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翌日、昼過ぎ。 見送りを拒んだアロは、館のエントランスで俺に別れを告げた。 「本当に、お世話になりました」 深々と頭を下げた彼に、右の薬指から抜いた金の指輪を渡した。 「これは…?」 「俺の印章だ、何か困ったときに使え…うちの領内なら便宜を図ってもらえるだろう」 「そんな、困りますーーー」 「この程度しかしてやれることはない」 「…こんなことまで…」 彼には馬と必要な旅支度を与え、十分な旅費と数ヶ月は食っていける金、そして例の抑制薬も既に持たせていた。 「いいんだ」 「これがなければ貴方はーーー」 「また作らせればいいだけ」 「……では、ありがたく頂戴します」 恐縮したアロは、指輪を丁寧に小物入れにしまった。 「簡単に金に換えたりするな、貴重だぞ」 「…承知しております」 ふ、と柔らかく笑った目が、母国の方角の空を見上げた。 「……帰ったら、どうするんだ?」 「これでも医者です」 「そうだった」 「それでは、そろそろ…」 「…あぁ」 こちらに向けた背は、どんな心残りや気の迷いもないようにも、あえて名残惜しまぬようにしているようにも見えた。 「…アロ」 「…はい」 振り返った男の、晴々とした表情(かお)を目に焼き付ける。 「…俺は、お前を愛してた」 「…」 「…」 「…身に余る、幸せでした」 綺麗な苦笑を浮かべて、踵を返したアロは、涙ぐんでいるように見えた。 初めてアロを抱いた夜も、昨夜も、記憶に新しい彼は、ほとんど泣いていた。 そしてアロは、後宮から解放された時と同じように、誰にも見送られずに宮廷を離れた。 彼は、二度と振り返らずに俺の元を去った。 * * * それから。 1年が経ち、2年、3年と経っても、彼を忘れることはなかった。 アロ、という名の南の戦士。彼のことは、それだけしか知らなかった。 目を閉じれば、少しずつ褪せていく記憶の中で、彼と過ごした最後の夜だけはありありと思い出せた。 真冬の夜明け前。暖めていても冷え込んだ部屋で、一心不乱に互いを貪り合っていた体は、息も詰まるほどの熱を帯びて、湯気を立てていた。 何度も覗いたヘーゼルの瞳は、涙に濡れていた。 「どうして泣く」と問えば、「嬉しい」「苦しい」「幸せだ」「辛い」と、その都度答えは変わった。 くだらない支配欲に任せて、「いく時は俺の名を」と命じた。 素直に従った彼の「あーさーさま」はやがて「あーさー」になり、最後には意味をなさなくなった。 甘く、切なく。囁いて、呻いて。濡れて、蕩けて。掠れて、苦しく。絞り出すような、喉を掻きむしるような、事切れるような俺の名を、ひとつひとつ、思い返すことができる。 最後まで。滝のような汗に濡れた体の愛しい微熱と、吸い付く肌の心地よさと、その味と、力ずくで跡を残す俺に抗う張りを、体が覚えていた。 遅い夜明け前。冷めていく体を温め合う柔らかな静寂が、このまま続けばいいと馬鹿げたことを思った。 恍惚が覚めてきた頃。ふいにアロが、「もっと、色々話してみたかった」と呟いた。 俺は「機会はあったのに、お前が俺を避けてた」と返した。 「そうですね」と小さく笑った彼は、重いまぶたをとろりと閉じて眠りに落ちた。 自分の立場を十分過ぎるほどわきまえていたアロが、俺に話したかったことや、俺に聞きたかったことがなんなのか、今では知る由もない。 俺と敵対国の捕虜である彼の距離は、最後まで埋まることがなかった。

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