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シャツのボタンを外されている間も、僕は上の空だった。
ベッドの上に伸ばした両脚をまたぐように、向き合った翼くんに、膝に乗られている。至近距離にある顔ではなく、手の動きをぼーっと見ていた。
「エンコーってさ……」
話そうとしただけで、翼くんが細い眉を吊り上げて言い返してくる。
「その話しなくていーって」
「ううん、そうじゃなくて」
「マジ何なの、ウザいんだけど」
翼くんはシャツを脱がすのを止めてしまい、遠ざかるように足の方へ下がっていった。片脚ずつ押しやって僕の脚を開かせ、その間に寝転がる。
ウザがられてしまったが、聞かないわけにはいかなかった。
「僕がきみに、その、入れるのかなって」
僕の脚の間にうつ伏せになってベルトを外していた翼くんが顔を上げる。
「どういう意味……あ、えっ!? 逆がいいってこと? おっさんソッチの人?」
「いや、違うけど……。何にも教えてくれないから聞いてるんじゃない」
僕が否定すると、翼くんは眉根を寄せた、複雑な表情を浮かべた。
「……やめた方がいーよ、こっちは。ケツ入れられんのとか、痛 ーし、っつーかキモいから」
「でも、エンコーの時はそれをやってるんだよね? どうして? 楽しい事とか言ってまで──」
「うるせーなあ、ちょい黙ってて。だからオレにやらせて。チョー気持ちよくすっから」
「でも……」
「あー、もー! めんどくせーおっさんだな!」
いい加減にしつこかったようで、翼くんがバンとベッドを叩いて怒鳴った。
怒られてしまった。大きな声を聞くと、ギュウッと心臓が縮こまる。心地の悪い動悸がして息が苦しくなる。
肩を竦める僕を見て、翼くんは面倒くさそうに溜息を吐いた。
「……分かった、マジ簡単に話すわ。でも逃げれるとか思わんでな」
翼くんはまたカウンターから煙草と灰皿を持ってきた。1本咥えて火を点け、腰にタオル1枚の姿でベッドにあぐらをかいて座る。
僕はほぼ無意識のうちに服を着直して、ズボンを引き上げ、膝を抱えていた。
「オレさ、フツーの高校生じゃねーの。皆が行ってるみたいな高校行けなくて、夜間の定時制。こーゆー時間、学校サボってるとかもウソ」
それなのに、白いシャツとスラックス姿で、部活をやっているようなスポーツバッグを持って、朝から駅に行き、通勤通学の時間帯の電車を待っていた。
本当は、別の男とこうしている予定だったそうだ。
翼くんは同世代の男の子とグループを作っていて、「おっさん」と呼ぶ人たちと、よくエンコーする。相手側にもグループがあるようで、今日はそのうちの1人から、制服らしい服装で来るようリクエストされたから、こんな格好をしていただけ。
「いいトシしたおっさんがバカみたいに貢ぐのチョーウケるって皆言ってる。バイトより稼げるし。ヤるのも気が向いた時だけだから」
社会人の収入に比べれば、高校生のアルバイトの賃金なんてたかが知れている。けれど自分たちは、遥かに年上の「エラソーなオトナ」に、金を払わせるだけの価値がある。
そんな優越感に浸るのが、この子たちがエンコーするお金以外の理由だそうだ。皆が行ってる高校でも、クラスで人気のある女子がステータスとしてやっているのと同じだ。
そういったことを、翼くんは、きちんと話してくれた。
初対面の相手にこんな話をする羽目になると思わなかったから、僕に声を掛けた時は「フツーの高校生」のふりをした、ということも。
確かに今思えば、翼くんの服にはそれらしい校章がなかった。
「けど何かぁ、今日は素で行きたくねーなぁって思ったの。だからバックレた」
片膝を立て、煙を吐き出した。ここではない場所について考えるように、あらぬ方を見る。
