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第37話

 「お袋の部屋だけどなにもないから気にするなよ」  そう前置きされた部屋には本当になにもなかった。  タンスやベッド、たぶん鏡台があった場所にはフローリングがへこみ、色が濃い。  ここで生活していた母親の残滓が強く残っている。でもなにもない伽藍洞の部屋は大翔の心を表しているかのように物悲しさを感じた。  「全部片づけたんだ」  「見ると辛くなるから」  顔を伏せられてしまい大翔の表情がわからない。どんな気持ちで処分したのだろう。たぶんどれも大切な思い出が詰まっていたはずだ。洋服一枚だって母親との記憶が蘇ってくるだろう。  泣きながら処分したのだろうか。それとも心を無にし、淡々と作業をこなしたのだろうか。  一人残された部屋で大翔はなにを考えていたのだろうか。  この部屋のように大翔のなかも見せてくれたらいいのに。寂しいときにはそばにいて、楽しいときには一緒に悦んであげたい。  「お母さんに挨拶してもいい?」  「あぁ。仏間はこっちだ」  リビングを抜けると和室の仏間がある。仏壇には大翔の母親と父親の遺影が飾られていた。  二人とも幸せそうに笑っている。初めて対面する大翔の両親。目元は母親に似て、全体の雰囲気が父親に似ている。どちらの遺伝子も強く濃く残しているのだろう。  手を合わせて深く頭を下げた。  孫を抱きたいと言っていた母親の顔は子どもが好きそうな女性だった。利益がほぼない状態で高校にパンを卸してくれているのだから並大抵の気持ちではできないだろう。  それだけ子どもが好きだという表れでもある。  「ありがとうございます」  「どうした、急に」  「美味しいパンを作ってくれて。生徒たちも悦んでるよ」  「元々は親父がやっていたんだ」  「そうなの?」  大翔は隣で胡坐をかいて遺影を見上げた。  「親父がお袋の反対を押し切って近くの学校にパンの配達を始めたんだ。最初はお袋も怒っていたけど、子どもたちの笑顔を見たらいいんじゃないって言ってさ」  まだ俺、幼稚園生だったんだぜと笑っていた。  「生活は苦しかった。でもあのときは幸せだったな」  懐かしむように目を細める横顔をじっと眺めた。確か大翔の父親は小学校にあがってすぐに病気で亡くなったと聞いた。  そこから母親のパン作りを手伝うようになっていたのか。  大翔の歴史に触れ、あまりにも巨大な愛に包まれていることに感謝した。  だから大翔はまっすぐ腐らない人間でいられたのだ。  「おまえがなんでそんなんかわかった気がするよ」  「なんだそれ。どういう意味?」  「さぁね。それより腹減った」  「話そらすなよ」  べっと舌を出すと大翔は鼻息荒くして突っかかってくる。もう二度と手に入らないと思っていたやりとりにうっかり泣いてしまいそうになった。

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