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第31話

 周囲に血飛沫が飛んだ。エルヴィンはとても見ていられなくて思わず目を逸らしたが、床に倒れたのはメイナードだった。  近衛兵が主君を裏切ったのだ。近衛兵たちがルークに向けていた刃は、そっくり寝返りメイナードの身体を貫いた。 「うおおぉーっ!」  敵も味方もなく、どちらからも勝利の雄叫びが聞こえる。こんなことが起こりうるとは思いもしなかった。  メイナードの臣下たちもルークの勝利を讃えている。ここにいる者は皆ルークの味方だと大勢が叫んでいる。  メイナードが倒れているのに、誰も手を差し伸べようともしなかった。だが「兄上を介抱せよ」というルークの慈悲ある命令で、近くにいた治癒師たちがざわざわと動いた。  エルヴィンも縄を解かれて解放された。身体が自由になったとき、|颯《はやて》のように駆けてきたのはルークだった。 「エルヴィンっ」  迷いもなく、ルークに抱きしめられた。いろいろなことがありすぎて、ずっと緊迫状態にあった身体がルークに抱きしめられたことで安堵を覚える。  この匂い、この力強い腕。ひんやりとした銀の胸当てに頬を寄せながらエルヴィンはルークに|縋《すが》った。 「怖い思いをたくさんしたな。そばにいられなくて本当に悪かった……」 「はい……」  怖くなかったと言えば嘘になる。アイルと逃げているときも必死だったし、敵に囚われ拘束されて目隠しをされたときも怖かった。なにより一番怖いと思ったのは、目の前でルークを失うと思ったときだ。 「殿下……どうしてあんな無茶を……殿下の命は殿下だけのものではありません。殿下がいなくなったらこの世の終わりですっ」  ルークのいない世界なんて意味がない。あのときルークを失っていたら、心が真っ暗になり、エルヴィンだって生きてはいられなかった。 「自分の妃も守れないで、ひとりだけ生き残るわけがなかろう」 「えっ?」  愛おしそうな目で見つめられても、エルヴィンには理解ができない。ルークの記憶違いは治ったものだと思っていたのに。 「何に驚いている? エルヴィンだってそのつもりでこの城にやって来たのだろう? 俺は何度もエルヴィンに愛情を伝えているつもりだが、他に何が足りない? すぐにでも婚礼を挙げれば納得するか?」 「殿下。大変申し上げにくいことなのですが……」  こうなったらルークに事情を話すしかないと決意した。さすがに記憶違いのままルークがエルヴィンなんかと婚礼を挙げてしまったら大変なことになる。 「殿下は瘴気を払う薬のせいで、記憶違いになっておられるのです」 「記憶違い……?」 「さようです。周囲の者に聞けばわかります。殿下の婚約者は僕ではなくアイル公爵令息さまです。それを薬のせいで頭が熱にやられてしまい、僕を婚約者だと間違えていらっしゃるのです」 「は……?」  ルークは怪訝な顔になる。まさか自分が記憶違いとはにわかに信じ|難《がた》いのだろう。 「皆の者に真実を聞いてください。僕が婚約者ではないとわかります」  ふたりだけで話していても埒が開かない。城の皆に言われれば、さすがのルークも事態を理解することだろう。 「ルーク殿下の婚約者はエルヴィンさまです」  すぐそばに控えていたハーデンが即座に答えた。そしてハーデンの答えを聞いて皆一同に頷き、ハーデンと同じことを言う。 「あれ……?」  おかしい。エルヴィンが婚約者であるはずがないのに、ここにいる者たちはエルヴィンのことを婚約者だと言っている。 「記憶違いになっているのはエルヴィンのほうなのではないか? エルヴィンの父上、テオドールさまには俺が直々にエルヴィンを妃に迎えたいと手紙を書いて出した。それに対してテオドールさまは了承なさっている」 「あっ、あれは、婚約者とは名ばかりの和平のための妃候補という意味では……」 「違う。兄上は俺の妃候補としての名目で人質を集めていたが、それは兄上の名前で手紙が届いているはずだ。エルヴィンには間違いなく俺が手紙を出した。俺もエルヴィンも十八になり、こ、婚礼を申し込むことができるようになったからな」  信じられないことに、目の前のルークが顔を赤らめている。どうやらルークは本気で、エルヴィンに妃になってほしいと手紙をしたためたようだ。 「じゃあ……本当に僕が、殿下の婚約者なのですか?」 「もちろんだ。エルヴィンしかいない」  金色の瞳でまっすぐに見つめられてドキドキと胸が高鳴ってきた。こんなに大勢が見ている前でと思うのに、ルークに愛を告げられ、魅惑的なルークから目が離せない。

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