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祝勝の宴、二日目。 昨夜遅く。後宮の西のアロの館まで彼の帰りを見届けた後、明け方まで飲み明かし、起きたのは昼過ぎだった。 城下を覗きに行ってはいないが、昼夜問わず遠くから聞こえる喧騒に、街中も同様に帰還兵を迎えてのどんちゃん騒ぎが繰り広げられていることは容易に想像がついた。 そして当然、王宮内のどこもかしこも酒の臭いが充満し、誰もが浮かれきっている。 王の姿を探すと、庭園で踊り子達の舞を酒の肴に飲んでいた。 「おはようございます、よくお休みになられましたか」 嫌味ったらしく俺を睨んだガイは、視線を王の側の奴隷に戻した。 「…王は昨夜どこに?」 「第三妃の元に」 現在、王には正室である王妃のほか、側室が6人、下級妃が10人、そして公妾が5人いる。 「へェ、めでたい夜だ、王妃を抱いてやればいいのに」 「…」 「ただでさえあの奴隷が来てから”おままごと”が目に余る、うっかり王妃に逆恨みを買ったらさすがにかわいそうだ」 「貴方の言う通り、閨(ねや)を共にしてるわけではない、たかが遊びでしょうーーー」 「だとしても女は怖いよ、妾と同等の待遇の奴隷男に大事な子種を無駄打ちしてるんだ」 後宮は王と妃と子、そして侍従や侍女達が住まう禁城であり、奴隷から成り上がった宦官が内侍(ないじ)に従事することはあっても、奴隷男が奴隷のまま、それも妾と同等に囲われている事実は異例だった。妾用の館を与えられたアロには世話をする従者が3人ついているが、これらが侍女ではなく宦官であることを除けば、通常の公妾と待遇に変わりはない。 「…」 「それに、奴隷が目の敵にされなくても結局とばっちりを受けるのはこの俺だ…まぁ、下級妃でもなければ腹いせに俺に色目を使ったりしてこなくて助かるけど」 後宮の妃達の”貞操を測る”のも俺の役目であり、同時に俺の王への忠誠も試される。 「…それで、あの奴隷に何か問題は?」 「昨日に引き続き大人しいものですよ」 奥歯に物が挟まったような口ぶりに、王の横暴な振る舞いが察せられる。 今日のアロは、空色に染めた薄布を纏っていた。 我が国(うち)の色を着せるとは、王の徹底したやり口には苦笑いが漏れる。 古来より諸民族の争いが絶えなかったこの地に、祖先が移住したのが2000年ほど昔のこと。交易の拠点を中心に商業都市国家として発展、台頭したが、周辺国との争いで長いこと盛衰を繰り返した。現王の曽祖父である3代前から好戦的で冷徹な王が相次いで立ち、軍制の改革と共に大規模な軍事遠征に乗り出したこの国は、今、大陸の中央の列強からそれらを丸ごと飲み込んだ一大帝国に成り上がった。俺が知る限り、現在、我が国に比類する帝国は大陸の極東にしかない。 「白い肌を引き立てるいい色だ」 夕刻の薄暗くなってきた視界でも、遠目のアロは妃や踊り子と見紛うほど美しく、否が応でも目を引いた。 「しかし、昼から顔色がよくないように思えます」 「…色?化粧が濃すぎるな、わざとか」 もう少し近寄って確かめてみるか。そう考えた時、王に耳打ちをしたアロが席を立った。 手洗いだろうと眺めていると、一人でふらりとその場を離れた男の姿に舌打ちをした。 アロには常なら2人ほどの従者が護衛に付き添うものだが、他に誰も随行しないのは、既に皆が皆、酔っ払って緩みきっているからか。こんな状態では、暗黙の無礼講がまかり通りかねない。 慌てて腰を上げた俺は、獅子の巣にふらふら踏み込んでいく鹿のような男の背を追った。 “何か”が起きるなら手洗いの中か済んだ後だろうという読みはあっさり外れ、庭から宮殿に戻るテラスの手前で、アロの前に3人の下級兵が立ち塞がった。遠目にも兵共は酷く酔っている。 「!」 駆け寄る前に、仁王立ちで臨戦態勢を取り、丸腰ながら拳を握り締めるアロの後ろ姿が見えた。牙を抜かれても誇り高き戦士かと感心しながら、薄布に透ける尻に目を奪われる。