26 / 66
第26話 義務と権利
その頃、太一を探している人がいた。あの大介さんだった。
一緒にバレエのレッスンをした先輩だった。
太一の日常に波風を立てるのはいつも妻の玲奈だった。
不倫して、妊娠までして、太一の知る所となった。
「相手の人を愛しているのか?」
それなら身を引こう、と思ったのだ。悩むのは子供の事。ハルクを手放したくない。
「愛なんてないわ。相手も奥さんがいるらしいし。」
「じゃあ、なんでそんな事したんだよ。」
太一は慟哭した。玲奈は中絶したと言う。
「僕と別れたいのか?」
別れたくはない、という。
「寂しかったのよ。太一がアタシに関心がなさすぎるから。
好き、って言ってくれる人に抱かれたの。」
生々しい言葉に、一瞬、気持ちが冷めた。
(ダメだ。子供のために玲奈を軽蔑してはダメだ。可哀想な玲奈。)
一番嫌な感情を夫に持たれてしまった事に気付かない。
哀れみと、侮蔑と、しがらみと。
嫌われる方がマシだっただろう。玲奈にはそんな事はわからない。人の心の機微が伝わらない。
玲奈を抱きしめて
「可哀想に、可哀想に。」
とつぶやいてしまった。
玲奈には意味がわからない。
「何が可哀想なの?
アタシの事?手術をした事?
全然平気。もう痛くないし。」
(掻き出された胎児は苦しかっただろう。)
そんな事にも気が回らない自分本位の女。
「嫌いにならないように我慢するよ。
ハルクのためだ。」
一人つぶやいた。
これが、結婚して子供を持った事の義務なんだ。太一はこれから一生、愛せない女と結婚生活を続けて行かなければならない、と絶望的な事を思った。
(子供のため?
愛のない両親がいがみ合って暮らすのが、子供のためになるのか?)
いつもハルクの面倒を見てくれる玲奈の弟の事を思い出した。
(ヒカル君には感謝しかないな。
事情を知っているのにちょくちょく来てくれる。
僕が発狂しないのはヒカル君のおかげだ。)
ヒカルの事を思った。
(ハルクに関わるのは彼の権利なんだな。
ありがとう。)
ともだちにシェアしよう!

