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第10話

 仕事が終わり待ち合わせの駅に着くとすでに大翔の姿があった。相変わらずヨレヨレのシャツと穴のあいたジーパンとお洒落に無沈着なのに顔がいいからビンテージもののように見える。  目が合うと軽く手を上げる仕草に見惚れてしまい、打ち消すように頭を振った。  「悪いな。仕事で疲れてるのに」  「それはお互い様だろ」  「そうだな。店はもう決めてるから行こう」  向かったのはチェーン店の居酒屋だ。小洒落たバルやバーに連れて来られたらちょっと期待してしまうが、こんな場所でどうも思われていないと言われると同じだ。また勝手に傷ついてしまう。  座敷に通されて適当につまみと酒を頼んだ。大翔は酒が好きで、一杯目は必ず生ビールを頼む。煌は弱いのでいつもチューハイばかりだ。  なんとなくグラスを合わせて食事が始まるとつるつると話が進む。というか一方的に自分が話しているのを大翔が聞き役に徹してくれているだけだ。  大翔は話を聞くのが上手い。ただ頷くだけでなく、合いの手や質問のタイミングがいい。きっとここで訊いてくれるだろうとこちらの期待にも必ず応えてくれるので気分良く話せてしまう。  仕事のやりがいや苦悩をこれでもかと話し尽くし、何杯目かのチューハイを飲んでからはたと思い出した。  「悪い、俺ばっかり話して。相談ってなんだよ」  「煌の話聞くの楽しいからいいよ」  「なんだよそれ」  キザったいセリフだなと言うと大翔は笑った。  「パンのメニュー増やした方がいいと思うか?」  「そりゃ増えたら子どもたちも喜ぶんじゃない」  途端に大翔の顔に影が入る。どこか思い詰めている表情に簡単に答えてはいけない雰囲気を感じ、姿勢を正した。  「やっぱ新メニュー考えたりするのは大変?」  「俺はそっち方面全然ダメでさ。レシピ通りになら作れるけど一から考えて作るのはちょっと……」  大翔は大学では教育学部を専攻し、卒業後は商社に就職していた。パン作りは母親の手伝いをしていた程度で、メニューを考えたことは一度もないらしい。  「てかなんで商社辞めたの?」  「妻が有名パン屋の一人娘で、跡取りがいないから……まぁ政略結婚的な感じだな」  「なんだそれ、昭和かよ」  「いまでもそういう人は多い」  ジョッキをぐいっと煽ると男らしい喉仏が上下する。ぼんやりと見つめていると目が合ってしまい、慌ててグラスを飲むふりをした。  「なにも説明しないで悪かった。あのとき、俺にも余裕がなくて」  「なんだよ、今更」  「今泉にすごく酷いことしたなって……。それなのに相談にまで乗ってくれて。すまなかった」  頭を下げられると困ってしまう。謝って欲しかったわけではない。ただ別れるときにこちらが納得できる理由を言って欲しかった。  でもその言葉を飲み込んだ。そんなこと言っても現実はなにも変わらない。  大翔は一度決めたら絶対に曲げない頑固者だ。それを充分理解しているだけに大翔の決意を変えさせるのは難しいのだろうと最後は自分を諦めさせた。  きっと自分がこんなに悩んでいたことなんて大翔はちっとも気づかないだろう。知ろうともしないだろう。相手の好意に鈍感なように、人への機微に疎いところがあった。  「別にもういいよ。昔のことだし」  「いい感じの人って同じ学校の人?」  「そう。おまえと違ってゲイだから結婚したいとか言い出さないよ」  大翔は顎に皺を寄せたが「そうか」とジョッキを舐めた。少し肩を竦める仕草にざまあみろと溜飲を下げた。  まさか自分に好きな人がいて傷ついているの、と訊いてみようか。まさかとその考えを打ち消した。   そんなこと死んでもできない。大翔とのことはただの過去で、自分はそれを乗り越えたのだ。大翔のことなんて忘れた。いまさら謝られても困るとそういう虚勢を見せて、大翔への想いを打ち消している。  そうでもしないと気持ちが溢れ出してしまいそうだった。

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