故だ  どうして吸血鬼は人間を救おうと思った?  レオニスは、どうしてこの街を守っている?  こんな奴らのために  レオニス。  俺には、わからない。

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