このような辱めによくも耐えているものだ。 そして、声をかけようとした時。2人の兵が脇から奴隷の腕を乱暴に掴んだが、アロは体に力を込めたものの大きな抵抗はしなかった。 「…おい、ちょっと待て!」 声を張ると、兵共がそれぞれ「あ?」と俺に凄んだ。 数秒遅れて振り返ったアロが、俺に気づくと困惑の表情(かお)をした。 「その奴隷は王の物だ」 「どれいはどれいだ」「うける」「すっこんでろ!」 日が暮れたばかり。互いの顔が見えづらいから仕方ない。 剣を抜き、ぽかんとした奴隷を抱える両脇の右の輩(やから)の首を突いた。「あっ」と後ずさった左の輩に腹に剣を突き立てると、悲鳴を上げたそいつはアロを突き放した。そして、何かを喚いて逃げ出した残りの1人の背に剣を振り下ろした。 地面に転がり、「あああ…」「いでえ」ともんどり打つ二人の頭を落としてやると、遠巻きに眺めていた連中が蟻の子を散らすように逃げていき、辺りが静かになった。 「…やりすぎではないですか」 のんびり現れたガイに「拭っといて」と剣を渡し、死体の片付けを任せた。 尻もちをついたアロの側に跪(ひざまず)くと、その顔や衣は無礼な輩の返り血に塗(まみ)れていた。 「お怪我は?」 「…っ!?」 「ご無事ですか?」 「…平気です」 硬い顔で頷いたアロは、大きく顔を背けた。 「やむを得ず貴方を汚してしまいました、申し訳ありません」 手を差し出すと、怪訝そうに俺を一瞥した彼は、「私に気遣いは無用です」と俺の手を取らずに立ち上がった。 誰も信じず、頼らない。白い横顔には、そんな強い意志が滲み出ている。 「助けていただきありがとうございました」 深々と形だけの礼をして、くるりと踵返して宮殿に向かう彼を追った。 「…供も連れずに不用心ですよーーー」 「ご心配ありがとうございます、大丈夫ですからーーー」 「大丈夫ではなかった、どうして抵抗しなかったのですか?」 「許される身分ではありません」 低く呟く横顔は、いつもの感情の読めないそれに戻っている。 「…それで、私に何かご用ですか?」 「自発的護衛を…着替えも必要になりましたし、その前に浴場に参りましょう」 女用の手洗いに入るアロについて中に入ると、彼は眉をひそめた。 「ここが最も危険ですから」 諦めたのか、黙って仕切りの向こうに消えたアロの放尿を聞き、用を済ませた後で俺を無視して出ていく彼に従った。 「後宮までお供します、風呂と着替えもお手伝いしましょうーーー」 「結構です」 「無礼講は好きですが、どうにもならず者が炙り出されますから…」 「…」 しばらく黙り込んだアロに肩を並べ、そこいらで酔いつぶれた者達を跨(また)いだり踏み越えたりしながら行くと、所々で鉢合わせたシラフの者達が俺に敬礼をしたり頭(こうべ)を垂れた。 「…アーサー様、ですね?」 つんと前を向いたまま、アロが口を開いた。 「はい、私のことをご存知ですか?」 「時々後宮でお見かけします…お名前は従者に聞きました」 「改めまして、私はアーサー、後宮の管理や世話も仕事の一つですが、妃達がメインで貴方にご挨拶ができていませんでした、以後お見知りおきをーーー」 「さぞかしご身分の高い方とお見受けします」 「気のせいーーー」 「祝宴に帯剣が許されるほどのーーー」 「しがない武官ですーーー」 「あれが許されるほどのーーー」 「後でお咎めがあるでしょうーーー」 「後宮の出入りを許されるーーー」 「ただの役人ですーーー」 「奴隷の私にそんな口をきくのはおやめください」 適当な嘘をぴしゃりと撥ねつけたアロは、刺すような目をくれた。 「そういうわけにはいきません、あなたは王の大事な公妾だ」 「違います、ただの奴隷ですーーー」 「公妾も同然、あなたに何かがあったら私が大目玉を食らう」 「そうですか」 乾いた声で呟いたアロは、後宮の門をくぐった。

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