「あのおっさん今ごろムカついてんのかなー。ま、オレじゃなくても誰かが行くっしょ」
「……それだけ?」
つい、聞いてしまう。
行きたくないという理由だけ。ただそれだけで、収入の道を捨てられるのは、そんな事が許されるのは、やっぱり未成年だからだ。
翼くんは手に持った煙を揺らして、
「うん。っつーかぶっちゃけ、こんなコスプレまでさせるとか、ぜってーキモいヤツじゃんって、途中で気付いたんだけど」
そこで、下を向いて笑った。
「……オレ、チョーバカだから、なんか途中まで気付かないんだよね。こーゆーの」
少し恥ずかしそうに言うのが、なぜか聞いてはいけないことだったような気がした。
エンコーの意味は分かるけれど、それは言葉として知っているに過ぎない。やっぱり、あまりにも、未知の世界だ。
僕が何もフォローできずに黙っていると、翼くんが顔を上げた。
「だから、マジたまたま声かけただけ。ちゃげば、別に増田じゃなくてもよかったんだぁ」
目を細めて、ちょっとだけ甘えるような声になる。
「それは、そうだろうけど……」
「冷めてんね。運命とか信じない系?」
「どうかな……あんまり」
「っつーか、オレ、なにげ増田の命の恩人じゃない?」
返事に迷ってしまう。
命という意味では、救われたのかも知れない。しかも、いつもおざなりにしていた食事もとれた。
だからと言って、これが正解だとは、思えない。今後の人生、どうして行けばいいのか考えられないから。
「……朝ごはん奢ったから、借りは返したでしょ」
「増田の命ってハンバーガー2コぶんなん? 安くね?」
「確かに、そうなのかな……」
否定できなかった。でも、助けてもらわない方が良かった、なんて言ったら何だか失礼な気もして。
かと言って、あれこれ難しい事を考える余裕もなくて、また無意識のうちに返事をしていた。
「んなワケねーじゃん!」
突然言われて、
「……え?」
反応が少し遅れてしまった。
「素でそーゆーこと言っちゃうのマジサガるわ」
翼くんはそう言って、灰を落とした。僕が何かを言うより先に、少し大きな声で、はい、と仕切り直してしまう。
「ダリー話終わりな。おっさんらの話なげーのうつっちゃう。トシとったらマジあんな風になるとか、ゼツボーしかないわ」
大人の世界でどれほど地位があろうと、犯罪になるような事に手を出してしまうような相手だと知れば、尊敬なんてできるわけがない。翼くんの言葉には、そういう意思もある気がした。
フィルターを噛むようにまた咥えると、四つん這いでベッドの上をにじり寄ってくる。
「つ……翼くんは、いくつなの?」
詰められる距離を取ろうと後ずさって聞く。背中が枕を押して、ヘッドボードについてしまう。
「ジューロク。なったばっか」
翼くんは煙草を口から離さず、答えながら、ますます寄ってくる。
やっぱり、高校生になりたてという見方は間違っていなかった。まだ、子供なのだ。
「まだ若いでしょ。トシとった時の事とか……考えるの早いよ」
情けない声しか出せなかった。
言い終わるのも待たず、グイッと足首を引き寄せられ、両手で引きずられて強引に仰向けにさせられる。後頭部がゴリゴリと壁を擦って痛かった。
「増田に比べりゃーな」
翼くんが、僕の体の脇に手を突いて覆いかぶさってくる。
僕は緊張してしまって、動けなくなった。
視界には子供っぽさの残る体と、煙草と、ラブホテルの天井。組み合わせがちぐはぐで、僕は頭が混乱して、抵抗したり、逆らったりできなかった。
「ウケる。増田、チョー真面目人間てカンジ。ドーテーソツギョー遅かったっしょ」
表情を消した翼くんは煙草を灰皿に叩き付け、脇へと押しやった。また両手でベルトを外してくる。
脚の間で、うつ伏せに寝転がった翼くんがフェラチオしているのは、不思議な光景だった。
