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第30話

 エルヴィンの身体は冷たい石床の上にドサっと投げ出された。  両手首は後ろ手に縄で縛られていて、目隠しをされている。エルヴィンは身体をひねってなんとか起き上がる。  そこで目隠しを取られてエルヴィンは目を見開いた。目の前に信じられない光景が広がっていたからだ。  エルヴィンが連れてこられたのは、天井高で荘厳な大理石の柱が立つ玉座の間で、目の前には銀の胸当てや手足の当て具で武装したルークと、ルークが連れている兵士たちがいる。  エルヴィンの横には黒狼獣人がいる。王しか身につけることを許されない、鮮やかな赤のロイヤルレッドのマントを羽織っているその獣人こそ、ルークの兄の国王メイナードだ。兄弟なのにルークとは似ても似つかない、つり目でいかつい顔をしている。  メイナードの周囲には側近の近衛兵がずらりと並んでいる。  双方睨み合いで一触即発の雰囲気だ。そんな中にどうして自分がいきなり放り込まれたのか状況がまったく掴めない。 「……っ!」  急に髪をうしろから掴まれ、首元には長剣の刃が当てられた。ゴクリと喉を鳴らすだけでも鋭利な刃が喉に触れてしまいそうだ。少しでも動いたら首を落とす、そういう意味なのだろう。 「エルヴィンから手を放せっ!」  ルークはメイナードを睨みつける。だがメイナードは不敵な笑みを浮かべただけだ。 「兄上がこんな卑怯な真似をするとは思いませんでした。俺を遠征先で亡き者にしようとしただけでは満足なさらないのですか?」 「あぁ。満足いかない。お前が生きているからこのような争いが起こるのだ。優秀すぎる弟など要らん。お前を消すためにはどんな手段でも使ってやる。お前がもっとも大事にしているという猫の手すら借りてやろうじゃないか」  メイナードはチラリとエルヴィンに意味深な視線を寄越した。 「ルーク。愚かな抵抗はやめろ。兄弟同士で争うなんて悲しいことじゃないか」  メイナードは一歩ルークに近づいた。ルークの鋭い視線はメイナードにあるが、時折エルヴィンを気にかけているのがわかる。 「お互いこれ以上犠牲を増やしたくないだろう? さあ、剣を捨てろ。戦いを終わらせようじゃないか。それとも今すぐこの薄汚い猫獣人を始末してやろうか? それでもいいならかかって来い」  ルークはメイナードを睨みつけたまま、持っていた銀の剣を手放した。  カランと金属音が石の床に響きわたる。  無防備になったルークに対してメイナードの近衛兵たちが一斉に剣を向ける。それでもルークは抵抗しようともしない。 「はっはっは! これは何の冗談だ? こんな猫獣人ごときと引き換えに自分の首を差し出すのか? これは思っていた以上の効果だ」  メイナードの言葉でハッと気がついた。エルヴィンはメイナードの手下に捕まり、ルークとの交渉の材料にされているのだ。そして信じられないことに、ルークはエルヴィンの命を救うために自らの命を差し出そうとしている。 「でっ、殿下! いけません! 今すぐ剣を持ち、戦ってください!」  ルークは誰よりも大切な人だ。誰が見たって田舎の貧乏貴族のエルヴィンよりも、王弟殿下で革命の中心となる存在のルークを守るべきだ。エルヴィンのためにルークが命を落とすことなどあってはならない。  ルークの足かせになるくらいなら、今すぐ死んでやる。 「今すぐ殺せ! 早く! 殺せよっ!」  エルヴィンが暴れると喉に当てられた剣が取り下げられ、身体を押さえつけられる。エルヴィンの命は交渉材料だから簡単には殺してもらえないようだ。 「殿下、殿下っ! 民のことを第一に考えてください。こんな猫獣人の代わりなどいくらでもいます! 見捨ててくださって結構、少しも恨みもいたしません!」  叫ぶことしかできなくて、ひたすらルークに声を届ける。ルークに判断を誤ってほしくない。こんな猫獣人ひとりにこだわる必要なんてない。 「俺の考えは変わらない。もともと王弟だから祭り上げられただけのことだ。俺が死んでも次の革命者が現れる」  ルークがエルヴィンを見た。金色の瞳がきらりと光り、その視線に強い意志を感じる。その目で見つめられただけで胸がギュッと苦しくなる。自分の死を目の前にしても尚、凛と立つ姿に、涙があふれ、叫ばずにはいられない。 「嫌だ! 殿下っ! 生きてください! お願いですから戦ってください! 僕なんて必要ないから……」  こんなルークの最期など認めたくない。あってはならない。  エルヴィンがいくら叫んでも、ルークは抵抗する素振りを見せない。 「謀反を起こしたこのバカな弟を始末しろ」  無情にもメイナードの命令が下された。エルヴィンは必死でもがくが、近衛兵の腕から逃れられない。  ルークの命が今、目の前で奪われる……!

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