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第4話

 早く謝れ。  お前みたいな汚い下等獣人にはここは不相応だ。  消えろ。  全身を冷たい視線にさらされて、エルヴィンは泣きそうになる。 「ごっ、ごめんなさい……」  ごめんなさい。僕なんかが不相応な相手に話しかけようとしたことを謝ります。そんな気持ちで心がいっぱいになり、とにかく謝罪してここから今すぐ消えていなくなりたかった。  エルヴィンが尻尾を巻いて逃げ出そうとしたときだった。  エルヴィンの背後にいた人にドンッとぶつかった。エルヴィンより頭ふたつぶんは背の高い、カラスの濡羽色の正装をした獣人だった。  闇夜に溶けるような黒色は黒狼獣人が好んで着る色だ。エルヴィンがぶつかったのはルークだった。  当時はまだ先王が存命で、ルークは王弟ではなく第二王子という立場だった。  ルークは立ち去ろうとするエルヴィンを片手で抱き止め、その場にとどまらせる。 「セリカさま。この夜会で起きた問題はすべて主催者である私ども黒狼獣人の失態です。ここは私が謝罪いたします」 「いっ、いえっ! ルークさまがそのようなことをなさるなんてっ」  ルークが頭を下げようとするから、兎獣人のセリカは慌ててそれを制する。間違ってもルークは何もしていないし、謝ってもらうことすら申し訳ないことだろう。 「汚れたドレスの代わりはすぐに用意させます」  ルークの指示ですぐに従者たちがやってきて、セリカを囲み、セリカは着替えのために退出していく。  それとともに、周囲の好奇の目もすっかり止んだ。事件解決とともに野次馬たちは興味を失くして離れていった。  追い詰められていたはずのエルヴィンは、ルークの登場ですっかり助けられてしまった。  こんな下っ端の獣人にまで気を遣ってくれるとは、ルークはなんていい人なのだろう。 「あっ、あの、ありがとうございます」  エルヴィンはルークに必死で感謝の気持ちを伝える。畏れ多くて顔を上げることすらままならないほどだ。 「そこの猫獣人」 「はっ、はいっ!」  ルークに呼ばれてエルヴィンの背筋がピンと伸びる。尻尾の先までピシッと立った。 「話がある。ついて来い」 「へっ?」  まさかルークに呼び出されるとは思いもしなかった。  エルヴィンの胸がドキドキと高鳴っていく。ついに憧れの人と話ができる。  いったい何の用事だろう。エルヴィンが毎年遠くから見ていたことに、実は気がついていたのだろうか。  普通の会話ならここで今すぐ話せばいい。それができない秘密の話ということだ。こんな特別扱いをしてもらえるなんて奇跡だ。  ルークに呼ばれてついて行った先は、広いバルコニーだった。  冷たい夜風がエルヴィンの茶色い髪と尻尾の毛を揺らす。エルヴィンは昔から尻尾の毛足が長いのだ。  乳白色の微光を放つ銀河と星がよく見える澄んだ夜空には、青みがかった下弦の月が南南西の方角に顔を覗かせていた。  ルークは青白い月を背にこちらを振り返る。 「さっきのことは災難だったな」  低く、麗しい声だ。ルークの声はどこか心惹かれる。これがルークのカリスマ性の一因になっているのだろうか。  噂どおりルークは端正な顔をしている。少しつり上がった目尻に、はっきりとした金色の瞳。キリッと引き締まった輪郭も、何もかもが完璧だ。 「あれは兎獣人の自作自演だ。気がついていたか?」 「えっ? 自分で自分の服をわざと汚したということですか?」  ルークの言っていることの意味がわからない。なぜせっかくのドレスを汚すようなことをするのだろう。  高価なのに。あの煌びやかなドレスならお古にしてあと百回くらい着られる。 「その理由はふたつ。まずは自分があの場で目立ちたかった。そしてもうひとつはお前が目障りで、ぶつかった犯人に仕立て上げてあの場から追い出したかった」 「そんな……」  建国祭のあとの夜会は、陰謀が蔓延(はびこ)る場所だと小耳に挟んだことはあるが、初参加でいきなり自分が巻き込まれるとは思いもしなかった。  きっとエルヴィンが小汚く思えたのだろう。小柄で地味なエルヴィンは豪華絢爛な夜会には似つかわしくない。 「話はそれだけだ。身に覚えのない罪を被せられぬように気をつけろ、特にお前はオドオドしていて動きが不審だ」 「ふっ、不審っ?」  聞き捨てならなくてエルヴィンはルークに言い返してしまった。
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