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邂逅②
週明けの月曜日。出勤すると、さっそく河北に絡まれた。
「どうよ、曜ちゃん。調子は」
「どうもこうも……」
明け方に空っぽになった布団は今日もそのままだ。曜介には真尋を探す手立てもない。
あの晩のことを思うと、胸が切なく疼く。大切な幼馴染を抱いてしまった。初恋は美しく苦い思い出として胸の奥に仕舞っておければそれでよかったのに、自らの手で壊してしまった。もう元には戻らないのだ。
「それで、高ちゃん先生とはどうなったの」
いきなり思考を読まれた気がして、心臓が跳ねた。
「ど、どうって」
「いや、仲直りできたのかなって」
「仲直りも何も……そもそも喧嘩してたわけじゃねぇし」
「そうはいっても、やっぱりギクシャクしてたじゃん? 結構心配してたんだから」
「まぁ、十年ぶりくらいに会うんだし、あんなもんでしょ」
「そう? 知らなかったとはいえ、悪かったね」
「いや、別に……」
むしろ、ありがたかった。たった一晩でもいいから、会えてよかった。顔を見られてよかった。元気そうでよかった。たとえ真尋がどこにいたって、笑ってくれているならそれでいいのだ。
「にしても、幼馴染かぁ。懐かしいなぁ」
「なんか思い出あんの」
「いや~、オレもね、幼稚園から一緒の幼馴染がいたんだよ。中学まで一緒で、高校で離れちゃったんだけど。それで、卒業間際の頃にね、一回、キスするかしないかみたいな流れがあってさ」
「キス……?」
「そう、キス。たぶん向こうはその気だったんじゃないかって、オレも今なら分かるんだけど、当時はオレもガキだったし、恋愛の機微っていうのかな、そういうのが分からなくてさ。そもそも、幼馴染をそういう目で見れなかったし。だって、幼稚園から一緒なもんだから、お互い知られたくないところまで知り尽くしてるっていうか。一緒に裸になって水遊びしてた相手を、いきなり異性として見れなかったんだな」
「……そういうもんか?」
「オレはそうだったんだよ。で、結局それっきり。高校は別々だったから、自然と疎遠になって。そしたら、なんか、すごくもったいないことをしたような気がしてきてさ。あの時キスしときゃよかったなぁって。でも、今更どんな顔して会えばいいか分かんないし。で、気付いたらいつの間にか結婚してた」
「マジか」
「マジマジ。今じゃ二児の母だぞ。信じられるか、おい」
「そりゃあ、何というか……」
ご愁傷様だ。曜介の表情がお通夜のようになったからか、河北はあっけらかんと笑った。
「そんな顔すんなって。オレは別に引きずってるわけじゃないんだから。そりゃあね、キスの件はもったいなかったかなと思ったけど、それとは別でオレも彼女作ってたし、何ならその子と結婚するぜってな勢いだったし。まぁ大学で別れたんだけど」
「なんかクズっぽいな」
「そう言うなって。その時は大真面目だったんだよ。曜ちゃんにだって身に覚えあるでしょ? 根拠のない自信っていうか、都合のいい思い込みっていうか。高校生なんてそんなもんだし、それでいいのよ。あの時はあの時で、オレも精一杯やってたわけだしさ」
「……それで、幼馴染は?」
「どうもしないよ。今でもたまに連絡は取ってるし、同窓会で顔合わせたりする程度だけど。あと、何回か子供見せてもらった」
「こっ……」
「おいおい、そんな顔すんなってば。今はマジで何とも思ってないんだって。あの時キスしてたら何か変わってたのかな~って、ちょろっと思ったことがあるってだけの話よ。まぁでも、一回くらいのキスじゃ何も変わらないってのが、現実なんだけどね」
「……まぁ、それは分かる。俺も似たようなことあるし」
「おっ、曜ちゃんもタラレバ経験あるの? 聞かせてよ」
「いや、俺の話はまた今度で。それよりお前、こないだの合コンでいい感じになってた子いただろ。そっちはどうなったの」
「ああ、ユキちゃんね」
そんな名前だったか。正直それほど興味はなかったが、河北に真尋とのことを話すわけにもいかず、曜介は話題を変えた。
「ユキちゃんね。ポニーテールの」
「そうそうそう。いや~、それがめっちゃいい感じでさ。野球観戦が趣味って言ってたじゃん? 昨日一緒に行ってきたんだよ。もうすげぇ盛り上がってさぁ、勢いで最後まで行っちゃった」
「やっぱクズっぽくね?」
「だって向こうからグイグイ来るんだもん。ここで日和ってたら男失格でしょ。あとほら、話戻るけどさ、もうタラレバで後悔したくないから、行ける時には行っとかねぇとと思って。自慢じゃないけど、やらない後悔よりやる後悔を座右の銘にしてるからね、オレは」
始業を知らせるベルが鳴った。慌てて書類を片付ける。
やる後悔もやらない後悔も、曜介の過去には山のように積み重なっている。あの時ああしていれば、こうしていれば、もっと違う人生があったんじゃないかって、そんなことの繰り返しばかりだ。
曜介はまだ、この河北のようにはなれない。過去を吹っ切ることができない。いつまでも記憶に足を取られて、前へ進むことができない。
十年も経っているのに、いや、出会ってから数えるとほとんど人生と同じ年数分だけ経っているのに、初恋はずっと胸の奥にあって、あの頃と同じ美しさのままで、捨て去ることもできずにいる。
きっと一生このままなのだと思う。海辺でのキスも、遠ざかる後ろ姿も、握れなかった左手も、あの時のままの鮮烈さで、いつまでも思い出すのだろう。あの頃は若かったな、懐かしいな、なんて、遠い目をすることもない。飛び立ったアゲハ蝶は、カゴの中には戻らない。
その日の夜、曜介は京太郎に連絡を入れた。
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