口が小さいのはハンバーガーを食べていた時から、いや初めて見た時から分かっていた。
八重歯がこぼれるような笑顔だったのに、今は不機嫌そうな、つらそうな表情で、喉に押し込んでいる。
僕が見ているのに翼くんが気付いて、いったん口を離す。ちゅぽ、と音がして透明な糸を引いた。
「ガン見しないで。萎えるよ?」
「ごめん。でも何か、見ちゃう」
咄嗟に謝りはしたが、目が離せない。
「ウザい。オレが集中できねーんだけど。急かされてるみたい」
そんなつもりはなくて、慌てて謝る。
「ごめん、ごめんね」
自然と、翼くんの頭を撫でていた。整髪料で固めた髪には、シャワーを当てなかったみたいだ。
「やぁめて、セットくずれる」
嫌そうなのに、少し甘えるような声だった。なぜか口角も持ち上がっている。
「ごめんごめん」
僕が手を下ろすと、翼くんはまた下を向いて再開した。
とりあえず見ないようにするが、どんな顔をしていればいいか、分からなくなった。
窓もドアも閉め切った部屋に水っぽい音だけが響いて、咳払いすらためらってしまう。
勝手に、意識がそこだけに集まっていく。また様子を見ようと首を起こした。同時に、翼くんが起き上がった。
「もうイケるっぽい?」
返事をする前に僕の上にまたがってくる。ベッドに放っていたネクタイを拾うと、両手で持って見せてきた。
「目閉じて」
「えっ、何するの?」
「強盗じゃねーよ。ちゃんと入れさせてやるから」
その答えがあまりにも予想外だったから、僕は少し引いてしまった。そんな可能性も、有り得たのだ。頭が動かなかったとは言え、ひょいひょいついて来た事に、今になって気付く。
「……疑ってないよ。何で目隠しするのか聞いてるだけ」
そう言うと、翼くんが顔をしかめる。
「逆に聞くけど、見たいん? んなワケなくね? ありえなくね?」
「見たい……とはちょっと違うけど、目隠しは、嫌かも」
正直に答えた。
嫌という言葉を使ったのも、いつぶりだったか分からない。
翼くんは意外とあっさり、それなら、と引き下がってくれた。ネクタイをベッドの外へ放り捨て、僕の上でしゃがむ体勢になり、腰を上げる。
その時初めて、翼くんの体を直視した気がした。状況も理解できていなかったし、はっきりと見るのは何だか悪いように思えて。
今だって、状況が整理できるのか、冷静に考えられるのか、と言えばそうじゃない。
でも、もう後には引けない。僕はこれから、翼くんと──高校生の男の子とエンコーするのだ。
「なあ」
呼んできた翼くんは、何だか弱気に見えた。
「オレ可愛いけど……やっぱしヤローだからさ、見たら引くよ」
男なのは見れば分かる。まだ高校生になりたて、という印象は、服を脱いでも変わらない。やっと筋肉が育ち始めて、男の子から男に変わろうとしているところ。そんな感じだった。
「いいから」
翼くんの体に目が吸い寄せられたまま言った。顔を見るべきなのに、目線を上げられなかった。
「……ヘンタイかよ、増田」
呆れたように言ったのが聞こえて、返事を考えている間もなく、ズプッとのみ込まれた。
騎乗位で、翼くんがしばらく動いてくれた。
しゃがんでつま先立ちになり、かかとが浮いた不安定な体勢で、片手で前を押さえて腰を揺らす。
「増田、ますだぁ」
甘えるように僕を呼ぶ翼くんは、確かに可愛かった。
鼻にかかった喘ぎは少しわざとらしいし、演技っぽかったけど、下から見ていると、何だか甘酸っぱい気持ちになってしまった。
こんな感覚も、いつぶりだろう。
セックスに限った話じゃなく、人との交流全部。職場や取引先の人、店員さん以外と、挨拶や社交辞令以外の会話をしたのすら、いつだったか思い出せない。
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