29 / 37

第29話

 真二郎は尊狼神社の正面に建てられている、鳥居を支える土台の石に背をつけて座り込んでいた。  璃斗にきついことを言ってしまった。気になって家に行ったら、高須がいて驚いた。璃斗にした質問から、高須より豊湧のほうが好みなのだと思っていた。もちろん、まだ九歳の真二郎には、大人の恋愛の体現など知らないので、あくませ世間でよく聞く好き嫌いの話なのだが。  だが、豊湧と必要以上に親しくなってはいけないという事実を思い知らされた。  自分たちが住んでいる人界と、豊湧たちが住んでいる神界では時間の流れ方が違う。豊湧がここに来るのはいいが、自分たちが豊湧の世界に行くのは気をつけなければならない。  自分はしっかり自立して、狛犬たちの世話をするという仕事する。だから神界に行くが、璃斗にはお弁当屋を続け、そして結婚して家族を得て幸せに暮らしてほしい。  そう思っていたのに、高須との会話のあと、なんだか不穏なことになり、助けに入った豊湧とキスしているのを目撃してしまった。  いや、璃斗は豊湧の背中に隠れる角度であったのだが、二人の顔がとても近くにあることは見た。 (俺はホントに邪魔者だった)  ショックだった。  璃斗の人生の邪魔になりたくない、そう思っていた。同時に邪魔者なんだと思ってもいた。だが、こんなふうに思い知らされて、本当はそうは思っていず、また認めたくなかったのだと傷ついている。 (子どもじゃなかったら、もっとなにかできたはずなのに。どうして俺は九歳なんだよ!)  両腕で両足を抱き込み、うつむく。歯を食いしばった。泣きたくない。でも。 「あん!」 「あんあん!」 「あんあんあん!」  狛犬たちが真二郎を取り囲んで鳴いている。 「お前たち……あ、そっか。こっちの世界では人型になったらいけなかったんだよな」 「あん!」 「あんあん!」 「あんあんあん!」  それぞれさらに鳴いてから、次に、 「あおーーーーーーーーーん! あおーーーーーーーーーーーん!」  遠吠えを始めた。 「あおーーーーーーーーーん! あおーーーーーーーーーーーん!」  三匹が向かい合って三角形を作り、空に向かって遠吠えをしている姿はとてつもなく可愛い。様子を見ていると、足音がして豊湧が現れた。 「豊湧さん」 「真二郎、少しいいか?」  問われて真二郎は背筋を正した。 「はい。なんですか?」 「そう緊張せずともよい。聞きたいことは二つ。一つは、なぜ璃斗に家に帰れと言ったのだ?」  あの場に豊湧はいなかったはずだ。なぜ知っているのか? (豊湧さんは犬神様だ。なんでもお見通しだ。でもなら聞かなくたってわかってるはずだ。それをわざわざ質問するってことは、答え自体じゃなく、俺がどう答えるかを知りたいんだ。だったら正直に話すしかない)  豊湧を見上げる。じっと見つめるまなざしは、いろいろな感情の色に揺れている。怒り、不安、失望、悲しみ、迷い。いずれもネガティブだ。真二郎が不安で圧し潰されそうになっていることが手に取るようにわかる。  豊湧は腰を屈め、真二郎を担ぎ上げた。 「うわぁっ、豊湧さん! なにするんだよっ」 「話をするのにここではなんだから、場所を変えようと思うてな」 「下ろしてよっ。俺、自分で歩けるよっ」 「よいではないか。少しの間、おとなしくしておれ」  笑顔で言われ、真二郎は返す言葉を失って黙り込んだ。 (なんだか、ふわふわする)  体が、ではない。心が、だ。  真二郎の実父のことをあまり覚えていない。記憶にあるのは怖い顔して怒鳴っている姿と、訳もわからず殴られたことだけだ。  ある時、幼稚園の親子遠足に出かけると言われて倫子と一緒に出かけ、なぜだか幼稚園には行かずに生まれて初めて新幹線に乗り、知らない街で暮らすようになった。それがこの町だ。  二年後、また引っ越すことになり、花巻弁当屋で知らない男二人と四人で暮らすことになった。その男二人が新しい家族であることは理解したが、受け入れることができなかった。嫌いとか、そういう感情ではなく、ただ怖かったのだ。大人の男が傍にいることが怖かった。  家族なった二人の男は優しかったから、すぐに安心対象にはなったものの、こんなふうに触れてくることはなかった。それが二人を避けていた自分への気遣いであることはわかっている。  だから実父にしても義父にしても、大人の男に抱き上げられた思い出はない。もしかしたら、祖父はしてくれたのかもしれないが、残念ながら真二郎は知らない。祖父母に会った記憶もない。  いずれにしても、なにもかもに避けていた。花巻親子に近づくことはできなかったから、彼らも気遣ってその距離を保っていた。ありがたいのに、なぜか寂しい。  そして、もう母も新しい父もいず、璃斗しかいないというのに、どうしても存在しているわずかな距離を取っ払えない自分が腹立たしい。自分は変われない。 (あったかい……)  豊湧の手や体、触れている場所が温かくて、今更ながらに驚く。 (人って温かいんだ……あ、豊湧さんは、神様だから人じゃないけど)  神社の背後にある鎮守の杜は木々が生い茂っていてすがすがしい。少し開けた場所に来ると、大きな石がいくつもあり、真二郎はその一つの上に降ろされた。豊湧が隣に腰を下ろす。 「さて、先ほどの続きだが、璃斗に家へ帰るように言った理由を聞かせてもらえるか?」 「……学校に行って、このままでは浦島太郎になるってわかったから」

ともだちにシェアしよう!