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第5話
結局その日は、「目的は果たしただろ」と大野くんから強く主張され、早退することになった。
何度も体調を確認されながら、マンションに戻る。
「ちなみに、一応、隣が灯の部屋。だけど、いろいろ心配だし、俺の部屋にそのままいてもらっても……」
「つ」
「つ?」
「番って、誰と誰が」
大野くんは、「それ何度目の確認?」と、むっと顔をしかめた。
「いい加減にしてよ。からかってるの?」
「あ、ち、違う、ごめん。あまりにも縁遠い話で。現実味がないというか」
今まで、考えないようにしてたんだ。
僕が知る『番』は父さんと母さんだけだし、僕にも母さんの実家で強制的にあてがわれるはずだった。
オメガである母さんはアルファである父さんに、ほぼ隷属していた。父さんは、他にも『番』と呼ばれる関係を持っているオメガがいるみたいだったけど、母さんは何も言わなかったし、それどころか、父さんの機嫌をとるのにいつも必死だった。
僕も将来は母さんみたいに、怒鳴られても殴られても、ひたすら頭を下げて、求められたら身体を差し出して、そうやって過ごすのかなと、思うと、怖いし悲しくなって、ずっと、目をそらしてきた。
「僕の返事とか聞いてもらえる? 考える時間がほしい、とか、許される? こんなにたくさん助けてもらっておいて、すごく、厚かましいんだけど」
「――別に。強制したいわけじゃない」
猶予、あるんだ。
「え、と、じゃあ」
「え」
「え」
「帰るの、そっちの部屋なの?」
そっち、とは、大野くんの部屋の隣の部屋のことだ。
触れていたドアノブから、手を離す。
「あ、ごめん。どっちでも」
一人暮らしをしていた部屋に、僕が長くお邪魔するのも迷惑だろうと思ったんだけど。生活費のことを考えると、僕が一部屋もらうよりは、大野くんのところに身を寄せた方が迷惑にならないよな。
「ごめんなさい」
「――いや、灯もゆっくり休みたいよな。これ、部屋の鍵」
「え、いいの?」
大野くんは、ぐぐと口を引き結び、わずかにのけ反った。「いい」と遠くから返答があった。
「ただし、少なくとも今日は部屋で絶対に休むこと。もし、外出するときは、連絡――。インターホン押して」
「わ、かった」
「荷物、持ってくから。鍵まだ閉めないでね」
「うん」
ドアを開ける。部屋の間取りは1LDK、大野くんの部屋と左右対称になっていた。既に、僕が思いつく家電や、ベッド、カーテンなんかが配置されていた。
「姉ちゃんと兄ちゃ、――姉と兄のセレクトだから、嫌なら言って」
荷物というか、鞄ひとつを持って、大野くんはすぐに戻ってきた。
顔をしかめてそう言う。仲いいんだな。
大野くんは、黙って僕を見下ろしじっと見てきた。なんとなく、不満そうだ。
「今度、スマホ買いに行こう」
そう言って、鞄と一緒に僕の両手を握った後、「鍵はちゃんと閉めてね」と言い残し、肩を落として隣の部屋に戻っていった。
大野くんは、僕がいても邪魔だとか思わないのかな。
選択、間違えたかな。
「――?」
なんだか、身体が熱い。ぼうっとする。
あ、薬、薬。定期内服。
ふらふらと、玄関から室内に入り、冷蔵庫の中をのぞく。水があった。鞄から錠剤を取り出し、飲む。
そのまま、床に寝転ぶ。冷たい感触が気持ちがいい。
番とか、怖いな。
絶対に必要なのかな。
待ってくれるらしいけど、これからの生活のことを、全部お世話してくれる相手を蔑ろになんかできないよな。
「なんで僕なんだろ」
大野くんはアルファで、かっこいいし、頭もいいし、親御さんも大きな会社を経営しているって聞くし、――優しいし。
僕なんかじゃなくてもいいのに。
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