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第29話
弁当の蓋を開けると色とりどりのおかずに驚いた。
ひじきの炒め物、焼き鮭、五目ごはんに厚揚げ煮込みと健康的なラインナップだ。
「あいつ、どこ目指してるんだよ」
一人きりの国語準備室なので気兼ねなく笑ってしまった。
パン作りだけじゃなく料理の腕も上達しているらしい。元々器用なとこがあったが、これなら弁当屋も開けるんじゃないか。
(この料理を沙良さんに作ってあげてるのかな)
大翔と沙良がテーブルを囲っているのを想像すると腹の底がむかむかしてしまうのでおかずと一緒に飲み込んだ。
部活が終わり、大翔は車を取りに戻った。その間片付けや雑務をしに職員室に行くと棗の姿はない。駐車場に愛車もないから帰ったのだろう。
荷物を持って外に出ると見慣れた白いバンが路肩に停車していたので、周りを確認してから乗り込んだ。車内は大翔のシャンプーの匂いで充満している。どきりと心臓が跳ねたが無視をして、手早く助手席のシートを倒して窓から見えないようにした。
「随分気にするんだな」
「いいから早く出せ」
「はいはい」
滑らかに車が走り出すと「お疲れっした!」と声が聞こえる。どうやら部員たちも帰宅途中だったらしい。
「おまえのとこ、みんな真面目でいい子たちだな」
「そりゃどうも」
「それとも彼氏にバレたらヤバいのか」
「あたり」
大翔の家で着替えを借りただけで激怒した棗だ。映画を観に行ったのがバレたらどうなるかわかったものではない。一応まだ恋人なのだ。
携帯を確認するが連絡はきていない。そのまま電源を落とした。
外環を通って千葉に入り、大きな商業施設に向かった。
夏休みといえども平日の夜はかなり空いている。
ポップコーンとコーヒーを買って席に着くとわくわくしてきた。
「映画なんて久しぶり」
「俺も。おまえと行ったのが最後かも。フランス映画のやつ」
「懐かしいな。ミニシアターのやつね」
一時期二人のなかで空前の映画ブームがきて、よくミニシアターでマイナーな映画を観ていた。大翔とはそういう感性もよく合う。
「奥さんとデートで行かないの?」
「交際0日婚ってやつだから」
「逆によくそれで結婚したな」
お見合いとは言っていたが、その日のうちに将来を決めてしまったことには驚いた。人となりを知るためのお試し期間がなくてもいいほど奥さんに一目惚れしたのか。
ちりっと胸が焦げつく。
映画は原作通りでよかった。改変や台詞の変更もなく、映像美が脳内で描いていたものより素晴らしかった。
エンディングが終わり、場内の明かりがつく。圧倒されてしまいぼんやりとなにも映っていないスクリーンを眺めていると大翔に肩を叩かれた。
「帰ろうか」
売店を冷やかしてパンフレットを買い、駐車場までの道をのんびりと歩いた。大翔との時間を引き延ばそうとゆっくりとした歩幅を合わせてくれている。
(大翔も同じ気持ちでいてくれてるのかな)
映画館以外の店舗はシャッターが下りている。少し仄暗い施設のなかを歩いていると非現実的で映画のなかに入った気分だ。
「このまま違う世界に迷い込む話あったよな」
そう言うと大翔は目を丸くした。
「俺も同じこと思った」
「確か児童書であったよな。かくれんぼしてた主人公が誰にも見つけてもらえなくて、閉店したショッピングモールで着ぐるみのうさぎに会って」
「そうそう。不思議の国のアリスみたいにうさぎ追いかけてさ」
もう何年も読んでいないはずなのに話していくうちに記憶が蘇ってくる。
けれど所々大翔と話が違って「こうだった」「違う。あぁだった」と話していて結末は微妙だったよなと笑った。
いよいよ駐車場に着いてしまった。車に乗り込むと終わりの鐘が間近に迫るのを感じる。
(シンデレラもこんな気持ちだったのだろうか)
十二時の鐘が鳴らないように祈りながら王子とのわずかな逢瀬を楽しんでいたのだろうか。でも一時は王子と離れ離れになっても、二人は運命の再会を果たす。
でも煌はシンデレラのようにはなれない。
「こんな遅くまで出かけて奥さん怒らないの?」
「沙良も出かけてるんじゃないかな。一緒に住んでないし関係ないよ」
「でもさ」
「おまえ、よくあいつのこと気にするね」
「……そりゃ気にするだろ」
気にしない方が無理だ。あんな美人の奥さんがいて、大翔はぞっこんだときている。
「そういや弁当食った?」
「美味かったよ。てか随分食の好み変わったな。昔は肉のオンパレードだったのに」
弁当といえば唐揚げ弁当、外ではハンバーグやステーキをよく好んで食べていたのに弁当の中身は胃にやさしく栄養豊富なものばかりだった。
「お袋のために作ったあまりだから」
「入院して長いの?」
「もう退院できないだろうって言われてる」
言葉がでなかった。それはつまり余命いくばくもないということだろう。
