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翌日から。
後宮には、昼間、必要最低限の職務で顔を出すだけに止(とど)めた。
王は変わらずアロを寵愛していたが、その扱いは特に変わらなかった。
1週間の間。後宮の庭で、風呂で、応接宮で、遊戯場で、内廷の廊下で、書斎で、王に奉仕するアロに遭遇したが、彼も常と変わることなく、色のない仮面の顔で王に口淫し、尻を犯されていた。
そして時折、アロと目が合うと、彼は慌ててそっぽを向いたが、王の気が逸れた隙に、俺にこそこそと気まずそうに礼をした。
こうして、後宮に距離を置いて8日が過ぎた頃。
王の奴隷の気が触れたらしいという静かな噂が立ち、即座に後宮にガイを差し向けた。
今日のこれまで、アロを目にするたびに細心の注意を払って見ていたが、倒れた経緯もあり完全に顔色がいいとは言えなくとも、不審な挙動や行動は微塵も伺えなかった。
そして夜。後宮から戻ったガイの報告によると、こうだった。
『ここ1週間ほど、夜半を過ぎるとアロが従者も連れずに一人で外に出るようになった。気付いた従者が後をつけると、後宮の北の庭を抜けた奥の雑木林に入って行き、湖のほとりで”野獣”になるアロを見た。恐る恐る声をかけたが、「帰れ」と怒鳴られて逃げ帰った。翌朝、アロはけろりとしているが、夜中になるとまた一人で出て行き、従者達は気味悪がって後をつけなくなり、これが連日続いている。』と言う。
「野獣??」
「ええ…」
「具体的には?」
「見た者は『地をのたうち、這いずりながら、獣のように唸っていた、木に食らいついていたが、夢か現実か定かではない』と言っておりました…かなり動転していましたし、夜で視界も悪いですから、正確な記憶ではないかもしれません」
野獣と言うくらいだから、相当だったのだろう。かつての戦場での獰猛とも呼べるアロの姿を思い出せば、そう驚くことでもない。そして、夜だけの奇行なら気が触れているとは思えず、何かよからぬ事態が起きていることだけは確かだった。
「…確認しに行きますか?」
「ああ」
「では支度をーーー」
「お前は来るな」
「一体どういうおつもりですか!?」
面食らったガイに、本気だとわからせるために顔を固めた。
「お前がいるとあいつは萎縮する」
「しかし、危険ですーーー」
「何が?後宮内だ」
「野獣のようだとーーー」
「わかってる、様子を見るだけだ」
剣の柄(つか)に手をかけてみせると、ガイは「くれぐれもお気をつけくださいませ」と大きな溜息をついた。
後宮へ向かう胸の内は、不安と期待が渦巻いていた。
3年前。“竜のへそ”で惚れ込んだアロをいずれは手に入れようと心に決めていたが、目論見はまんまと外れ、まさか今のような状況に陥るとは夢にも思っていなかった。
是が非でも側に置きたかった至高の戦士は、今、見るも無惨に実質の亡き者にされようとしている。
うまいこと転んで、王の執心が失せるだけなら救い出せる可能性は格段に上がるが、そう都合よく事が運ぶことはない。できることなら問題を解決し、奇行を止められるのが最善だが、アロの異変を王が”有害”と認めれば、即刻本当に消されかねない。
夜半を数分過ぎた頃。気もそぞろで3区画離れた陰から伺っていると、館からふらりと現れた影に心臓が跳ね上がった。
細い月の暗い夜で、アロらしき者の顔色も、夜着らしき衣もよく見えないが、尾行には都合がいい。
項垂(うなだ)れて、手負いの獣のようによろよろと北へと向かうその姿は、確かに人ではない何かのようで、従者が気味悪がるのも納得する。
後宮といえども敷地は広大で、10分も後をつけてようやく北の庭に辿り着くと、アロはさらにその奥の雑木林へと踏み込んで行く。ここまで来れば、声を張り上げても後宮の住人達には届かない。
呪術か、闇に潜む何者かとの交信か。考えうる企みを頭に並べながら木々の間を縫って進むと、開けた湖のほとりでガクリと膝をついたアロが見え、10mほど離れた木の陰に身を潜めた。
