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第3話

 三年目になり、ようやく担任を持たせてもらえた。一人前と判子を押されたようでより一層責任感が強くなり、背筋が伸びる。  受け持つ一年生は中学から上がったばかりでまだ子どもっぽさが抜けていない。  そんなクラスをまとめるのは大変だが、持ち前の楽観さでどうにかやりきっている。  「煌ちゃん、ここわかんないんだけど」  「先生つけろって。見せてみな」  生徒のノートを覗くと「連絡先教えて♡」とハートマーク付きで書いてあり鼻白む。  「はいでは、さようなら」  「なんで~いいじゃん」  腕を取られそうになり、ひょいと身体を躱して避けると女生徒はニヤニヤと笑っている。  今年二十五歳になるが一番若手で、生徒と九歳しか離れていない。そのせいか生徒たちにからかわれることが多かった。  つまり舐められている。  あまりいい気はしないが無視されるよりはマシだ。だが本気で惚れられるのも面倒なので相手を傷つけず、冗談っぽく流すことにはだいぶ慣れてきた。  廊下ですれ違うたびに受け持つ生徒たちから声をかけられる。最初は慕われているのだと嬉しかったが、「だって煌ちゃん先生、チャラいから」と言われた。  あながち間違いではないので子どもだと見下せないなと肝を冷やす。  「今泉先生」  猿のようにきゃっきゃ喚く生徒たちとは違う穏やかな声音に振り返ると|棗則康《なつめのりやす》が手をこまねいていた。女生徒たちは「棗先生だ」と笑顔で近寄ると棗は目尻を下げた。  「あまり今泉先生を困らせてだめだよ」  「わかってます」  きゅるんと目を上目遣いさせて甘える声にぞわりと背筋が震えた。女の変わり身の早さはいくつになっても慣れない。  「じゃあ今泉先生と大事な話があるから」  「はぁい」  自分とは違い簡単に引き下がる生徒たちを睨みつけると笑って逃げて行った。やはり四年も上の先輩の貫禄には勝てない。  「どうされましたか?」  「今夜の飲み会のあとって時間ありますか?」  ノーフレームの眼鏡から覗く黒い瞳にどきりとした。  棗は赴任してきてからずっと面倒をみてくれている数学教師だ。去年まで棗のクラスの副担任としていたため関わりが多く、間近で教師の仕事を見させてもらった。  真面目で生徒想いの棗は先輩として尊敬できる。  だがそれだけでなく、恋愛的にアプローチをされてきていた。  仕事が終わるまで待ってくれていたり、食事に誘われたり、飲み会のときは隣に座ってきたりなど棗からの好意はひしひしと感じている。  好かれて嬉しい。だがその想いを応えるにはどうしても二の足を踏んでしまう。  (もう三年も経つんだよな)  いまでも大翔との別れ方は腑に落ちない。理由がわからないまま振られてしまった傷は深く根づいている。  その痛みを消すように誰彼構わずと寝て、二丁目ではちょっとした有名人になってしまったくらいだ。  でももうさすがに疲れた。それに教職に就いたからにはこんなことをいつまでもやっているわけにはいかない。  そろそろ落ち着こうと思っていた矢先に棗からのアプローチだ。タイミング的にも悪くない。恋愛はなによりもタイミングが大事だ。  好きになるタイミング、声をかけるタイミング、告白するタイミング。その全部ががちりと当てはまると「この人だ」と初めて思える。  棗は落ち着いていて、ガツガツしていないところが大翔に似ている。まるで植物のように穏やかで悪く言えば喜怒哀楽が乏しい。でも好きなものに対して深い愛情を持っており、いま着ているシャツも気に入ったブランドものらしく同じデザインを何着も持っている。  それに見た目も悪くない。細くひょろっとしているが脱いだら筋肉がありそうな身体や理知的な切れ長の瞳も色っぽい。  だけど心のエンジンがかからない。棗を俯瞰的に観察して、粗を探そうとしてしまうくらいに恋愛に臆病になっている。  大翔との別れが引いているのか、それともこれが大人になったということなのだろうか。

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