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第8話

 コーヒーの匂いに目を覚ますとシャツとスラックス姿の棗がカップを持って来てくれた。  「おはよう。砂糖とミルクはいれる?」  「はい」  久しぶりの甘い余韻に浸っていると軽いキスをされて、胸がとくんと鳴る。  恋人のようなやり取りはくすぐったい。久しい感覚に肌がそわそわするような落ち着きなさがあり、布団をかき集めた。  棗との身体の相性は良かった。的確に弱いところを突いてきて、こっちがグズグズになるとわざと意地悪をしてくる。その駆け引きの加減が余計に快楽の渦へと陥れてくれ、簡単にのめり込めた。  あんなに臆病になっていた恋心はいとも簡単に燃えようとしている。  「はい、煌くん」  「ありがとうございます」  一口飲むとミルクの温かさが身体に沁みる。ほぅと小さく息を吐いていると棗は隣に座った。  「付き合うってことでいいよね?」  あれだけ乱しておいてまるで中学生みたいなやり取りに面食らう。棗は少し恥ずかしそうに唇を尖らせた。  「なに、その表情」  「なんだか意外で。棗先生がそんなこと言うの」  「あまり付き合った経験がないんだよ」  「……そういえば俺もです」  大翔以外と恋人になったことはなかった。身体の関係だけなら両手両足合わせても足りないほどいるとは口が裂けても言えない。  「お互い様だね」  もう一度キスをすると段々と体温が上がってきてしまう。それは棗も同じようで眼鏡をベッドサイドに置いた。  昨晩も受け入れた蕾は簡単に棗の性器を許してしまい、出勤時間ギリギリまで睦み合った。  一緒に行くとバレるからと時間をずらして、職員室ではいつも通りで過ごす。時折目が合うと僅かに微笑んでもらえ、そのやり取りが擽ったい。  久々の交際に浮足立っていたが、昼休みに購買部に行き大翔と顔を見ると冷水を浴びせられたように熱が下がってしまった。  すでに長机の上には惣菜パンが並べられている。四時間目が早く終わった女生徒たちが手伝っていたらしく、大翔と親しげに話していた。  大翔が既婚でも生徒たちには関係ないらしい。恋に恋する姿が十代らしくまっすぐで眩しい。もう自分には二度と戻ってこない青春まっただなかにいるのが羨ましくもある。  かつての自分もそうだった。大翔に一目惚れをして友人という立場をキープしつつ積極的にアプローチをしていた。  いま思い返すと痛い行動ばかりだ。弁当を作ってきたり、わざとボディタッチをしてみたり、甘えてみたり。  ノーマルである大翔には痛々しく映っていたのかもしれない。同性に迫られて嬉しいのは同性愛者だけだ。そんなことにも気づけないほど大翔に夢中だった。  (駄目だ。大翔といるとタイムスリップしてしまう)  隣でパンを売り捌いているだけでも心臓が鼓動を強く刻む。さすがに生徒の前では顔を赤くさせるわけにはいかないので、神経をすり減らしながら作業に没頭した。  「もう少し量を増やした方がいいかな」  空になった番重を片付けていると大翔がぽつりとこぼした。  「なんで?」  「こんなにすぐ売り切れるってことはそれだけ買う子が多いんだろ? いままでこんなすぐ売れなかったし」  「それは売ってる人目当てだろ」  「……今泉ってこと?」  「おまえだよ、木偶の坊」  「俺?」  大翔は切れ長の目をわずかに上げて、首を傾げている。やはり女生徒たちからのアピールに気づいていなかったらしい。

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