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第2話
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「やった! 豊作だ!」
リンデルク公国、アドリントン男爵家の四男イアンは荷車いっぱいのジャガイモを目にして、ほくほくと満足げに笑みを浮かべた。
ジャガイモは形もよく、しかもこれまでのものよりもかなり大ぶりだ。試しにひとつ割って中身を確認してみたが、大きなジャガイモにありがちな中心部が空洞になっている現象もなく、栄養がぎっしり詰まっているようだし、みずみずしい。
いつもは庭の一角で作付けしていたのだが、今回こうして規模を大きくして育ててみても変わらない品質のものができたので、大成功といえるだろう。
これでしばらくは食べるのに苦労せずに済む。
ふう、と大きく息をついて、額の汗を袖で拭った。
目の前にはジャガイモ畑が広がっており、今収穫したのもごく一部だが、穫れたジャガイモは大きく形もいい。この出来なら明日以降の収穫も十分に期待できるものだった。
「カゲロウ草の煎じ液を害虫対策に散布したせいか、虫がつかなかったし、あとはやっぱり肥料を工夫したのがよかったな。空色苔を堆肥に混ぜ込んでみたのが功を奏したみたいだ。空色苔にはどうやら植物を成長させる効果があるみたいだし、ジャガイモにはよく合ってたんだろうな。病気にも強かったし、これは他の作物にも試してみる価値はありそうだ」
ふんふん、と地面に小枝でカリカリと配合のメモを書きつける。思いついたアイディアはいったんアウトプットしておくと忘れずに済む。
これは前世――時田恵世だったときからの癖だ。
恵世は二十五歳のときに過労死(多分)したのだが、なんの因果か異世界というやつに転生したらしい。
異世界転生なんてまさか本当にあるわけがない、と思っていたのだが、生まれたときから自身が転生者であることは自覚していたし、実際自分には前世の記憶がある。生まれ変わったここにはなんと魔法が使えるし魔物もいて、おまけに中世ヨーロッパ的な環境――かつて暇つぶしで読んだ漫画や小説そのものの世界観で、認めざるを得なかった。
ただ、フィクションの世界では異世界に転生すると、チート能力を授けられて無双するのが定番だろうけれど、期待は裏切られた。
実は異世界転生ものにおなじみの「ステータスウインドウ」をイアンは見ることができる。他の人間、例えば自分の家族は見られないようで、どうやら転生者である自分に与えられた特典めいたものらしい。
はじめてステータスウインドウの存在を知ったときには感激したものの、自分自身のステータスを確認したところ、魔力も大きくなくスキルもほとんどなくてがっかりしてしまったのだが。と同時に、これならステータスウインドウなど見られないほうがましだったと神様を恨んだ。
ただ、ステータスウインドウの中に、一か所グレーアウトしているところがあり、見ることができない。そこだけは気になっていたが、気にしても仕方ないのでスルーしている。
あとは、武芸に秀でているわけでもなく、容姿も金髪と青い目は特徴的だが、美形か、というとそうでもない。せいぜい中の上か、上の下か、という程度だ。
取り柄といえば正直で真面目なこと。ときにお人好しすぎると言われるが、困っている人を見ると放っておけない性格で、そのため領民にも好かれている。
あとは、土を掘り返すことができる程度の弱い土魔法を操ることができるため、植物を育てるのだけは得意だ。
これはおそらく転生前の恵世だった頃の仕事や環境が影響していたのかもしれない。
とはいえ、チート能力はまったくないことがわかったので、コツコツとおとなしく生きていこうと心に決めていた。
それに――過剰に期待されるより、第二の人生は穏やかに暮らしたいと思っていた。せっかくまた人生をやり直すことができるのだ。誰かに使い潰されるより、自分のために生きていきたかった。
現在イアンの住むリンデルク公国は隣に大国ザルツフェン帝国を控え、農業と酪農を主産業としている国である。
そのリンデルク公国の端、ザルツフェン帝国との国境近くにあるのがこのアドリントン領である。
領土の大半は森林に覆われていて、軍事的にも経済的にも重要ではないいわゆる辺境の地だ。
領内は一応農業を主産業としているが、ほとんどが森林のため農地にできる土地も限られている。おまけに耕作可能な土地はさして肥沃というわけでもなく、作物の収穫量も領民がかろうじて飢えない程度でしかない。
この飢えない程度というのがまた微妙で、ほんの少しでも天候不順などがあれば一気に不作に転じてしまい、食べるのに困ってしまう、なんとも絶妙なバランスでどうにか破綻せずに済んでいる、というものだ。
聞けば、三代前、要するにイアンの高祖父が戦地で功績を上げて爵位と領地を得たのだそうだ。
(ま、体のいい押しつけってとこだろうな。なんとなく功績を上げちゃったから、なにかやらないわけにいかなかっただろうし)
今となっては一応貴族ではあるものの、爵位は名ばかりで内情は惨憺たる有様。
現領主である父はたいそうお人好しなこともあって、ギリギリの生活を強いられている領民から高い税を取り立てることもせず、よって毎度王宮への上納金にはひどく難儀していた。要するに非常に貧乏な領地なのである。
そんな領地ではあるが、もちろんいいところもある。森があるせいで、魔物が多く棲み、ときどき領内に襲ってくるのだが、そのおかげでアドリントンの領民は皆かなり鍛えられていて精鋭揃いなのだ。中には高いランクの冒険者に匹敵するほどの者もおり、王都の騎士団からスカウトがやってくるほどで、実はイアンの兄もたまたま領地を訪れていた騎士団長のお眼鏡にかない、騎士となったほどである。
アドリントン家には五人の子どもがいて、二十四歳になる長男のフリードは領主代行として父親の手伝いをしている。次男のニールは二十二歳で文官として王宮勤めをしており、また二十歳の三男ルーカスが二年前に例のスカウトによって取り立てられ、王宮の近衛騎士になっている。そしてイアンの弟のエリックに至ってはまだ三歳で、イアン自身は今年十八と成人を迎えた。
王都住まいのニールとルーカスがいくらか仕送りをしてくれるものの、屋敷のメンテナンスなどであっという間に飛んでいってしまう。
母親が趣味の刺繍を生かして内職にいそしむくらいには、アドリントン家は割と困窮していた。おかげで屋敷の使用人は先代の頃から仕えている家令のギュンターと、ギュンターの娘でハウスメイドのサンドラの合わせて二人しかいない。
そんな状況を目の当たりにして育ってきたイアンは、得意の土魔法を生かして幼い頃から屋敷内の庭の一部で趣味の園芸をしてきたのだが、最近魔力が少し増えてきたこともあって、畑を広げてきたのだ。
その成果がこの荷車いっぱいのジャガイモなのである。
はじめこの地ではジャガイモすらろくに育たなかったのだが、ようやくこれだけの収穫量を得ることができた。苦労が実を結んだようでイアンはうれしくなる。
大きな魔法は使えないが、得意の農業で家の財政面の手助けになれることはうれしかったし、土いじりはイアンにとってとても楽しいものだった。
「これなら、もう少し畑を広げてもいいかもしれないな。父上に頼んで、使っていない土地をもう少し借りよう」
ジャガイモ栽培に関しては想定よりもよい結果が出たこともあり、明日からの作業にも張り合いが出る。内心で喜びながら、荷車のほうへ足を向けたときだ。
「イアン様!」
サンドラが慌てた様子でイアンを呼んでいた。
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