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* * *
翌日。
終日軍務に追われたが、後宮から上がるアロの報告は「異状なし」だった。
とりあえずは宥(なだ)めることができたが、それでも時間の問題で、何より、もう隠してはおけなかった。
石を飲んだような胸を抱えて後宮に向かい、訪ねたアロは、今日も既に化粧を落として、以前俺がやった衣を纏っていた。
「遅かったですね」
わざとらしく、ちくりと俺を睨んだアロは、「ワインにしますか?お茶にしますか?」と小さく笑った。
その、満たされた者にしかできない、柔らかな笑みが胸に刺さる。
「ワインを」
「はい」とカップを用意する穏やかな表情(かお)を見ているのは苦しく、ワインを大きく煽り、一つ息をついた。
「…アロ、お前に言わなきゃいけないことがある…」
「なんでしょう」
もう一口酒を舐めて、小首を傾げたアロの真っすぐな目から目を逸らした。
「…俺は、軍師だ」
「…??」
「この国の、軍師の長だ」
「…突然何をーーー」
「長年の関門だった”竜のへそ”を攻略したのは、俺だ…俺がいたから、お前の国は敗北した、お前を陥れたのは、俺だ…」
ぽかんとしたアロは、ただ、俺を見つめていた。
「…お前が捕えられて、去勢されて、今ここにいるのも元を辿れば俺のせいだ」
「…」
「俺は、お前のこんな処遇を望んでたわけじゃない、でも、避けられなかった…」
「…」
「…”竜のへそ”に視察に行くたびに、お前は誰よりも目を引いた…衛生兵のくせに常に前線にいたお前は、俺の知る限り最も強く、勇猛果敢で美しい、本物の戦士だったーーー」
「どうしてっ…」
立ち上がり、ふらふらと後ずさったアロの腕を掴んだ。
「待てーーー」
「どうして黙ってた…!?」
俺を見下ろす嫌悪の瞳は、剣のように鋭く、冷たかった。
「そうと知ってたら、お前は俺を受け入れたか?」
「…離せっ」
ふいに、刺すような目から涙を零(こぼ)したアロは、大きく俯いた。
「どうしてっ…」
「っーーー」
「どうして、どうして俺を辱めるような真似を…!?」
「辱めてない!」
「お前らはあんたに弄(もてあそ)ばれる俺を見て嘲笑(わら)ってたのかーーー」
「違う!お前を一目見た日から、ずっと戦士のお前を手に入れたかった…こんな形でじゃない、そんな気はなかったーーー」
「そんなことはどうでもいい!聞きたくない!」
「なのに、”どんな形”でもいい、お前が欲しくなったーーー」
「この畜生!俺はおもちゃじゃないって、あんたはそう言った!」
「わからないのか、俺はお前が去勢されてなければペニスを愛でた、ないならないお前を愛でるだけだーーー」
「わかるわけないだろ!」
腕を振り解(ほど)いて体を離したアロは、泣き濡れた目で俺を睨みつけた。
「…そんなに憎ければ俺を呪え」
落ちた肩と握り締めた拳が、戦慄(わなな)いていた。
「お前を負かした俺を呪え」
綺麗な歯列を食いしばる音が、聞こえそうだった。
「呪い足りなければ、いっそ殺せ」
腰の剣を抜いて、掴んだ柄をアロに差し出した。
「…!?」
「アロ…俺の、美しい南の戦士ーーー」
「名前を呼ぶな!!!」
体を震わせて吠えた彼は、俺の剣を取った。
「お前のためなら、俺はいくらでもこの身を捧げる」
「…っ」
剣を握り締めた麗しい男に、かつて惚れた、あの戦士の面影がだぶって見えた。
しばらくの間。
彼とのことを一つ一つ思い返しながら、アロを見つめていた。
そして彼も、恐らくは、そうしていたのだろうか。
「ああ」と呻いたアロが、崩れ落ちるように床に膝をついた。
「………」
低い嗚咽を漏らすアロにかける言葉が、わからなかった。
剣を取り上げると、彼は俺に背を向けた。
胸を抉る慟哭(どうこく)が嗚咽になり、啜り泣きが切れ切れになり、しゃくり上げるだけになって、15分も経った頃。
落ち着きを取り戻したアロが、俺に向き直った。
「……申し訳、ありません…つい、感情的になってしまいました」
真っ赤に泣きはらした目を拭って、彼は寂しく笑った。
「…アーサー様、貴方は…」
「…」
「貴方は、思い上がりも甚だしい、自惚れが過ぎます」
「…っ!?」
「確かに、貴方のおかげで南は負けたんでしょう…」
「…」
「でも、貴方でなくても誰かが策を立てて、3年後か、30年後か、いずれは負けて、いつであろうと、そこで起きることはきっと変わらない…“竜のへそ”で指揮を取っていた将軍は殺された、10年後なら、それは私だったかもしれない」
淡々と話すその顔が、仮面に覆われていくのを見つめることしかできない。
「今、たまたま貴方がいて、私がいた、互いに生まれ落ちる国と立場が逆だったかもしれない、だけどそうじゃなくて、それぞれの役割を果たした結果が今、ここ…」
「………」
「ただ、それだけのことです…」
「…」
「…私の仲間達は、北方の植民地に強制移住させられたと聞いた…前に言った通り、命があるだけ幸せだと本当に思ってる、受け入れたんだ」
「…」
「私は貴方を恨みはしないし、貴方に責任を取ってほしいなんて微塵も思ってない」
「…」
「ただ…」
「…」
「貴方は嘘はつかないと言った…けど、大事なことは言ってくれてなかった…」
「…それはーーー」
「私にとっては、貴方に裏切られていたことが何よりも屈辱だ」
「裏切りじゃーーー」
「もう、顔を見せないでほしい…」
涼やかな目に射られた時、もう二度と、彼に触れることは叶わないとわかった。
「…貴方といる時だけは、どんな苦しみも忘れることができた」
「…」
「貴方だけは、なんて夢を見てた自分が恥ずかしい…」
「…」
「…殿下、お心遣いに甘えさせていただき、本当に…ありがとうございました」
深々と礼をして、凛と顔を起こしたアロは、神々しいほど気高く、美しい、俺の愛した戦士だった。
「それでは、失礼します」
「…っ」
謝罪も弁解も意味をなさないとわかっていた俺は、この部屋を出ていく婉美(えんび)な後ろ姿を見ていることしかできなかった。
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