「あぁ」と一つ呻いたアロは、これまで堪(こら)えていたのか、はぁはぁと肩で喘ぎ始めた。四つ這いで水辺に向かい、そのまま浅瀬に入ってざばざばと転がる姿に息を飲む。これでは気が触れていると思われても仕方がない。
しばらくして水から上がったアロは「ぐぅ」と呻き、苛立たしげに頭を振って、「あぁ」と拳を何度か地面に叩きつけた。そして突然、木立の方へ這って行き、手近な木に膝立ちでしがみつくと、胸や腹を幹にぶつけるようにして擦(こす)りつけ始めた。
一体どういうわけだと仰天していると、木にあてがった左の二の腕に噛みついた彼は、「うぅ、うぅ」と唸りながら体を一層激しく揺すり始めた。
悪しきものが憑いているのか、まさか本当に狂ったのか、全く意図がわからない。
不安も期待も消え失せた俺は、いてもたってもいられずアロへと足を踏み出していた。
「…アロ?…何を、してる…?」
その背に声をかけると、びくりとした体が動きを止めたが、振り返りはしない。
「…あっ……あーさー、さまっ……!?」
苦しく喘ぐ息の間(ま)に漏れた声は、哀れなほどに動揺していた。
「ああ、どうしてっ…毎晩そんなことを?…体に傷がつくだろ、もうやめーーー」
とまで言った時、ようやく、この男は自傷をしているのかと思い至り、酷く苦いものがこみ上げた。
「…おねがいですっ、みのがして、ください…このままたちさって、すべて、わすれてくださいーーー」
「駄目だ、俺にはお前を管理する役目がある」
「…おねがい、ですっーーー」
「言ってくれ」
「どうかーーー」
「言えば、立ち去る」
「…っ……ああ……」
ごつりと額を木に押し付けたアロは、一層苦しい声を絞り出した。
「…からだのねつを、こらえ、きれなくなる…のです」
「…っ!?」
「…ない、おとこねがうずいてっ、なぐさめたくて、たまらない」
思いがけない言葉に、今にも心臓が喉を突き破りそうになった。
「そん、なーーー」
「ないものはないとっ…めをそむけるほどうずいて、あたまがっ、おかしくなりそうでっーーー」
「腕を、噛むのは…」
「…いたみがあれば、なんとかっ…しょうきに…とどまって、られる…」
「…」
「…どうか、どうか、ゆるして…はやく、たちさって、ぜんぶ、わすれて…」
「…っ」
アロの背後に立つと、身に着けた夜着が俺がやった物だと見てとれた。
その衣の下で、木に擦(なす)る体の腰が猥(みだ)らに揺れているのに気がついた時、ようやく俺は、全てを理解した。
去勢をした宦官にも性欲があり、普段から抑制薬を飲む者もいると知っていた。
王に従い滋養強壮食を食わされるアロは、精がついたところで持て余すしかない。それでも、王との行為は数分で済む王の一方的な発散に過ぎず、彼が僅かにも満たされることはないだろう。
“俺は、この男をこんなにも苦しめていた”なんて。
彼は、日々激しい性欲に体を焼かれる拷問に耐え続けている。
こんなはずじゃなかったと思えば胸の内は冷え込んだが、体には息苦しいほどの劣情が漲(みなぎ)っていた。
「…ああ、アロ」
その背後に跪(ひざまず)き、抱えた体を木から引き剥がすと、アロは俺の腕に闇雲に爪を立てた。
「なにをっ、かえれ!…かえると、いっただろ…!」
暴れる体の夜着を引き剥がして抱きすくめた裸体は、水を浴びたばかりなのに燃えるように熱い。
「このうそつき、やめろっ!…かえれ!」
しなやかな腹を撫でてみれば彼は闇雲に暴れ、構わず下腹を探ってみると、抱いた体が強張った。
「どうして、自慰をしない…?」
男根のあるべきそこを鷲掴むと、「いや」と悲鳴を上げた体は、糸が切れたように脱力した。
「あ、あーさーさま、やめっ、そこはーーー」
「ここが疼く…?」
揉みしだく指で探るそこは、女のように膨らんだ恥丘の頂に、男の名残が僅かに盛り上がっている。
「やめ、ああ、やめっ、さわるなーーー」
「どうして…ここに触りも擦りもしない?」
熱く滑(すべ)らかなそこを押し揉んでいれば、抱いた体はぐったりと俺にしなだれて、荒い吐息に甘い音が混じり始める。
「…そ、こは、おれの、はじっ…」
吐き捨てたアロは、「いや」と喚いてもがいた。
強く弄(まさぐ)れば肩が震え、項垂(うなだ)れた首の後ろが熱を増して甘く匂う。
