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第43話

 仕事帰りにそのまま楠川パンへと向かった。この道を通るのも久々だと思うと緊張で足の裏に力が入る。  おばちゃんが心配していることだけ伝えてすぐに帰ればいい。話す内容をあらかじめ決めておけば無駄なことは考えなくて済む。  角を曲がると路肩に駐車していた車の扉が突然開いた。  避ける間もなく、腕が伸びてきて車のなかに引きずり込まれてしまう。  「なっ、んん!?」  口のなかにタオルを詰め込まれ上から体重をかけられてしまうと身動きが取れない。鮮やかな動きで手足をガムテープでぐるぐる巻きに拘束されてしまう。  暗闇のなかでも光る眼鏡には見覚えがあった。名前を呼ぼうにもタオルのせいで声がでない。  身体を左右にねじって抵抗しても、芋虫のようにうねうねするだけだった。ガムテームを引きちぎろうとすると皮膚に食い込んで痛い。  首元に硬くて冷たいものを当てられて動きを止めた。  「いい子。そうやって大人しくしてなさい」  ギロリと睨みつけても棗は涼しい顔をしている。まさかこんな強硬手段に出るとは思わなかった。  棗は運転席に移動すると車を発車させ、大翔の家の前を通り過ぎる。  しばらく走り続け信号で止まると口のタオルを外してもらえた。  「なんで俺の場所がわかるんだよ?」  「これ」  見せられた棗の携帯画面には地図アプリが表示され、青い丸がぽつりと浮いている。  その画面には見覚えがあった。  「携帯の位置情報がわかるようにしてるの」  「いつの間にそんなこと」  「最初に連絡先聞いたときだよ」  そういえばあのとき棗は携帯を触っていた。「最新機種はいいな」と笑いながら、とんでもない行動に移していたとは露ほども思わなかった。  だから泊まっていたホテルの場所もわかるし、出先で会うことが多かったのか。  あまりの執念深さに恐怖が足元から這い上がってくる。  身動きしても意味はないのにどうしてか可能性を捨てきれない。  車は住宅街を抜けて首都高速へ向かっているらしい。このままどこに連れて行かれるのだろうか。  (大翔、待ってるかな)  連絡もせずに来なかったら心配してくれているかもしれない。大翔の顔を思い浮かべると恋しくて泣いてしまいそうだ。  「ちっ、渋滞かよ」  棗が珍しく舌打ちをした。前を見ると赤いテールランプが動物の目のように並んでいる。どうやら週末だから混んでいるらしい。  けれど逆にいえばチャンスではないか。  走っている車を降りるのは不可能だが停車しているなら鍵を開けて出るくらいならできる。  車がゆっくりと減速して停まった。いまだ、と口で扉を開けようとするとガチャと虚しい音だけが響く。  「残念でした。後ろはチャイルドロックかけてるから開けられないよ」  「……用意周到だな」  「逃がすわけないじゃん」  希望が打ち砕かれて今度こそ諦めて横になった。  せめて大翔にちゃんと別れの言葉を言いたかった。あんな喧嘩別れみたいな最後は後味が悪すぎる。  「違う……渋滞じゃないな」  検問中、と電子掲示板に書かれていた。よく見るとパトカーが数台停まり、一台ずつ車内や免許証を確認しているようだった。  「これ被ってろ」  棗の上着を投げられた。上背のある煌ではまったく隠れられていないが、身を縮こませて言う通りにするしかない。  「すいません、免許証を見せてもらえますか?」  「はい」  警察官に窓をノックされて、棗は大人しく免許証を出したようだ。このままなにもなく通り過ぎたらどうしよう。  上着から顔を出して「助けて」と求められたらどれだけいいか。だが首にひやりとした感触が忘れられない。それよりも先に刺されてしまうかもしれない。  「ちょっとこっちに移動してもらえますか?」  「はい」  警察の指示に従って棗は大人しく車を端に移動させた。にわかに外が騒がしくなる。  「中を確認してもいいですか」  「どうぞ」  後ろのドアが開けられ、上着を剥がされると警察官の姿があった。自分と目が合うとやっぱりと顔をしている。  「被疑者確保!」  運転席側のドアが開けられ、棗は警察官に押さえつけられた。まったくの無抵抗でどこか空を見ている。  「今泉煌さんですか?」  「はい、そうですけど」  「通報があったんです。間に合ってよかった」  警察官の笑顔に緊張が剥がれ落ちた。助かったんだという安堵からみっともなく涙が零れた。  ガムテープを剥がしてもらい、痛いところや怪我しているところはないか訊かれたがまったくの無傷だった。  「煌っ!」  パトカーから大翔が降りてきて抱きしめられた。温かくてがっしりした体躯。懐かしい香りをめいいっぱい吸い込んだ。  「悪い。行くの遅くなった」  「どこ寄り道してんだよ」  莫迦、と告げられた言葉は鼻声で掠れていた。

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