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第46話

 休みの日に久しぶりに二人で出かけた。  車ではなく、電車を使おうと提案されて首を傾げたがなにか企んでいる顔の大翔に従った。  春の日差しをたっぷり吸いこんだ電車のなかは温かい。装いも軽やかなものになり、気持ちも少し浮つく。  揺れる車窓がだんだんと懐かしい景色に変わってきて、隣に座る大翔を見た。  「大学に用事か?」  「ちょっとな」  五年前まで通っていた駅はあの頃のままだ。改札口前にあるコンビニ、ドラッグストア、居酒屋も変わっていない。大学とは反対側には大翔と初めて出会った本屋もまだある。  大翔は本屋を通り過ぎて大学とは反対方向へと向かう。大きな背中についていくと時間がどんどん逆戻りしていくような錯覚に陥った。  行こうとしている場所に気づき、ふふっと笑うと大翔も目を細めた。  付き合っているときによく来た図書館だ。  大学のあとや、休日に二人でよく来ては本を読んでいた。  公園が併設され、桜が等間隔に並んでいる。風が吹くと桜吹雪が舞って、子どもたちが楽しそうに追いかけていた。  図書館に入ると本と埃の匂いを肺いっぱい吸い込む身体の内側から悦びに震えている。この空間はなによりも好きだ。  「また昔みたいに本読もうぜ」  「いいね」  でもそれだと一日潰れてしまう。せっかくの休日なのにいいのだろうか。  ちらりと様子を伺うと大翔は白い歯を覗かせた。  「絵本縛りでどうだ?」  「それなら短く済むね」  児童書コーナーに行くと色鮮やかな絵本が並んでいた。見慣れたタイトルや仕掛け絵本など多種多様に揃えられている。  ソファの一角は子連れが楽しそうに本の読み聞かせをしていて、奥のスペースでは職員が紙芝居の準備をしている。  「好きだった絵本あるか?」  「シンデレラ」  「意外だな。そういえばおまえんち姉ちゃんがいるんだっけ」  「そう。だからいつも人形遊びとかぬりえとかおままごとばかりやらされてた」  お下がりといえばピンクのシャツや花柄のズボンばかりだった。幼稚園まではそれでよかったけれど、さすがに小学校に入ると恥ずかしかった。でもどうしても母親には言えなかった。  見かねた姉が母親に忠告するまで女児服で過ごしていたが、輪に外れないように人の空気を読んでいたので虐められることはなく済んだのは不幸中の幸いだろう。  そのくせがずっとついている。  自分の想いは隠して道化になれば、周りはそれに合わせてくれた。  「本当はなにして遊びたかったんだ?」  「サッカーやってみたかったな」  「そこは野球だろ」  「野球は一人じゃできないだろ」  「俺がいるじゃん」  「……子どものときは出会ってないだろ」  でも大翔ともっと早く出会えていたらどうなっていただろう。野球をしてサッカーをしてたまに本を読んで。たくさんの友だちに囲まれる大翔の一員になれただろう。でもたぶん周りの顔色を窺う性格は変わらない気がした。  それでも大翔がいてくれたら、と考えると心が温まり、寂しかった幼少期の自分ごと救われたような気がする。  「じゃあ絵本探しに行こうか」  男二人で児童書コーナーにいると子どもにジロジロと見られる。恥ずかしくてさっさと絵本を取り、読書コーナーへ移動した。  「大翔はイメージ通りだな」  「そうか?」  大翔が持ってきたものはジャックと豆の木だ。  お互いが持ってきた本を交換して読んだ。  豆の木をのぼっていくわくわく感。巨人から逃げるドキドキ感。そのどれもが忘れていた感覚で細胞がぽこぽこ音を立てるように活性化していく。  絵本を閉じた大翔は不満げに下唇を突き出した。  「シンデレラって結構怠惰だよな」  「どうして?」  「だってわざとガラスの靴を残したくせに王子が国中を探してるのを知ってて名乗り出ないんだぜ。俺だったら言っちゃうけどね」  「……見つけて貰いたかったのかも」  シンデレラは王子が見つけてくれると期待していたのだろう。王子の愛が本物だと信じたかったのだ。  (その気持ちわかるかも)  星の数ほどいる人のなかから自分だけを見つけて生涯愛しあいたいのだ。  ハッピーエンドのその先をシンデレラは描き切る自信がなかったから王子を試すような真似をした。  大翔が煌の想いを試すようなことをしたのも同じことだろう。  