「ああ、たのむ、もう、やめっーーー」
「どうして、ほしい…?」
ないペニスを掻きたい衝動はどれほどに苦しいか、想像もつかない。
摘んだその根を捏ねてやり、女のように呻き始めた喉に擦(なす)る頬で聞く。
「あ、ああ、あああッ…」
ぐりぐりと擦る指先で見つけた僅かな窪みから、熱い体液が滲み出る。
「いや、あ、ああ…」
天を仰いだ頭が俺の肩に落ちて、淫(みだ)らにくねる腰に誘われる。
「ここは…?」
押し揉んでみた胸も熱く、既に硬く勃った乳首が手のひらに心地いい。
摘んだそれを強く捏ねてやれば、アロは俺の腰に押しつけた腰を焦れったく振り始めた。
「ああ、いや、ああ、ああ…」
とうに勃起している俺のペニスも、この男をめちゃくちゃに抉り、突いてやりたいと猛っていた。
「アロ…っ」
アロの体をこちらに向け、抱き締めた体に腰を擦りつける。
「あ、ああ、ああ…」
弾けるように俺にしがみついたアロは、木にしていたように俺に体を擦りつけて、一層声を上ずらせる。
「ああ、ああ、アア…」
乱暴に俺を突き上げる体を抑え込みながら、男根のないそこにペニスを貫くつもりで擦り続ける。布越しでもその快感は鋭く、頭も体も荒ぶる衝動に飲まれて我を忘れかけた時。
「あ、ア、あ゛あ゛あ゛あ゛…っ!!!」
獣のように咆哮して激しく硬直した体が、がくりと俺の胸に崩れ落ちた。
「…あっ…ああ…はぁ…あ…っ」
慌てて抱き直した体は悲しいほど熱く、ぶるぶると震えている。
胸に埋もれた頭に触れると、アロは切れ切れの息の中で「おゆるしを」と呻いた。
「……俺は、何も見ていない」
「…っ……っ………っ……っ」
「…今夜、ここでお前といたのは”王”だ」
「…っ…っ…っ…」
「…戻ろう」
拾った衣を肩にかけてやり、嫌がるアロを無理矢理に背負った。彼は重かったが、昂奮が冷めやらない体には苦にならなかった。
館や棟の並びが見えてきても、俺もアロも、口を開かなかった。
いつまでも震えている彼は、時々ひくりと息を吸って、泣いていたかもしれなかったが確かめなかった。
アロの館が見えてくる頃には俺のペニスは萎えて、彼の体も冷めていた。
館の前でチラチラと揺れる篝火は、俺を待っていたらしいガイだった。
「アーサー様!?一体何が…」
俺の姿を見た忠実な従者は、アロに敵意を剥き出した。
明かりの元で見れば、俺の着衣も土でかなり汚れていた。
「声がでかい!なんでもない、俺は平気だ…」
アロを浴場に連れていき、出てくるまで外で待った。一人になりたいだろうと思えば、中で世話をする気にはなれなかった。
その間、憤懣やる方なしといったガイに、アロの事実を伝えた。
”行為”の詳細は言わずに「慰めた」とだけ言うと、ガイは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「厄介ですね…」
「挿れてないーーー」
「そこではありません」
「…頼む」
「…承知しております」
やるせないため息をついたガイは、不都合の処理が自分の役目だとよく心得ている。
風呂を済ませて出てきたアロは、いつかのように、浴布を被って顔を隠していた。
館までついていくと、エントランスの前で、アロが振り返った。
門の外に控えるガイを確認したアロは、少しだけ顔を起こしたが、伏せたまつ毛と鼻筋しか見えない。
「…なんて、言ったらいいのかーーー」
「なら言わなくていい」
吹き消してしまえそうな弱弱しい声を、これ以上聞きたくなかった。
着替えた夜着の胸に、木の幹で削れた赤い痕が見えた。
「体を大事に…王のために」
「…」
「…っていうのは建前で、俺がそれは嫌だ」
「…」
「ゆっくり休めーーー」
「アーサー様…」
「なんーーー」
「嘘を、つきましたね…」
「あぁ」
「…」
「見過ごせない」
「どうしてーーー」
「言わなきゃわからないか?」
「…」
「じゃ、おやすみ」
背を向けて、門を出るまで、どんな声も聞こえなかった。
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