17 / 21

* * *

翌日。 終日軍務に追われたが、後宮から上がるアロの報告は「異状なし」だった。 とりあえずは宥(なだ)めることができたが、それでも時間の問題で、何より、もう隠してはおけなかった。 石を飲んだような胸を抱えて後宮に向かい、訪ねたアロは、今日も既に化粧を落として、以前俺がやった衣を纏っていた。 「遅かったですね」 わざとらしく、ちくりと俺を睨んだアロは、「ワインにしますか?お茶にしますか?」と小さく笑った。 その、満たされた者にしかできない、柔らかな笑みが胸に刺さる。 「ワインを」 「はい」とカップを用意する穏やかな表情(かお)を見ているのは苦しく、ワインを大きく煽り、一つ息をついた。 「…アロ、お前に言わなきゃいけないことがある…」 「なんでしょう」 もう一口酒を舐めて、小首を傾げたアロの真っすぐな目から目を逸らした。 「…俺は、軍師だ」 「…??」 「この国の、軍師の長だ」 「…突然何をーーー」 「長年の関門だった”竜のへそ”を攻略したのは、俺だ…俺がいたから、お前の国は敗北した、お前を陥れたのは、俺だ…」 ぽかんとしたアロは、ただ、俺を見つめていた。 「…お前が捕えられて、去勢されて、今ここにいるのも元を辿れば俺のせいだ」 「…」 「俺は、お前のこんな処遇を望んでたわけじゃない、でも、避けられなかった…」 「…」 「…”竜のへそ”に視察に行くたびに、お前は誰よりも目を引いた…衛生兵のくせに常に前線にいたお前は、俺の知る限り最も強く、勇猛果敢で美しい、本物の戦士だったーーー」 「どうしてっ…」 立ち上がり、ふらふらと後ずさったアロの腕を掴んだ。 「待てーーー」 「どうして黙ってた…!?」 俺を見下ろす嫌悪の瞳は、剣のように鋭く、冷たかった。 「そうと知ってたら、お前は俺を受け入れたか?」 「…離せっ」 ふいに、刺すような目から涙を零(こぼ)したアロは、大きく俯いた。 「どうしてっ…」 「っーーー」 「どうして、どうして俺を辱めるような真似を…!?」 「辱めてない!」 「お前らはあんたに弄(もてあそ)ばれる俺を見て嘲笑(わら)ってたのかーーー」 「違う!お前を一目見た日から、ずっと戦士のお前を手に入れたかった…こんな形でじゃない、そんな気はなかったーーー」 「そんなことはどうでもいい!聞きたくない!」 「なのに、”どんな形”でもいい、お前が欲しくなったーーー」 「この畜生!俺はおもちゃじゃないって、あんたはそう言った!」 「わからないのか、俺はお前が去勢されてなければペニスを愛でた、ないならないお前を愛でるだけだーーー」 「わかるわけないだろ!」 腕を振り解(ほど)いて体を離したアロは、泣き濡れた目で俺を睨みつけた。 「…そんなに憎ければ俺を呪え」 落ちた肩と握り締めた拳が、戦慄(わなな)いていた。 「お前を負かした俺を呪え」 綺麗な歯列を食いしばる音が、聞こえそうだった。 「呪い足りなければ、いっそ殺せ」 腰の剣を抜いて、掴んだ柄をアロに差し出した。 「…!?」 「アロ…俺の、美しい南の戦士ーーー」 「名前を呼ぶな!!!」 体を震わせて吠えた彼は、俺の剣を取った。 「お前のためなら、俺はいくらでもこの身を捧げる」 「…っ」 剣を握り締めた麗しい男に、かつて惚れた、あの戦士の面影がだぶって見えた。 しばらくの間。 彼とのことを一つ一つ思い返しながら、アロを見つめていた。 そして彼も、恐らくは、そうしていたのだろうか。 「ああ」と呻いたアロが、崩れ落ちるように床に膝をついた。 「………」 低い嗚咽を漏らすアロにかける言葉が、わからなかった。 剣を取り上げると、彼は俺に背を向けた。 胸を抉る慟哭(どうこく)が嗚咽になり、啜り泣きが切れ切れになり、しゃくり上げるだけになって、15分も経った頃。 落ち着きを取り戻したアロが、俺に向き直った。 「……申し訳、ありません…つい、感情的になってしまいました」 真っ赤に泣きはらした目を拭って、彼は寂しく笑った。 「…アーサー様、貴方は…」 「…」 「貴方は、思い上がりも甚だしい、自惚れが過ぎます」 「…っ!?」 「確かに、貴方のおかげで南は負けたんでしょう…」 「…」 「でも、貴方でなくても誰かが策を立てて、3年後か、30年後か、いずれは負けて、いつであろうと、そこで起きることはきっと変わらない…“竜のへそ”で指揮を取っていた将軍は殺された、10年後なら、それは私だったかもしれない」 淡々と話すその顔が、仮面に覆われていくのを見つめることしかできない。 「今、たまたま貴方がいて、私がいた、互いに生まれ落ちる国と立場が逆だったかもしれない、だけどそうじゃなくて、それぞれの役割を果たした結果が今、ここ…」 「………」 「ただ、それだけのことです…」 「…」 「…私の仲間達は、北方の植民地に強制移住させられたと聞いた…前に言った通り、命があるだけ幸せだと本当に思ってる、受け入れたんだ」 「…」 「私は貴方を恨みはしないし、貴方に責任を取ってほしいなんて微塵も思ってない」 「…」 「ただ…」 「…」 「貴方は嘘はつかないと言った…けど、大事なことは言ってくれてなかった…」 「…それはーーー」 「私にとっては、貴方に裏切られていたことが何よりも屈辱だ」 「裏切りじゃーーー」 「もう、顔を見せないでほしい…」 涼やかな目に射られた時、もう二度と、彼に触れることは叶わないとわかった。 「…貴方といる時だけは、どんな苦しみも忘れることができた」 「…」 「貴方だけは、なんて夢を見てた自分が恥ずかしい…」 「…」 「…殿下、お心遣いに甘えさせていただき、本当に…ありがとうございました」 深々と礼をして、凛と顔を起こしたアロは、神々しいほど気高く、美しい、俺の愛した戦士だった。 「それでは、失礼します」 「…っ」 謝罪も弁解も意味をなさないとわかっていた俺は、この部屋を出ていく婉美(えんび)な後ろ姿を見ていることしかできなかった。

ともだちにシェアしよう!