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第7話
城の治癒室のベッドからルークが起き上がれるようになったころには、三日三晩が経過していた。
聞けばルークは遠征中、大きな戦いの最中に思わぬ奇襲を受けて瀕死の状態となり、魔導師の力で安全な自国の城に空間移動させられたそうだ。
空間移動の魔法は、本人が強く願った場所に導いてくれる。ルークは瀕死の状態だったから城に戻ろうと願ったのに、城から外れた薬草園に位置がずれてしまったのだろう。
やはりルークの症状は瘴気に当てられたことに因 るものだった。エルヴィンは熟練の治癒師たちに禁断の液薬を勝手に使ったことを咎められたが、ルークの命を救ったことが評価され、今回の行動は不問となった。
動けるようになったルークは、無事に自室のベッドへと戻っていったらしい。元気になった姿をひと目見てみたかったが、それは叶わなかった。
その日の夜、城の片隅にあるエルヴィンの部屋に来訪者が現れた。
「エルヴィンさま。殿下がお呼びです。支度をして殿下の部屋までお越しください」
エルヴィンごときにわざわざ頭を下げて信じられないようなことを言っているのは、灰狼獣人のルークの従者だった。灰狼獣人の従者は自分の名前をハーデンだと名乗った。
「殿下が、僕をお呼びなんですか……?」
この城に来てからルークに呼ばれたのは初めてだ。ルークがエルヴィンの存在を知っていたことにまず驚いた。そして、こんな田舎の第三王子にいったい何の用事があるのだろう。
ルークを助けた日のことは、ルークは覚えていないはずだ。瘴気にやられ、指一本動かせないような状態で意識朦朧としていたのだから。
「はい。ふらふらの身体でエルヴィンさまに会いに行くというので、我々がお止めして、代わりにエルヴィンさまをお連れしますと殿下を説得したのです」
「わかりました。今すぐまいります」
理由はわからないが、ルークが呼んでいるのならば行かないという選択肢はない。病み上がりのルークに城内をうろつかれても心配だ。
それに、ルークに会えるまたとない機会だ。あれからルークの体調はどうなったのかずっと気になっていたし、
素朴な布の普段着に風除けのための黄土色のマントを羽織り、ルークの部屋へと向かった。ハーデンの案内で通されたのは寝室だった。
透けている白い布で覆われた天蓋付きの大きなベッドが広い部屋にひとつ。その他には猫足の長いソファーとテーブル、背の高い本棚があった。
ひとつひとつの調度品は絢爛なものだが、華美な飾り気のない、静かな部屋だった。
「殿下。エルヴィンさまをお連れしました」
ハーデンはベッドに向かって声をかけたあと、「失礼いたします」と言ってエルヴィンをひとり残して部屋から姿を消した。
「で、殿下、お呼びですか……?」
エルヴィンは恐る恐るベッドに近づいて、天蓋の上から吊り下げられている白い布の向こう側に話しかけた。
白い布のあいだからルークの姿が浮かび上がる。ルークは布を手で払い、ベッドから起き上がり、意外にもしっかりとした足どりでエルヴィンに近づいてきた。
目の前に立たれて思い知る。
ルークは背が高くて、逞しい。痛々しい白色の包帯を腕に巻いていても、エルヴィンの頭ふたつ分は大きい筋肉質な体格には変わりない。
そして初めて話をした青白い月の夜と変わらない、金色の瞳でエルヴィンに真っ直ぐな眼差しを向けている。
「エルヴィン」
低く、力強い声で名を呼ばれた。こんな身分の低い猫獣人の名前まで知っているとはルークはやはり賢い。そのおかげで、エルヴィンは名前を呼んでもらうことができた。
ルークに名前を呼ばれるのは初めてだ。
ああ。この声をずっと覚えていよう。もう二度と呼んでもらえることはないだろうから。
「ずっと、ずっと会いたかった……」
ルークは両腕を伸ばし、愛おしいものを抱き寄せるようにして、エルヴィンを大きな身体で包み込んできた。
ルークの体温を感じる。ほわほわに温かくて、すごくいい匂いがして、気持ちがよすぎて全身がとろけてしまいそうになる。
突然のルークの抱擁に、エルヴィンは訳がわからない。
ルークがエルヴィンに会いたがるわけがないし、ましてやこんなふうに抱きしめられることなどありえない。
「でっ、殿下っ?」
「エルヴィン。愛しい俺のエルヴィン」
ルークはエルヴィンをさらに強く抱きしめる。
「ど、どうなさったのですか、こんな……」
「どうもしない。自分の婚約者に愛情を示すことの何がおかしい?」
「えっ? こっ、婚約者……?」
ルークの婚約者は黒狼獣人のアイルのはずだ。エルヴィンはただ猫獣人が滅ぼされないようにと和平のための人質で、ルークの婚約者ではない。ルークは何を勘違いしているのだろう。
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