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第33話

 DVの恋人と別れ話をするなら人の目があるところがいいらしい。  二人の家の中間地点にある喫茶店に棗を呼び出した。席は店内の中央にあるテーブルを選んだ。これなら三百六十度、どの角度からでも人の視界に入る。  正面に座る棗はいつもと変わらないシャツとスラックスを着て「久しぶりの食事だね」とどこか楽しそうにしている。  下半身の痛みを思い出し、震えあがった。やはり対面で会うのは怖い。  奮い立たせるようにこぶしをぎゅっと握った。  「別れて欲しいんですけど」  「Kのことをバラすと脅しても?」  「あなたと三年前にバーで会ったのは聞きました。そしてストーカーで警察沙汰になったことも」  「なんだ。バレちゃったか」  棗は悪びれる様子もなく、芝居がかった仕草で肩を落とした。  「確かにお互いこのことを学校に知られるわけにはいかないよね」  「別れてくれたら話しませんよ」  「交換条件か。わかった、名残惜しいけど別れるよ」  別れる、という言葉に顔を上げた。「そんな嬉しそうな顔されるとさすがに傷つくよ」と笑われた。  「じゃあこれ煌くんちの鍵ね。荷物は処分してくれていいから」  「俺も」  鍵を交換するとほっと胸を撫で下ろした。こんな簡単に話がつくと予想してなかったので開放感が大きい。  「じゃあここは俺が払うね」  「あ、でも」  伝票を持って立ち上がる棗は初めて会ったときみたいなやさしい笑顔を向けてくれた。  「最後くらいカッコつけさせてよ」  「……ありがとうございます」  「学校ではよろしくね」  「はい」  棗が店を出て行くのを見届け、イルカのキーホルダーがついた鍵がからりと音をたてた。初めて水族館デートしたときにお揃いで買ったものだ。  帰りがけにキーホルダーを駅のゴミ箱に捨てた。これで全部なくなった。  棗との繋がりをこうもあっさりと断ち切れたので、行く前とは打って変わって足取りが軽い。  電車を乗り継いで大翔の家に向かった。夕暮れを背負った家は一層物悲しく映る。家主が亡くなった悲しみに暮れているようだ。  今日は葬式が執り行われる。家族だけで慎ましくやるのだと沙良が教えてくれた。  だから大翔はここにいない。けれど心はそばにあり続けたかった。  大翔が悲しいときに寄り添ってあげたい。でもそれは自分の役目ではなくなったしまった。ならせめて遠くから彼の幸せを願い続けたい。  (これからの人生を少しでも幸せなものが多いように)  一番星に向かって祈りを込めた。

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