相手を愛しているからこそ臆病になる。これで大丈夫なのかと不安になる。だからときには意地悪をして相手の出方を見極める。  気持ちを隠されるとどうすればいいのかわからなくなるのだ。  弱い心を守るために壁を作って大翔と向き合おうとはしてこなかった自分も同じ。  でもいまはちゃんと正面を見て向き合いたい。  描き切れなかったその先を自分の力で手に入れたい存在がいる。  「煌だったらどうする?」  「俺は城に殴り込みに行こうかな」  「なんだよそれ」  「あれだけ毎晩踊ったのに顔も忘れたのかって胸倉掴むかも」  「そんなの処刑されちゃうよ」  「そうだな」  「でも、悪くないな」  そう言って大翔は笑ってくれた。  図書館のあとは大学へ行った。  土曜日でも講義があったらしく大勢の学生たちがいて、楽しそうな笑い声が響いている。  川の近くにある大学の目の前には土手があり、そこで毎年新年会が行われている。  例年にもれず今年もしているようだった。  レジャーシートを敷いて缶ビールやチューハイを飲みながら、どんちゃん騒ぎをしている。  春の穏やかな空気に喧騒が混じり、なぜかこちらまで楽しい気分にさせてくれた。  「煌はすごく目立ってたよな」  「それはおまえだろ」  「煌だよ。いつも宝石みたいにキラキラさせて、きれいで。みんな煌に声をかけるタイミングを伺ってた」  「学園の王子様かよ」  見た目にはそこそこ自信があるが、オーバーすぎやしないか。  でも大翔の目にはそういう風に映っていたのが意外だった。  「大翔だっていつもたくさんの友だちに囲まれてたじゃん」  「男ばっかだけどな」  「ゲイ的にはそっちが羨ましいよ」  「おまえはいつも女ばっかだったな。あと頭の悪そうなチャラ男」  「みんなそれなりにいい奴だったけどね」  学生たちを見ながら昔話をしているといまの時間軸がわからなくなる。  川のように流れていった過去を二人ですくいあげて「きれいだね」と共有できる悦びに胸が震える。  ちょっと前までは考えられなかった。過去を受け入れ、いまの自分を許せたからだろうか。それを人は成長というのだろう。  大翔は川面に反射する光に眩しそうに目を細めた。  「一目見たときから煌に惹かれてた」  「嘘。初めて聞いた」  「だから本屋で声かけられたときビビった。俺の気持ちいつバレたんだろうって」  「そんな顔してなかったぞ」  「絶対逃がすもんかって必死だったからな。鼻の下伸ばしてたらキモイだろ」  本の在庫があるか訊いたとき大翔は太い眉を寄せ、少し迷惑そうに顔を歪めていた。  でも大翔の気持ちを知ったいま、照れ隠しをしていたのだとわかる。サイコロの目のように裏に書いてある相手の数字を読み取るのは難しいものだ。  「だから付き合えたとき夢かと思った」  「てか俺が身体で落としたんだけどね」  「押し倒されたときは驚いたけど、俺も好きだったし同意の上だろ」  「でも後悔もした。ゲイの世界に無理やり引き込んでさ」  「またそれか。俺がゲイだと言えば安心するのか?」  「そうじゃないけど」  「じゃあどうすればいい?」  「……わからないから困ってる」  大翔とこれから関係を続けていくために必要なものはなんだろう。またフラれるかもしれない未来にずっと怯えているのはもう嫌だ。あのときの喪失感を繰り返すくらいなら最初からなにも望まない。  「俺が傷つけたせいだよな」  大翔の声に後悔が滲んでいる。でもそうさせたのは自分の弱さのせいだ。  「大翔と別れたくない」と勇気を出せれば違った未来があったのだ。  駅前に戻ってファストフードへ向かった。ここも付き合っていたときに来ていた思い出の場所だ。店内の内装は季節柄のせいかピンクに彩られているがメニューは変わっていない。  食欲がなくてコーヒーとポテトだけの自分に対し、大翔はハンバーガー四個と大盛りポテトを注文していた。それも昔から変わらない。  ケチャップのついた指を紙ナプキンで丁寧に拭いてから座り直した。  「なんで大学なんかに来たの?」  「おまえとの始まりを一緒に思い返したくてさ。そしたら色々気づけるかと思って」  「なにに気づけた?」  「やっぱり煌が好きだなって。これからどうすればいいのかってそればっかり」    情けないだろと困ったように大翔は笑った。  一方通行の恋だと思っていた。