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第3話

 エルヴィンは幼いころからずっと、ルークを遠くから眺めていた。エルヴィンにとってルークは雲の上のような存在だったからだ。  エルヴィンがルークに会えるのは年に一度だけ。建国祭と呼ばれる、周辺諸国の戦乱を収めるきっかけとなった黒狼獣人の国家が築かれた日を祝う祭のときだけだった。  黒狼獣人はこの世の王に君臨していると言っても過言ではないほど圧倒的な勢力を誇っている。  黒狼獣人の城は『中央』『王都』という通称で呼ばれているくらいに強大だ。その勢いに恐れをなし、またはあやかりたい周辺国との交渉が進んでおり、今や従属国、保護国の条約が次々と締結している状況だ。今や諸国統一も間近だと言われている。  建国祭の日には黒狼獣人の城で祝賀会が行われ、それに近隣諸国の王族も招待されたのだ。エルヴィンは猫獣人の王族という立場で、物心ついたころから父親や兄弟とともに参列していた。  エルヴィンは一応王族なので来賓扱いではある。だがそれは形式ばったものであり、実際は没落寸前の田舎の小国なのだから周囲の見る目は冷ややかなものだった。  一方でルークは注目の的。第二王子という立場でありながら、兄である王の嫡男のメイナードよりも人気があるのだから相当なものだ。  それもそのはず。メイナードは自信家で、自分がいかに優れているかや自分の功績ばかりを口にして周囲を気にかけない。つまり人望がないのだ。  ルークは見た目や体格にも恵まれているが、思慮深く、常に従者や民への配慮を欠かさない。それでいて剣術にも優れており、その能力の高さは、剣術大会で腕自慢の騎士団長の首にルークが長剣の切先を向けたときに証明された。  ルークはその力を、戦場で自ら先頭に立って斬り込むときに発揮している。我が身を顧みない勇気あるさまが、周囲を惹きつけてやまない。これぞ狼の(おさ)といった風体なのだ。  大人気のルークに、田舎の王子ごときが話しかけることすら憚られる。当然のようにエルヴィンは毎年の建国祭のとき、ルークを遠巻きに眺めることしかできなかった。  エルヴィンが十六歳になり、建国祭のあとに行われる王族の集まる夜会に初めて参加したときのことだ。  夜会では、異種獣人の王族同士の交流が盛んに行われる。十六歳から夜会に顔を出すことが許されるのだが、今年はエルヴィンと同じ年のルークがついに夜会に参加するとあって皆、色めき立っていた。  エルヴィンも例外ではない。一度でいいからルークと話がしたいと気持ちが弾んでいた。  ルークの周囲には着飾った他の獣人たちがいる。皆キラキラと(あで)やかで上質な服を身につけているのに、エルヴィンは刺繍入りの白色の正装とはいえ、兄弟の着古した、くたびれた上下を身につけている。  その差は歴然としており、すっかり気後れしてしまったが、意を決してエルヴィンはルークに近づいていく。ルークに近づける機会は年に一度、このときしかないのだから。  獣人たちはエルヴィンがルークに近づいただけで明らかに嫌悪感を示してきた。何も言われないが、ライバルは歓迎されていないことだけは空気感でひしひしと伝わってきた。 「きゃあっ!」  エルヴィンの一番近くにいた兎獣人が急に悲鳴を上げた。と同時に兎獣人の薄桃色の華美なドレスがワインの赤色に染まっていく。 「セリカさまっ!」  近くにいた兎獣人の従者が慌てて飛んできてドレスを確認するが、派手に汚れてしまっていてとても元どおりにはなりそうにない。 「そこの猫獣人! セリカさまになんということを!」 「えっ?」  エルヴィンにはなんのことだかわからない。エルヴィンは近くにいただけでセリカには指一本触れていないのに。 「ぶつかっといて謝りもしないのっ?」  セリカが冷ややかな目を向けてくる。どうして自分がそんな目で見られなきゃいけないのか意味がわからないまま、セリカだけでなく周囲からも蔑むような視線を向けられる。 「なっ、何もしてない……」  言い訳しようとするが、「セリカさまの美貌が羨ましかったんでしょ」と根も葉もないことを言われて、ここには自分の味方がひとりもいないことに気がついた。  騒ぎが大きくなり、ジロジロとこちらを見てくる人々は皆エルヴィンを悪者だという目で見ている。  これは濡れ衣だ。  だが、エルヴィンの味方は誰もいない。
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