昔から母親を大切にしていたのを知っているだけに胸が痛む。
「そんな」
「でもお陰で覚悟ができるよ。最後まで親孝行するつもりだ」
「おまえ、昔からお母さん大切にしてたもんね」
「女手一つでここまで育ててくれたから感謝してるよ」
カーブを曲がると自分のアパートが見えた。真っ白な四角い箱のようなつくりはどう見てもお城ではない。
もう魔法の時間が終わろうとしている。
「最後にしみったれた話でわるかったな」
「すげぇ楽しかったよ」
「俺も」
同意してもらえると飛び上がりたいくらい嬉しい。でもその飛んだ先にはなにもなくなってしまった。
ソウルメイトのように大翔との感性は不思議とよく合う。食の好みもものの考え方も身体の相性も全部よかった。もうこの人しかいないと思った。
それなのにフラれた。そこだけがどうしても腑に落ちない。
「最後に教えて。俺のどこが気にくわなかったの?」
ハザードを押した大翔の手が止まる。じっと見ていると大翔がこちらを見た。暗い車内のせいで大翔の表情はわからない。ふっと息を呑む音だけが聞こえた。
背もたれに頭を預けた大翔はなにもない天井を見上げた。
「……お袋に孫が見たいって言われたんだよ」
「なんだ、それ」
「前から付き合ってる人がいるとは言ってた。そしたらいつ結婚するの、早く顔が見たいって急かしてきて変だなと思って問い詰めたらーーもうその時点で余命宣告が出てたんだよ」
さっと血の気が引いた。つまり子どもが欲しいから煌を捨てて沙良との結婚に踏み切ったということになる。
母親と自分の狭間で大翔は苦しんだに違いない。
「相談してくれればよかったのに」
「んなこと言えるかよ。子ども欲しいから別れてくれって。ゲイにとって地獄のような言葉だろ」
「確かに自殺してたかも」
「煌を失いたくない。でもお袋の気持ちも応えてあげたい。二つを秤にかけたんだよ、俺は」
ハンドルを握った手が小刻みに揺れていた。自分の選択を悔いているように見える。
「でもなかなか子どもができなくて調べたら、沙良が子どもができにくい体質らしくてさ。もうお袋が生きているうちには孫を抱かせてやれねぇ」
ふうと重い溜息が出た。身体がシートに沈み、このまま埋もれてしまいそうになる。
「おまえを失って、母親も失いそうになって。俺にはなにも残らなかった。滑稽だろ」
「お袋さんの店があるだろ。生徒たちも喜んでる」
「あれはほとんど採算度外視で利益が出ないんだよ。スーパーにも卸しててそれでどうにかやっていけてる」
「あんなに美味しいのに」
「不景気だからな。なかなか難しいんだよ」
楠川パンは一律百円で学生でも買いやすい。でも値段が上がれば生徒たちもそう簡単に買えなくなるだろう。
「だから奥さんのパン屋を手伝ってるの?」
「そう。あっちはバイトみたいなもん」
流行りものに囲まれてSNS映えすると生徒たちに人気だった店構えが浮かぶ。大翔が店にいるだけで行列ができるほどの人気ぶりだった。
「まさかおまえと結婚したのって店を盛り立てるため?」
「かもしれないな。結婚の話を持ちかけてきたのは向こうだから」
それは酷すぎる。大翔のことが好きになって結婚したならわかるが、その容姿だけなんて酷い。
「最初から俺たちに愛情はないよ。互いを利用してただけ」
「だから奥さん……」
若い男の腕を組んで歩いていた沙良を思い出す。お互い愛情がないのなら浮気をしていても不思議じゃない。
「あ、もしかして男といるとこ見た?」
「うん……偶然」
「うちは浮気もオープンだからな」
なにがおかしいのか大翔はくつくつと笑った。泣けばいいのに。強情なこの男は人前で泣くのが恥だと思っているのだろう。
「悪かったな。酷い振り方して」
「一生の傷がついたよ」
「煌とは死ぬまで一緒だと思ってた」
「俺も」
朝起きておはようを言って、昼までダラダラと過ごし、買い物に出かけてご飯を食べてセックスして寝る。そんなありきたりで幸せな日々を永遠に過ごしていけるものだと信じて疑わなかった。
「なんで別れたんだろうな、俺たち」
「それは俺が訊きたいよ」
自分が女だったら大翔にこんな辛い目に遭わせなかっただろう。でも男じゃなかったら出会わなかったかもしれない。
どうしたって叶わない想像をしては無残に消えていく。まるで流れ星のように流れては消え、流れては消える。
「じゃあな。もうこれで個人的付き合いは最後だな」
「うん」
「野球部は変わらず顔だすから。いままで通りにしよう」
「わかった」
「おやすみ」
「おやすみ」
挨拶を交わして車を降りた。白いバンは滑らかに走り出していく。テールランプが見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。
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