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第4話

 ぼんやりしていると棗は形のよい眉を寄せた。  「やっぱり予定がありますよね」  「いや、あの……あとで確認します」  「わかりました。いい返事を期待しています」  黒く長い前髪をかきあげて笑顔を向けられると頬が熱くなった。踏み込み過ぎず、かといって好意はきちんと示してくれる。慣れた大人の対応に期待値はわずかに右に揺れた。  「いたいた。今泉先生、探しましたよ!」  「どうかしました?」  「購買部の当番ですよね。早くしてください。生徒が待ってます!」  「忘れてました。では棗先生、あとで」  「はい。頑張ってください」  引きずられるようにして購買部へ行くと生徒が群がっていた。空腹で飢えた生徒たちの群れに教頭が額に汗を浮かべながら整列させている。  購買部のおばちゃんが一昨日ぎっくり腰になってしばらく来られないということで昼休みの間、教師たちが順番に受け持つことになっている。  生徒たちをかき分けてプレハブに入ると茹でタコのような教頭に怒られてしまった。  「今泉先生! 遅いですよ」  「すいません」  「煌ちゃん怒られてやんの」  「うっせ」  ただでさえ舐められているのに生徒の前で叱らないで欲しい。これ以上情けない姿を見せると威厳がなくなってしまうではないか。  購買部にはお菓子や学校で使う文房具の他に近所のパン屋から卸してもらっている総菜パンがある。だが陳列されているはずの長机は空っぽだ。  「パンが遅れてるみたいなんです。今泉先生、ちょっと見てきてください」  「わかりました」  先輩と教頭を置いて外に出るとちょうど校門を開けて入ってくる白いバンが見えた。  車を停めて出てきた男は年季のはいった白いシャツとエプロンにジーパンというラフな格好だ。  「すいません、遅れてしまって」  「大丈夫でーー」  相手の顔を見て、時間が止まってしまったかのように固まってしまった。  「……こ、今泉?」  鼓膜を震わせる声音にぞくりとする。太い眉の下にくっきり線を引いた二重は吊り上がり、相変わらず冷たそうな印象を与える。  背の高さも切りっぱなしの黒い髪もなに一つ変わっていない。  三年前にタイムスリップしたような錯覚に陥り、頭が混乱している。  上顎に舌がべっとりと貼りついて唇を開くことさえできず、ただ茫然と大翔を見上げた。大翔も驚いているようで視線を左右に彷徨わせている。  「あ、やっと来た。楠川さん遅いですよ」  先輩の声に我に返り、慌てて視線を逸らした。  「楠川?」  「今泉先生、忘れちゃったんですか。みんな購買パンって呼ぶけど、楠川パンさんから卸してもらってるんですよ」  先輩のあっけらかんとした言葉に頭が痛くなった。どこのパン屋かまでは考えたこともなかった。そもそもいつも配達に来ていたのは六十代くらいの女性だったはず。まさか大翔と会うなんて夢にも思わなかった。  「生徒たちが空腹過ぎて雄叫びを上げているので急ぎましょう」  台車に乗せて三人で購買部へ向かっている間に生徒がわらわらと集まり、「早くしてくれ」とゾンビのように追いかけてくる。  長机にパンを並べている余裕はなく、番重のまま乗せると次から次へと手が伸びてきた。  空腹でゾンビ化していた女生徒たちは大翔を見て、頬を赤らめながらよそよそしく大翔の前に行列をつくっている。  急に生徒たちが女を出し始め、なんだか身内の不手際を見られたようで恥ずかしい。  ものの十分ほどでパンはすべて売り切れ、教頭と先輩は職員室へと戻ってしまった。  「机ってどこにしまうんですか?」  「そこの脇に置いといてくれれば大丈夫です」  なんとなくよそよそしい態度になってしまうのはここが職場だからだろう。それは大翔からも感じ取れる。

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