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諸恋②
赤く腫れてしまった唇から、蒼い煙が吐き出される。開け放った窓から夜風に乗って空へと昇る。鮮やかに燃え、短くなった吸い殻を、真尋は灰皿に押し付ける。
「幻滅したか」
不意に口を開いた。何を言われているのか分からず、曜介は馬鹿みたいに呆然とした。
「もう少し、お前の好みについて研究しとくんだった」
「……俺はあれで好きだったけど?」
「……」
真尋はもう一本煙草を銜える。カチッ、カチッ、と火花が散る。
「もう少し、清純ぶってみるつもりだった。てめーはそういうのが好きかと思って。……でもまぁ、長年染み付いた癖は抜けねぇな」
煙草はゆっくりと燃える。真尋の唇に長時間触れていられるそれが羨ましく思えた。
「俺は、お前がお前なら何だって好きだけどね」
「……」
「最初の感じは演技だったの?」
「……いや、結構マジに緊張してた。が、今更処女みてぇに大人しく抱かれるのも癪で。お前相手だと、特に」
「負けず嫌いめ」
「お前もだろ。おれが煽ったらすぐがっついてきやがって」
「そりゃそーなるだろ! つか、煽った自覚はあったんだ?」
「無自覚であんなことしねぇよ。しかしまぁ、少しやりすぎたな」
真尋は腰をさすって笑った。
「体力バカとやるのも楽じゃねぇ」
「そりゃあ、さぁ、がっつくだろ。あんな風にされちゃ」
曜介も布団から出て、真尋の隣に座った。手に持っていた吸いかけの煙草を取り上げ、灰皿に押し付ける。
「男相手はお前が初めてだし」
キスをすると、煙の味がほろ苦かった。
「おれに操を立ててたのか」
「そんなんじゃねぇけど。たまたま機会がなかっただけで」
「その割には手慣れてたよな」
「まぁな。やり方はネットで調べたし、イメトレだけは完璧っつーか」
「へぇ」
「あっちょっと待って、今体目当てって思った? 違うからね? お前が好きだから、色々妄想捗っちゃっただけだからね? 下心なんか全然……いや少しはあるけど」
「んなこと思ってねぇよ。お前って案外真面目だよなと思っただけだ」
くすくすと忍び笑いをする真尋の黒髪が、澄んだ夜風にふわりと靡く。
「……だって、何年片思いしてたと思ってんだよ」
「さぁな。何年だ」
「昔すぎて忘れたわ。たぶん、お前に初めて剣道で負けた時からだな」
「だったらおれの方が長いな」
真尋は頬杖をついて窓の外を見る。黒髪に覗く白い耳が赤く色付いていた。
「えっ、えっ。何それ、どーいうこと?」
「そのままの意味だろ」
「いや、待って。じゃあこうするわ。幼稚園でお前がピカピカの泥団子作って俺に自慢してきた時。あの時にはもう好きだったと思うわ」
「はぁ? 後出しすんな。おれはてめーがおれの誕生日にその辺のタンポポ摘んできてくれた時には好きになってたぞ」
「何それ、俺そんなかわいいことしてたの?? 覚えてねぇ~~」
「片思い歴はおれの勝ちだな」
「いやこれ勝負だったのかよ? だったら俺は、お前がお絵描きの時間に俺の似顔絵描いてくれた時! あれで好きになったし!」
「ふん。似顔絵ならおれも描いてもらったぜ。ドローだな」
「んだそれ、ずりーぞ」
「後は、あれだな。おれが風邪で幼稚園早退することになった時、お前がカバン持って昇降口まで見送ってくれたこと。どっちが綺麗な泥団子作れるか勝負して日が暮れたこと。笹舟流すのに夢中になって用水路に落ちたこと。誕生日ケーキ食い過ぎて腹壊したこと。おれが走って転んで泣いてたらてめーがバカにしてくるもんだからムカついて転ばしてやったらてめーも泣き出したこと。んで、先生に二人して怒られて泣かされたこと」
「ねぇそれホントに初恋の思い出?」
不安になって曜介が口を挟むと、真尋は怒ったように顔を赤くして振り向いた。吸い過ぎて赤くなった唇と同じくらい、頬も目元も赤く火照っている。
「だから、片思い歴はおれのが長ぇ。おれの勝ちだ」
「……うん」
幼馴染がこんなに可愛くてどうしよう。初恋がいつだったかなんて、曜介はもうどうでもよくなっていた。そんなことより、思いが通じ合ったばかりの幼馴染が可愛くて困る。
意地っ張りで、強情で、負けん気が強いのは知っていたが、まさかどちらが先に好きになったかで競おうとするとは思わなかった。むきになって過去の胸キュンエピソードを一つ一つ思い出して語ってくれるのも可愛い。自覚がなさそうなのもまた可愛い。
「ぎゅってしていい?」
「は? おい」
「てかするわ。ほら、お前も」
曜介は真尋を抱きしめる。真尋が体重をかけてくるので、二人で縺れ合うように布団に倒れ込んだ。そのまま、布団の上で手足をもぞもぞと絡めて、絡めては離れ、また絡める。
「なぁ、もっかいしようぜ」
「散々しただろ……」
「いいじゃん。明日休みだろ? それに俺、さっきも言ったけど、どんなお前も好きだし」
前回した時は死に物狂いだったので──それこそ、このたった一夜の過ちを糧に、この先訪れる幾千億の夜を一人で越えていかねばならないと、大袈裟でなくそのくらいの心構えで行為に臨んだので──真尋の乱れた姿、表情や声まで、あまり気が回らなかった。そこまで気にする余裕がなかったのだ。だから、真尋がどんな風に乱れるのか、曜介がしっかりと認識したのは今夜が初だ。
「処女みたいに緊張してても、ドエロい感じで誘惑してきても、連続イキして泣いちゃっても、どんなお前でも好きだか──」
最後まで言わせてもらうことはできなかった。強烈なデコピンが飛んできて、曜介は額を押さえてうずくまる。真尋はさっさと布団を被り、向こうを向いてしまった。
「ちょっ、寝ちゃうの??」
「もう寝た。静かにしろよ」
「起きてんじゃん」
曜介もブランケットに潜り込んだ。後ろから抱きしめるように寄り添う。少しでも際どいところへ触れようものなら思い切り手を抓られるので、曜介は大人しく目を瞑った。
東の空に細い月が光っていた。黒いアゲハ蝶が大きな羽をゆっくりと瞬く。星屑のような軌跡を残し、天高く舞い上がる。
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