大翔に付き合わせてしまったとそればかり。  でも本当は大翔もきちんと愛してくれていたのだ。形や色が求めていたものとは違いせいで、それが愛だと気づけなかった。  過去に戻れるなら自分を一発殴ってやりたい。  「俺も大翔といたいよ。やっぱり好きだなって思う」  「じゃあ……」  「でもあと一件だけ行きたいところがある」  「どこでも付き合うよ」  電車に飛び乗って新宿に向かった。あそこに行くのは気が重い。胃がキリキリしている。  でも大翔ともう一度付き合うなら必要な禊だ。  扉を開けるとマスターが睫毛をバサバサさせながら出迎えてくれた。自分の隣を見て目をハートマークにさせている。  やはり大翔はゲイ受けがいい。  「あらあらあら! Kちゃん、誰よそんないい男連れて来て。自慢しに来たの?」  「まあね」  「やっぱりKちゃん抜け目ないわね」  バーカウンターに座って、ビールを二つ頼んだ。大翔はここがなんの場所なのかなんとなく理解したらしい。  他の客から向けられる視線にびくびくと肩を竦ませている。  ビールを一気に飲むと脳がアルコールを吸収してかっとなった。とてもじゃないがシラフではできない。  「それで? 彼氏を見せびらかしに来たわけじゃないわよね」  「俺の黒歴史を教えようかと思って」  「ここで四つん這いになって十人斬りした話?」  マスターはカウンターテーブルを長い爪でとんと叩いた。それを見た大翔は口をあんぐりと開いたまま愕然としている。照明の淡いオレンジ色の下でも顔がどんどん青白く変化していて、カメレオンみたいだ。  「なんだ、それ」  「おまえに振られてヤケになったって言っただろ。そんときここで  」  「いい。聞きたくない」  「でも知って欲しい」  そう懇願すると大翔は頭を抱えて固まってしまった。どうしたって過去は変えられない。なら全部受け入れてもらうしか大翔の真っ直ぐな想いに応えられない。  しばらく酒を舐めているだけなのに胃がキリキリと痛んでくる。久しぶりのアルコールに胃が驚いているのだろう。  ふうと痛みを追いやるように息を吐くと大翔が顔を上げた。    「よし、大丈夫」  「ここの店の客全員とヤってやると豪語してここで尻出した」  「ちょっと一旦休憩させて」  大翔の顔は土色に変化し始め、どうにか吐くのを我慢しているように見えた。そりゃそうだよな。  それでも大翔は最後まで聞いてくれた。話を全部聞いた大翔は十年ぐらい老けこんで見える。  「幻滅した?」  「自分がなんて莫迦な真似したのかって後悔してる」  「でもそのせいでストーカーされたり大変な目に遭ったからもうしないよ」  「そんな思いはさせない」  顔色が悪いのに目は力強さを失っていない。絶対に譲らないという芯の強さ瞳の奥に見えた。  これだけの醜聞を晒しても大翔は受け入れてくれた。嬉しい。顔がにやけそうになって慌てて口元を押さえた。  「ならもう出よっか」  「いいのか」  「うん。マスター、これみんなの分も払っといてね」  「ありがと。またいつでも来てね」  万札を何枚か置いて店を出た。もうここに来ることは二度とないだろう。  大翔の家へ帰る間はなにを話せばいいのかわからない。なにか話さなきゃと思うのに胃が痛みだして、額に脂汗が浮いた。  一仕事を終えて気が抜けたのだろうか。胃のあたりを撫でるとゴロゴロと消化不良を起こしている。  「辛い想いさせて悪かった」  「こんな俺だけどいい?」  「どんな煌も嫌いになんてなれないよ」  前を歩く大翔は立ち止まり振り返った。街灯の光がまるでスポットライトのように降り注ぐ。大翔の黒い髪に星屑が舞い降りてそれが眩しくて目を細めた。  「煌が不安ならゲイになる」  「なんだよ、ゲイになるって」  「生涯、煌しか愛せないんだからゲイみたいなもんだろ」  「なんだよそれ」  莫迦じゃん、と言って大翔の胸を軽くパンチをした。頭上から降る笑い声にこちらもおかしくなった。  腕を伸ばして抱きつこうとすると堪えきれないほどの胃痛にしゃがみこんでしまった。どんどこどんどこ。内臓を蹴破りそうな痛みに歯を食いしばった。  「……お腹痛い」  「えっ、おい!?」  そのまま一歩も動けずにいると大翔が呼んでくれた救急車に乗せられた。

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