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邂逅④
曜介に残された、真尋を探し出す最後の手段。共通の幼馴染である京太郎しかいない。
「真尋に会いたいだと?」
京太郎に連絡を入れ、開口一番にそれを伝えた。
「会ってどうする。いよいよ覚悟を決めたのか」
「……かもな。この間は、きっとそれが足りてなかったんだ。だから、あいつは……でも、次こそ絶対に……」
後悔しないように。これ以上、後悔を重ねないために。だから曜介はここに来た。計画を練ってくれたのは京太郎で、偽りの約束を取り付けて真尋を呼び出してくれた。ここから先は、曜介の覚悟が問われる。
京太郎が席を外し、曜介は少し悩んで、ブランコの柵に腰掛けた。真尋はじっと地面を見つめている。蝉の声と、ブランコの軋む音が僅かに聞こえる。
「剣道で、お前が初めて俺に勝った時のこと、覚えてるか」
曜介はおもむろに口を開いた。
「あの時、俺、初めて悔しいって気持ちを知ったよ。二度と負けたくねぇって思った。でも、あの時のお前の笑顔が……」
「……」
「俺に勝てて、嬉しくてしょうがないって感じの……道場のみんなに囲まれて、すげぇ楽しそうにしてた、あの時のお前の笑顔が、今でもずっと好きなんだ」
「……おれは、もう……あの頃のおれとは違う」
「……」
「……」
「……小五ン時の、あの、夏の……」
「レイプ事件の」
「そう、その……」
今でも時々、この単語を耳にすると胸が苦しくなる。真尋は淡々として、しかし曜介を見ない。
「その、後のことだ。夏休み明けてしばらくして、俺がクラスで殴り合いの喧嘩をした、その後の……」
一緒に帰ろう、と手を差し伸べてくれた真尋。その手を取ることができなかった曜介。今でもそのことを悔いている。
「あの時、お前の手を握って、校門まで走っていたらよかったって、今でも思う。でも俺は、お前を傷付けるのが怖くて、そうできなかった。それが逆にお前を傷付けるかもしれないなんて、あの頃のバカな俺には分からなかったんだ」
「……」
「本当は、ただそばにいればよかったんだ。バカで、弱くて、何もできなくても、ただお前のそばにいて、手を握って、抱きしめてあげられればよかった。そうできなかったのは、それ以上に俺がバカで、弱くて、ガキだったからだ」
あの夏の、暗く湿った放課後の教室。そこで聞いた、真尋の言葉を思い出す。「そばにいて」と。ただそれだけでよかったのに。無知で無力な曜介に唯一できること。真尋が唯一望んでくれたこと。ただ、そばにいるだけでよかったのに。
「今頃になって気付くなんて周回遅れもいいとこだし、色々遠回りして遅くなっちまったけど、でも、俺はやっぱり、お前の笑った顔が好きだし、それを一番近くで見てぇって思う」
「……」
「お前には、笑っていてほしいんだ。……できれば、俺の隣で」
「……」
真尋が地面を軽く蹴った。錆びた金属の擦れる音が響く。
「おれは、ただ……お前の隣に立つのにふさわしい人間になりたかったんだ。でも、そんな資格はもう……失くしたもんだと、思っていた」
「……」
「でも……」
「……」
「いいのか。まだ……もう一度、お前の隣に立とうとしても」
「……ああ」
「いいのかよ。こんな……手垢まみれで、傷だらけの……こんな男で……」
「いいよ。お前はお前だ。俺の知ってる、高峰真尋だ。お前が自分をどう思っていたって、俺にとってはたった一人のお前だよ」
「……」
今度は曜介が、真尋に手を差し伸べる。真尋は、錆び付いたブランコの鎖から手を放し、曜介の手を取った。
「……もっと早く、こうしていればよかった」
「……ああ」
「おれだって、本当は……ずっとお前に、会いたかった。お前のことが忘れられなくて、もしかしたら会えるかもしれないって、ほんの少しでも望みがあったから、東京から戻ってきちまった。だせぇだろ。笑ってくれ」
「笑わねぇよ。俺も同じだ」
「……」
