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翌日。テイラーから『明日20時、ソーホーの"コーチ&ホーシーズ”で』とSMSがあった。
スケジュールは問題なかったが、思い通りにさせてたまるかと「明後日の21時で」と返した。パブも変えてやろうと思ったが、自分の馴染みを知られるのは嫌だし、わざわざ探すのも面倒で従うことにした。
SMSでやり取りするのも不快で、この後何か連絡があるんじゃないかと思うと嫌すぎて、すぐにスマホの電源を切った。
2日後の21時過ぎ、指定のパブはそこそこ賑わっていた。
店に入ると隅のテーブルにあの男が見えて、つい握り締めた拳を見えない位置に置いた。
「こんばんは、来てくれて嬉しいです」とこちらに来たテイラーは、拍子抜けするほどの笑顔でカウンターに僕を促した。「何を飲みますか?」と朗らかに僕を覗く男は、僕を苦しめてるつもりなんかミリもないような顔をしている。
彼を無視してギネスを頼むと、「僕が」と強引に払ったテイラーは、自分のエールとついでにいくつかフードを頼んだ。
彼について掛けたのは2人掛けの小さなテーブルで、イヤでも顔を突き合わせなければならず、胸の内で舌打ちした。こんなことなら少し早めに来て、窓際のカウンター席に張り付いていればよかったと思う。(少なくとも顔を見ながら飲む状況は避けられた。)
早速パイントに口をつけて目を細めたテイラーは、まるで“ツレと飲みに来たように”リラックスしている。黒のブルゾンにジーンズ、ブーツの出で立ちは撮影の日と変わらない。が、妙にフレンドリーな雰囲気はあの日の内気そうな非コミュのロボットとはまるで別人で、ますますこの男がわからなくなる。
テーブルを睨んでギネスを啜っていると、テイラーが「単刀直入に言います」と切り出した。
仕方なく目をやると、僕を覗く目はキラキラしていて、ギネスを味わうどころじゃなくなった。
「僕の頼み…むしろ願いです」
「願い?」
「貴方の写真集を作らせてください」
考える前に「無理」と答えていた。考えても「NO」しかない。
「さっさとネガを貸せ、処分するーーー」
「ネガを渡すのは、貴方が頼みを聞いてくれてからです」
目を丸くした男の顔をぶん殴りたいのを、ぐっとこらえる。僕のキャリアを、こんなことで汚したくはなかった。
「…あの写真、俺を侮辱して楽しんでんの?」
「まさか!侮辱なんて…むしろ逆ですーーー」
「わけがわからない」
「あまりにも素晴らしかったから、貴方にだけはお知らせしたくて…」
電話でも感じたが、真顔で僕を見つめる男には“本当に悪意も悪気もない”らしい。
「…あの写真、どうやって撮った…?」
「どうって?」
「フェイクだーーー」
「フィルム写真にフェイクは難しいですよ」
「…じゃあどうして?僕はあんな表情(かお)は断じてしてない、なんかの間違いだーーー」
「僕は、被写体が見せてくれる“本当”を写真に収めています」
無茶苦茶な言い分なのに、なぜかドキリとしていた。
「何そーーー」
「それだけです」
「…答えになってない、あんなの…ポルノだーーー」
「僕の写真は作品で、芸術(アート)ですーーー」
「バカバカしいーーー」
その時、店員がやってきて、慌てて口を閉じた。
狭いテーブルがチップスとナチョスとバーベキューチキンの皿でいっぱいになったが、食べる気は少しも起きない。
ナチョスを頬張ったテイラーは既にパイントの半分を空けているが、僕は好きな酒も進むはずがなかった。
「…貴方は、誤解しています」
そう静かに呟いた男は、困惑気味に笑った。
まるで、僕が間違ってるみたいな口ぶりにうんざりする。
「貴方の写真は“傑作”です、この先、貴方以上の被写体を撮れるとは思えない、それほどのーーー」
「俺がネガを処分しなかったら、どうするつもりだった?」
「どうもしません、焼いた写真をアルバムに収めて、特に好きなものは額装して部屋に飾るとか…それくらいです」
「…“傑作”なのに、外に出さない?」
「えぇ」と即答した男は、当たり前だと言わんばかりに眉をひそめた。
「やっぱり理解できないーーー」
「貴方は“本当に大事なこと”をべらべら人に喋ったり、“本当に大切なもの”を見せびらかしたりしますか?」
「……でも、“傑作”なんだろ?」
「えぇ」
無邪気に微笑んだ男は、「要りますね?」とチップスにビネガーをかけた。
「……編集部に出した写真は?」
「いくつか"雑誌向き”なものを出しました」
「…全部は、見せてない?」
「もちろん」と笑う男にホッとしたが、だからといってOKじゃない。ネガをこの世から抹消するまでは安心できない。
「…FAMEの特集で使う写真、全部見ましたか?」
「…ああーーー」
「僕の写真は、嫌いですか…?」
「……」
ギネスに口をつけながら、真っすぐ見つめられた目を逸らした。
強い光を湛えた瞳は、自信を超えて確信に満ちている。
知らない、身に覚えのない僕を突きつけられて混乱はしているが、客観的に見たら悪くない。正直なところ、彼が言う通り芸術的だと思える。だが、それを正直に伝えてもこの調子では喜ばせるだけで、そんなのは全く気に入らなかった。
「…お前は矛盾してる、"傑作"は外に出す気がないのに、どうして僕の写真集を作りたい?」
「僕は貴方を最も美しく写真に収めることができるからです」
さも当然のように言い放った男に呆れ返ると、続けて「僕は“素敵な貴方”を知ってますから」なんてのたまう顔を見ているうちにどんどん腹が立った。意味深なセリフを吐いておいて、涼しい顔でチキンを齧(かじ)ってるのがまたムカつく。
写真がこいつの表現なら、僕は僕の全てを使った第一級の表現者で、彼の思い通りにさせてやらない自信がある。その鼻をへし折ってやると思えば急にやる気が出て、チーズをたっぷり掬(すく)ったナチョスを口に放り込んだ。
「……わかった、その頼み、聞いてやるよーーー」
「よかった、ありがとうございます」
ぱっと顔を輝かせたテイラーは、「お代わり要りますか?」と慌ただしく腰を上げた。
僕のパイントはまだ半分残っているが、これ以上話すことはない。言ってやりたいことはまだまだあっても、これ以上ここにいたくなかった。
「話は済んだ、ごちそうさま」
チップスを一つ咥えて席を立ち、テイラーに背を向けた。
「また連絡します」と聞こえた声に答えずにパブを出て、すぐキャブを拾った。
スマホを見るとガールフレンドからメッセが入っていて、飲み直すためにカムデン・タウンに向かった。
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