30 / 41
花火③
夏休みも中盤に差し掛かり、今日も生徒達は部活動に勤しんでいる。グラウンドに響く声、青い風と、砂埃。蝉の合唱は一層しつこく、休む間もなく響き渡っている。
「あの野球少年、また来てたの」
ノックもなしに、曜介が顔を見せた。たった今保健室を出ていったばかりの男子生徒と、廊下ですれ違ったのだろう。
「ああ。アイシングがしたかったらしい」
「ふーん」
曜介は、何やら含みのある返事をしつつ、手近な椅子へ腰掛けた。
「何か用かよ」
「べっつに~」
「サボりに来たなら帰んな」
「そんなんじゃねぇよ。お前がちゃんと仕事してるか、見に来てやっただけ」
「少なくとも、今のてめーよりは仕事してるぜ」
「かもな」
音楽室で吹奏楽部が合奏している。校舎内はしんと静かで、管打楽器の演奏の音色がクリアに響く。
「花火ン時に会った三人娘、全員吹奏楽やってんだよ」
曜介がおもむろに口を開く。
「ああ」
「知ってた?」
「石川がトランペット吹いてるのは知ってる」
花火大会で会った三人のうちの一人。保健室の常連さんだ。他の二人が曜介に構い切りなのに対して、彼女だけは真尋のことをよく見ていた。
「それが何だよ。演奏会でも見に行くのか」
「いや、何でもねぇけど。お前ってやっぱちょっと危ねぇよな~と思って」
「どういう意味だよ」
「いや、何つーかさぁ……」
曜介は頭を抱えて黙る。気持ちを言葉にしようともがいているのだろう。真尋も急かすことはしない。
「俺だって、お前が生徒にモテるんで、ちょっともやもやしてんだよ」
花火大会の夜、神社の裏手で交わった際に真尋が口走った言葉への返答だ。衝動的に青姦などと、笑って許してもらえる歳でもないのに、どうしようもなく昂ってしまった。その後、全身を蚊に食われて散々な目に遭ったのだが、その話は置いておこう。
「……別にモテてねぇだろ」
「モテてんの! 分かんねぇかなぁ。石川もそうだろ。お前見る目が違ったもん」
「もんとか言うな。気持ちわりぃ」
「さっきの野球少年もそうだかんね。やけに嬉しそうだったし。顔とか真っ赤だったし!」
「この炎天下で野球してんだから当たり前だろ。大体お前、おれが生徒に手ェ出すクズ野郎だと思ってんのか」
「一ミクロンも思ってねぇよ。でも、それとこれとは話が別っつーか? やっぱ、俺だけのお前でいてほしいじゃん」
「……」
「今のちょっと傲慢だった?」
「いや」
「別に浮気の心配とかしてるわけじゃ全然ないんだぜ? でも、さぁ、何つーかさ」
「……」
「お前は、この学校の保健の先生なわけじゃん」
「ああ」
「唯一無二なわけじゃん。それに白衣だし……」
「白衣は関係ねぇだろ」
曜介は低く唸り、テーブルに突っ伏してしまった。真尋は冷凍庫を開け、アイスクリームを手に取った。
「食うだろ」
ぱかっと蓋を開け、内蓋のフィルムを剥がす。まだ固いアイスの表面に、木製の短いスプーンを刺す。手の熱でアイスを溶かしつつ、一口掬って口の中へ。濃厚なバニラの風味が口いっぱいに広がった。
「つめて」
「ああ」
舌にのせて蕩かし、ゆっくりと喉を通す。吹奏楽部の演奏はまだ続いている。
「てめーだけのおれでなきゃ、こんなことはしねぇよ」
「……だよな」
「アイスで機嫌が直ったか」
「ガキ扱いすんなよ。お前がアイスで機嫌取ろうとしてきたんだろ」
「好きだろ」
「好きだけど」
「……おれも好きだ」
「へっ……?」
スプーンにアイスをのせたまま、曜介は固まった。体温でどんどん溶けていく。
「おい、零すなよ」
「ちょ、今のってどっちの意味」
「どっちでもいいだろ。食い終わったら仕事に戻れ」
「いいじゃん、このままイチャイチャしようぜ」
「しねぇ。一応仕事中だぞ」
真尋は素っ気なくあしらう。曜介は満ち足りた様子で笑う。空になったアイスクリームのカップが二つ、テーブルの上に並んでいる。
ともだちにシェアしよう!