笑わないと言ったのに、顔を見合わせて笑った。真尋の優しい微笑みが嬉しかった。曜介の手を握る指先は温かい。もう二度と、この手を離さないと誓おう。曜介に手を引かれて真尋は立ち上がる。
「終わったか」
公園の外で待っていた京太郎が戻ってきた。缶ジュースを三本抱えている。
「飲め。祝杯だ」
「ありがてぇけど、なんでコーラだよ」
「よく飲んでたじゃないか。曜介はコーラ、真尋はリンゴ、オレはオレンジ。子供の頃から相場は決まっているだろう」
「そうだっけぇ? なんかすげぇ久しぶりな気がするわ」
それぞれプルタブを開ける。ぷしゅ、と炭酸の抜ける音が涼しい。三人で乾杯をし、一気に飲み干した。
「ぶはっ、あッめぇ!」
「だな。すごく甘い」
「いやお前も久しぶりに飲むのかよ」
「そりゃそうだろう。オレンジジュースなんてお子様の飲み物だ」
「んなこと言って、高校時代はフツーに飲んでたろーが」
「高校生はまだまだお子ちゃまだろうが」
曜介と京太郎がやいのやいの言い合っていると、真尋が指先で目頭を拭った。曜介と京太郎は顔を見合わせる。
「オイ、てめーがリンゴジュースなんつー赤ちゃんの飲み物買ってきたから、真尋ちゃんってば泣いてんぞ」
「お前のげっぷに驚いたんじゃないか? 真尋ちゃんは繊細でか弱い生き物なんだぞ」
「そりゃあ、ノリでコーラ一気飲みしちゃったからね? てかなんで俺だけ炭酸? お前らはフツーのジュースなのに」
「好きだろう? コカコーラ」
「好きだけども! 久しぶりに飲んだらやっぱすげぇうめぇけど! 最近は体のこととか気にしてんのに、よくねぇわマジで。砂糖の塊すぎるって」
「我慢は体によくないぞ。どれ、もう一本買ってきてやろう」
「やめろぉ、健康が遠のくだろーが」
曜介と京太郎が再びやいのやいの言い合っていると、真尋は堪え切れないという風に吹き出した。目頭を押さえて、くっくっと肩を震わせ笑っている。
「てめーら、相変わらずバカなんだな」
「おめーもそのバカの一員なんですけど~。自覚ないカンジ?」
「そうだな。一番のバカは、おれだったのかもしれねぇ」
真尋は、缶の底に残った一滴までジュースを飲み干した。
「ありがとうな、京太郎。全部お前のおかげだ」
「ふっ。感謝の言葉なら後でいくらでも聞こう」
「そーだ、寿司屋の予約、そろそろだよな? 感謝の印に、俺と真尋の奢りにしようぜ」
曜介が言うと、京太郎はぎくっとする。
「賛成。今夜はおれと曜介の奢りだ。よかったな、京太郎」
「二人で割れば払えなくはないだろ」
「楽しみだぜ、回らない寿司」
「俺も~。なに食おっかな。やっぱ中トロ?」
「間違いねぇ」
「だよな~」
完全に寿司の口になっている曜介と真尋が歩き始めようとすると、「すまん!」と京太郎がいきなり頭を下げた。
「回らない寿司屋に連れていくと言ったが、あれは嘘だ。予約もしていない!」
「なんでだよ?! 話が違げーぞ!」
既に一度騙されている真尋はすぐに事態を呑み込んだが、曜介は驚きを隠せない。
「なんで、お前、七時に予約入れといたぞ☆ってご丁寧にメールしてきたじゃねぇか! あれ全部ウソってこと?! 俺にまでドッキリ仕掛ける必要ある?!」
「まぁ聞け。ケツの時間が決まっていないと、お前の決意が揺らぐんじゃないかと思ったんだ。七時の予約に間に合うように告白を終わらせないといけないという焦りが必要だと思ってな。あと単純に三人分奢るのはキツい。だいぶ見栄張りました。さすがの高学歴にもムリぽです。ってことで……ゴメンちゃい」
京太郎はペロッと舌を出して謝るが、完全に高級寿司の口になっていた二人に通用するはずもなく、こてんぱんにとっちめられたのだった。その後、三人で回る寿司屋を訪れ、安さにかこつけて好きなだけ飲み食いし、酔ってくだを巻く京太郎の愚痴を聞いてやって、もちろん会計は曜介と真尋で支払った。
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