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第一部青春編:第一章 片恋①
「……い、おい、曜介」
「んん……」
「おい曜介、いい加減に起きろ!」
ぱこんと頭を叩かれて、曜介は飛び起きた。ガタガタッ、と机の脚が音を立てる。目の前にいたのは、もう一人の幼馴染だ。
「んだよ、京太郎か。もちっと寝かせろよ」
「寝惚けるのも大概にしろ。早く宿題を集めて持っていけ。お前の係だろう」
「あー……」
そういえば、そんなことを先生に頼まれていた。休み中に出されていた課題をクラスで回収し、職員室まで持っていくようにと。
「めんどくせー。クラス委員の仕事じゃねぇのぉ?」
「何でもかんでもクラス委員に押し付けるな。お前の係だろうが」
「へーへー。ったくよぉ、人遣いが荒いぜ全く」
曜介は渋々椅子から立ち上がった。まずは京太郎から課題を受け取る。次に、前の席の真尋に声をかける。
「おい、お前も課題出せ。集めてっから」
「……」
真尋は机の中から冊子を取り出して、曜介の前へと突き出した。何も言わず、目を合わせることもない。
「おー、サンキュな」
「……」
それから、曜介は他のクラスメイトにも声をかけて、せっせと課題を集めた。全てを回収し終えたら、職員室まで持っていく。その間、真尋は一度も曜介を見なかった。視界の端にすら入れなかった。飽きずに窓の外を見つめていた。夏が近付いていた。
真尋に無視されるようになったのはいつからだろうか。今ではもう、これが二人の距離感として定着してしまっている。
無視といっても、完全にいないものとして扱われているわけではない。曜介の方からアクションを起こし、それに対する反応が必要だと真尋が判断した場合のみ、何かしらのリアクションが返ってくる。しかし、必要ないと判断されれば、視線さえ交わることはない。真尋と最後に目を合わせたのは、いつだったろうか。
「あいつ、ちゃんと飯食ってんのかな」
「真尋のことか?」
「ああ。お前になら、あいつも色々話すだろ?」
お節介焼きの京太郎は、課題を運ぶのを手伝ってくれた。一人でも運べる量だったのに、半分持ってもらいたかった。
「あいつのことは、オレにもよく分からない。最近は特にな」
「俺より幼馴染歴長いくせに」
「今となっては誤差みたいなもんだろう。お前に分からないことは、オレにも分からないんだ」
「……」
「まぁそう気を落とすな。時間が解決することもある」
「落ち込んでなんかねぇから! 俺は別に、あいつのことなんて、もう……」
ただ、窓の外を見つめる後ろ姿が、前よりも小さく見えたから。ただでさえ小柄な背中が、細く頼りなく見えたから。ほんの少しだけ、気になってしまっただけだ。
*
曜介と真尋と京太郎は、幼稚園時代からの幼馴染だ。ずっと三人で遊んでいた。机を並べて勉強をして、布団を並べて昼寝をして、テーブルを囲んでおやつを食べた。
三人は仲良しの親友でありながら、切磋琢磨する間柄でもあった。曜介の父親が剣道道場を開いており、幼い頃から剣を交えてきた。
物心つく前から竹刀を握り、師範である父親に鍛えられた曜介が、同世代の中では群を抜いて強かった。幼稚園児の頃から小学生相手に大立ち回りを繰り広げる曜介に、同級生達は戦意を喪失した。あいつとまともに戦ったって、勝てるわけがない。そんな雰囲気が蔓延していたし、曜介も自分の実力にあぐらを掻いていた。
そんな中で、唯一全力で曜介にぶつかってきたのが、真尋だった。何度負けても、無様に尻餅をついても、時には怪我をさせられたって、真尋は諦めずに立ち上がって剣を握った。次こそ勝つと息巻いて、曜介に剣先を向ける。
やがてその時は訪れた。曜介は自分のスピードに絶対の自信を持っていた。いつだって、真尋の剣先が曜介を捉えるより速く、真尋の面を打っていた。しかし、
「一本」
父である師範の声が響いた。審判旗が挙げられて、真尋の勝利が告げられる。曜介が文句をつけるより早く、わっと歓声が上がった。
「すげぇじゃんお前。見直したわ」「あの曜ちゃんをやっつけるなんて」「今のどうやったの? あとで教えてよ」
二人の試合を見守っていた道場の子供達が、わっと真尋の周りに集まった。誰も倒せなかった曜介を打ち負かした真尋は、今この時みんなの英雄だった。
「ちぇっ。何だよ。一回勝ったくらいで、いい気になんなよな」
足を投げ出して悪態を吐いた曜介に、真尋は堂々と言い放つ。
「次もおれが勝つ」
まるで気高い剣士のようだ。この時の真尋の表情を、曜介は今でも忘れられない。
「ふん。次こそ俺が勝つからな」
幾度となく真尋の口から聞いた言葉を、今度は曜介が繰り返した。
大盛り上がりの子供達に囲まれて、輪の中心で破顔する真尋の姿。真夏の青空よりも弾ける笑顔。興奮に火照った汗だくの笑顔。それら全てが、高校生になった今でも、曜介の瞼の裏に焼き付いている。
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